「クルディテ」、すなわち火を通していない切っただけの野菜が、いかにしてシェフのクリエイティブな能力を発揮する主戦場になり得たのか?

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY PATRICIA HEAL, STYLED BY MICHAEL REYNOLDS, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: ポルチーニ、ポルトベロ、アンズタケ、ヒラタケ、白しめじ、そしてエリンギ

ポルチーニ、ポルトベロ、アンズタケ、ヒラタケ、白しめじ、そしてエリンギ

 だが、1960年代になり、カウンターカルチャーが台頭すると、大規模農業を拒否する動きや、自然回帰への欲求が高まってきた。バークレー在住のシェフ、アリス・ウォーターズが1971年に活動家仲間たちに食を提供するカフェとして、シェパニーズを開いた。彼女は今ではサステイナブル農業の有名なフィクサーだ。かつては世の中の主流ではなかった彼女の価値観、つまり、何を食べるかの選択は、ごく個人的なことであり、それと同じくらい政治的なことである、という考え方が、今では主流になった。一見そうは見えないかもしれないが、確実にそうなってきたのだ。

 クルディテが今再び隆盛なのは、主に「農場から食卓へ」という運動が拡大してきた結果といえる。この運動に心酔する人々は、作り手の顔が見えることが至上の価値である、という考えに取りつかれており、小規模農家をブランドとして聖なるもののように崇め奉り、彼らの生産物をプレミアム品として扱う。私たちは茎がついたままのかぶや、先が細長く伸びて曲がったにんじんや、表面が凸凹したきゅうりを偏愛する。

 もちろん「素材を尊重せよ」という宗教的な教義は存在するものの、クルディテの最も重要な部分は、やはりディップであることに変わりはない。そのイタリア版はバーニャカウダで、直訳するとオリーブオイルとアンチョビの「熱い風呂」だ。スイス人が愛するチーズフォンデュでは、野菜がチーズの海の中を進む船になる。最もド肝を抜かれるのは、サンフランシスコの風変わりなサパークラブ、「レイジー・ベアー」の一品だ。ここでは、丼のような器に入った骨髄のフォンデュが野菜と一緒に振る舞われる。また、ヴィシアではメタ的な手法が用いられている。根菜を、その野菜の葉で作ったペーストと合わせるのだ。

 そんなクルディテは、恐らく最近まで盛り上がっていた、肉と脂肪への過度な熱狂を冷ます働きもしているのだろう。フォアグラがドーナツの中に詰め込まれ、メニューが豚の腹肉の塊の脇に積んであるようなクレイジーさからの揺り戻しだ。ガーデニングを楽しむ人々も増えている。アメリカの全世帯の実に3割は、野菜を自分たちで栽培している。

 その一方で、2011年以来、豚肉の国内売り上げも20%伸びている。実際、狩猟採取文化のヒエラルキーにおいては、狩猟の獲物は、採取の収穫よりも常に重要視されてきた。あくまで肉がコースのメイン料理であり、野菜は添え物でしかなかった。それはクルディテがもてはやされている現在でも変わらない。狩猟も採取も、どちらもその土地のことを詳しく知らなければ成立しない。だが、動物を追いかけ、その命を奪うということは、世界に出ていくということだ。一方、森でいちごを拾ったり、畑を耕したりするのは家庭的な(つまり女性的な)仕事で、その価値は低く見積もられてきた。しかし、新しい北欧フードのムーブメントの到来で、その価値観がひっくり返った。採取もまた重要な狩猟方法のひとつであるとして価値を見直され、まだ見ぬ荒野の果てを探索する行動だと意味づけされたのだ。

 また、優雅なクルディテは、白人男性のシェフが仕切る高級レストランで流は行やる傾向にあることも言及しておくべきだろう。ある程度の自信や特権がなければ、少しばかりの野菜に対して客に40ドルも払わせることはできない。ボードの上に単に切ってのせただけであれ、ピンセットを使って丁寧に並べられたものであれ。どんな盛りつけであっても、野菜はたった今地面から引き抜かれたような味がするものであり、そうだとしたら、なぜそもそもそこにシェフが必要なのか? ヴィシアのシェフであるマイケル・ガリナは、クルディテは啓蒙活動なのだと主張する。彼は「野菜を成長させるための滋養」を味わってほしいのだと言う。野菜を育てている土壌は、収穫が終わってから再び同じ養分度合いまで回復するのに「数週間から数カ月かかる」。つまりその間は「高額で売れる野菜」を育てることはできないのだから、と言うのだ。

 そういう見方をすれば、生の野菜は乾燥熟成肉のステーキに劣らぬ高級品だ。生に近ければ近いほど、より価値が高い。生野菜が提供するのは、最も得難いクオリティ、すなわち正直さなのである。その美しさはすべて内側から出てくるもので、誇張したり人工的に作り出すことはできない。たとえば、7色に着色されたベーグルや、巨大サイズのスープ入り肉団子のような目新しい食のトレンド、またはモルタデッラ(ボローニャソーセージ)の泡や食べられる風船など、SF世界のキッチンで作られる実験フード。そんな模造品や虚飾であふれた世界にあって、生の野菜は心地よさと稀少価値を感じさせてくれる。ガリナは、「裸の野菜」は「私たちが出す料理の中で、最もリスクの高い一品であり、また、私たちが最も誇りに感じている一品だ」と語る。

 最もエキサイティングなシェフとは、私たちを単に楽しませてくれるだけではない。彼らは私たちに何かを教えてくれる。新しい素材や味や可能性を見せてくれ、忘れ去られた食材の新しい面を引き出す。もう10年以上前になるが、私には忘れられない料理がある。それは氷漬けのラディッシュやアスパラガスが生えているようなボウルが、この世にまだ存在しなかった頃、ニューヨーク州ポカンティコヒルズの「ブルーヒル・アット・ストーン・バーンズ」で食べた夕食だ。まず、レストランの近くの農場でとれたにんじんが出てきた。木製のブロックから釘が出ていて、そこににんじんが刺さっているのだ。釘は鋭く危険に見えたし、まるで映画『スパルタカス』(’60年)から飛び出てきた感じだ。にんじんがこの釘の演出に見合うのだろうか、と疑問に思った。だが、にんじんを手にとってかじってみると、ちょうどいいほのかな甘さが広がり、大地そのものの味がした。それまで食べたどんなにんじんともまったく違う味だった。同時に、それは単なるにんじんにすぎなかった。そして突然、それで十分なのだと悟った。

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