見て喜び、おいしく味わってもらえるだけで。花を描く人は、何度もそう言った。人柄そのままに素朴でしなやかな野の花が、白いクリームのキャンバスの上で揺れていた

BY MICHIKO OTANI, PHOTOGRAPHS BY NORIO KIDERA

 そしてなんといっても、表面の絵の美しさ。ナイフやフォークを入れるのがためらわれるほどのデコレーション技術を、武藤さんはほぼ独学で習得し、磨いてきた。昭和24年、静岡県三島市に生まれ、18歳で洋菓子職人の道へ。沼津市の洋菓子店で3年、さらに腕を磨くために上京し、駒込のフランス菓子店「カド」で研鑽を積んだ。1975年、代官山で「シェ・リュイ」の立ち上げに参加してからの5年間は、責任者を担った。

「『シェ・リュイ』のスペシャリテは、口金を使って搾り出すつるバラのデコレーション。その頃、社長から『アール・ヌーヴォーって知ってる?』と聞かれたんです。自分にはまったく未知のものだったので、エミール・ガレのガラス工芸や建築家の作品を本で探して、見て......そうしているうちに、アール・ヌーヴォー的な線の描き方をパイピング(クリームを垂らして絵を描く手法)に取り入れるようになりました」

画像: 硫酸紙の先端を細く丸め、搾り出し袋に。ススキの茎と葉、穂の順に描く。先端の芒(のぎ)まで細く。茎も葉も花弁も下から上へ、細くなる先端に向かって描く

硫酸紙の先端を細く丸め、搾り出し袋に。ススキの茎と葉、穂の順に描く。先端の芒(のぎ)まで細く。茎も葉も花弁も下から上へ、細くなる先端に向かって描く

画像: 季節の花のケーキを、というオーダーに、武藤さんが描いたのは、秋の野原に咲く2色のコスモスとシックなワレモコウ、ススキの取り合わせだった。花の選択も構図からも、華道や日本画に通じる侘びた気配が漂う。最初に引いた線は、花と草の背景にある細い横線。大和絵の“すやり霞”を彷彿とさせる。見た目に濃厚なクリームは、口に含んだ途端に溶けて広がり、後味はごくさわやか

季節の花のケーキを、というオーダーに、武藤さんが描いたのは、秋の野原に咲く2色のコスモスとシックなワレモコウ、ススキの取り合わせだった。花の選択も構図からも、華道や日本画に通じる侘びた気配が漂う。最初に引いた線は、花と草の背景にある細い横線。大和絵の“すやり霞”を彷彿とさせる。見た目に濃厚なクリームは、口に含んだ途端に溶けて広がり、後味はごくさわやか

 同じ頃、武藤さんの興味を引いたのが、ボタニカルアートだった。バシリウス・ベスラーやピエール=ジョゼフ・ルドゥテなどのアンティーク絵画に魅了され、蒐集に励む一方、野の花を活ける広山流の華道を知る。自身でも折に触れて自然の花をスケッチするようになり、それらで培った知識や美的感覚を、いつしかケーキの図案に活かし始めた。独立し、自身の店を開いてからはいっそう技術のブラッシュアップに励んだが、そこには仕事人としての思いも重なっていた。

「大きな店にいて部下を持っていると、やはり売り上げのことを考えなければいけない立場です。でも、本来はケーキを作りたくて仕事をしているんですよね。パティシエとして生きられる道を、なんとか自分でつくっていけないものかなと」

画像: ルドゥテのバラの絵。店名である月桂樹の絵も保有

ルドゥテのバラの絵。店名である月桂樹の絵も保有

 絵心なんてない、まったくの自己流ですと武藤さん。しかし、長年の工夫で生み出された構図や技法は、まさに絵画のものだ。細かい作業をかなえるための道具は、製菓用では足りず、画材店で探した油絵用の道具をカスタマイズして使用。「ここまでくると、ケーキを作るためなのか絵を描きたいからなのか、もはやわかりませんね」と、屈託なく笑う。

 この穏やかな語り口と表情が、搾り出し袋を手にした瞬間に一変する。茎や葉は、のびのびと大胆に。葉先や花弁は、ひときわこまやかに。息を詰め、一本一本の線を描き込む手もとに気迫がみなぎる。もっとも難しいのは、線の上に線を重ねることだという。自身を乗り越え、更新する瞬間。飛ぶように時間がすぎ、また新しい花が一輪、ケーキの上でほころんだ。

「素人の、でたらめみたいなものかもしれません。でも、やっぱり目指すのはオリジナリティですよね。どこにもない、見たことのないケーキを作りたくて、たまたま出会った人やものから受けた影響を、少しずつ自分の世界に取り入れながら、変化して......。オーバーかもしれませんが、人生の流れに合わせて、自然体でここまでやってきたという感じです」

画像: ヨーロッパで修業を積んだ次男・康生さんが作るモダンなケーキも評判。「父はこの道を極めた人。職人として尊敬しています」

ヨーロッパで修業を積んだ次男・康生さんが作るモダンなケーキも評判。「父はこの道を極めた人。職人として尊敬しています」

 素朴な花々を描いたクラシカルなケーキ。当初抱いていたそんな印象は、ある意味、鮮やかに覆された。一台一台、武藤さんが生み出しているのは、伝統だけを頑なに守ったケーキではない。クリームも図案も、52年間、ただひと筋に自分の道を見つめて手を動かしてきた人の、思案と工夫の結晶。そして、それは今も進化している。

「まだまだ、道半ばです。そう思っていないと、前進できませんから。人間国宝になられた方でも、同じようにおっしゃる。終わりのない世界を目指すなら、どんな仕事でもそうでしょう? 町場のケーキ屋が、この程度で満足しているわけにはいきません。どうにかして自分の思うものを作ろうと、日々、汗をかくのが職人。でも、所詮はケーキですからね。見た人がきれいだなぁ、おいしいなぁと思って食べてくだされば、それでいい。お菓子屋冥利に尽きると思います」

画像: 住宅街になじんだ店構え。故・石原裕次郎など著名人の顧客も

住宅街になじんだ店構え。故・石原裕次郎など著名人の顧客も

パーラー ローレル
住所:東京都世田谷区奥沢7-24-3
電話:03(3701)2420
営業時間:9:30〜19:00
定休日:無休

 

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