BY MARI MATSUBARA
2011年からニューヨークに在住するアーティストの澁谷翔が、パンデミック中に手がけた《Sunrise from a Small Window》という作品群をご存じだろうか? 朝起きて見上げた空の色を、その日のニューヨーク・タイムズ紙の1 面、紙名と日付以外の部分に塗りつぶす作品を、毎日インスタグラムで発表しつづけて話題となった。カルティエ現代美術財団が2022年のミラノ・トリエンナーレでこの作品を展示したことがあり、『カルティエと日本 半世紀のあゆみ「結 MUSUBI」展』のために澁谷に新作を依頼したという。
「ニューヨーク・タイムズ紙のシリーズを始める前に、歌川広重の《東海道五十三次》を毎日一点ずつ、インスタのストーリーズに上げて解説をしていたんです。2020年3月以降、街はロックダウンとなり、誰もが閉塞感や不安にさいなまれている頃のこと。自分自身、旅行ができないストレスを軽減するためもありました。いつか広重のように旅をしながら作品を作れたらなぁと夢想していたのです。今回カルティエ財団から依頼を受けたとき、自由に旅ができるようになった今こそチャンスだとひらめきました。日本全国47都道府県を巡りながら、その土地の地方日刊紙に空の色をペイントする。2紙ある県もあるので、全体で五十景としました」
2024年1月1日から2月5日まで、レンタカーを運転して各都市を回り、宿泊施設で制作をした。
「東京からスタートし、太平洋側を回って沖縄まで行き、その後日本海側を北海道まで北上して、再び東京へ戻るコースで走りました。新聞を買ったときに見上げた空を撮影し、それをもとに描くという一応のルールを自分に課しました。なので昼の空もあれば、夕方や夜の空もあります。ホテルの部屋を汚さないようにブルーシートで床や壁を養生するのが大変でしたね。また、折りジワのない新聞を探して10軒ぐらいコンビニを回ったり、時には新聞販売所や新聞社にまで行ってようやく手に入れたり。たまに新聞休刊日があるので、一日に2〜3 都市を回って描くこともありました」
思い出に残っている空の色がいくつかある。
「長崎で原爆資料館に行ったあと、平和公園の銅像のある場所から見上げた空は真っ青でした。当初は僕が生まれた北九州市小倉に落とされるはずだった原爆が、視界不良のために投下目標が変更されて長崎が被災したと聞きました。自分が今この世に存在することの奇跡を感じ、また深い青の色が北斎のベロ藍にも通じているようで、心に沁み入りました。また、福井に着いた日の夜に初雪が降ったのですが、前日の素晴らしい夕日から一転して翌朝は真っ白な世界。広重が描いた《蒲原 夜之雪》とそっくりだなとうれしくなりました」
空の色は前シリーズ同様、写真に撮った色を忠実に再現することにはこだわっていないと言う。
「見たものをそのまま表現することにあまり興味がありません。むしろ、ほとんどが悲惨な事件や厳しい現実を知らせるニュースで埋め尽くされている新聞紙に美しい空の色をペイントする行為にこそ意味があると思っていて。『空』という対象物がはっきりしているので、抽象画でもありません。むしろコンセプチュアルアートだと自分では捉えています」
その結果、50の空の色は実にバラエティに富んでいる。天気や時刻を想像しながら見るのも楽しい。
「浮世絵とは、戦国の世が終わった江戸時代の浮き世=現世を享楽的に描いたもの。僕の場合もパンデミック後のウキウキとした高揚感で日本じゅうの空を見上げた作品です。塗り残した紙名と日付は浮世絵の題字のようにも見える。この『日本五十空景』はまさに現代版の浮世絵なのかもしれません。さらにカルティエが創業した1847年は、広重(1797〜1858年)が活躍した時代にあたるという偶然にも驚きました。五十三次へのオマージュを込めた作品制作を通して、過去から現在、未来へと続くカルティエのクラフツマンシップの歴史に共鳴できたことをとても光栄に思います」
会期: 6 月12日(水)~ 7 月28日(日)
休館日:月曜日、7 月16日(火) ※ 7 月15日(月・祝日)は開館
開館時間: 9 時30分〜17時、金・土曜日は〜19時(入館は閉館の30分前まで)
会場:東京国立博物館 表慶館
入場料:一般¥1,500、大学生¥1,200
公式サイト
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