「ヴーヴ・クリコ」の創業250年を記念し、『Veuve Clicquot Solaire Culture (ヴーヴ・クリコ ソレール カルチャー)~太陽のように輝く250年の軌跡~』が開催されている。見どころのひとつは、世界で活躍する7名のアーティストによる、メゾンを牽引したマダム・クリコの肖像画だ。作品を手がけた漫画家・安野モヨコに話を聞いた

BY KIMIKO ANZAI

 1772年の創業以来、華やかで品格ある最高級のシャンパーニュを造り続けてきた「ヴーヴ・クリコ」。創業250年を記念し、『Veuve Clicquot Solaire Culture (ヴーヴ・クリコ ソレール カルチャー) ~太陽のように輝く250年の軌跡~』が開催中だ。メゾンの歴史的アーカイブやブランドのアイコニックなオブジェの数々が展示されるほか、7名の世界的アーティストによるマダム・クリコの肖像画が話題を呼んでいる。

 マダム・クリコは夫亡き後、自らメゾンの指揮を執り、会社を大きく発展させた人物。草間彌生やフランスのイネス・ロンジュヴィアルなど錚々たるアーティストが、彼女の偉業に敬意を表しつつ、イマジネーションを駆使して”マダム・クリコ”というひとりの女性を新しく描き出す。その作品群の中でひときわ心惹かれたのが、漫画家の安野モヨコによる作品だ。そこにいるのは、若く、可憐で美しいマダム・クリコだった。

画像: 安野モヨコによる作品。単一年のブドウで造る”ヴィンテージ“の考案もマダム・クリコの功績のひとつ。1810年、マダム・クリコがその概念に気づいたときの様子が描かれている COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

安野モヨコによる作品。単一年のブドウで造る”ヴィンテージ“の考案もマダム・クリコの功績のひとつ。1810年、マダム・クリコがその概念に気づいたときの様子が描かれている
COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

 最初に感じたのは、現存する肖像画とは異なるという小さな違和感。だが、作品には不思議なエネルギーがあり、まるで時空を超えて、マダム・クリコが愛したブージー村のブドウ畑に彼女が佇んでいるかのような錯覚さえ覚えたのだ。そこで、安野さんに話を聞いてみた。

画像: 安野モヨコ 漫画家 『ハッピーマニア』『働きマン』『さくらん』などの作品がある。「I’m home.」で『ふしん道楽』、「FEEL YOUNG」で『後ハッピーマニア』を連載中。着物を愛し、2020年に自身の着物ブランド<百葉堂(ひゃくようどう)>をスタート。シャンパーニュが大好きで、週末は屋上テラスで夫とともに楽しんでいる https://annomoyoco.com https://www.hyakuyoudo.com/ COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

安野モヨコ 漫画家
『ハッピーマニア』『働きマン』『さくらん』などの作品がある。「I’m home.」で『ふしん道楽』、「FEEL YOUNG」で『後ハッピーマニア』を連載中。着物を愛し、2020年に自身の着物ブランド<百葉堂(ひゃくようどう)>をスタート。シャンパーニュが大好きで、週末は屋上テラスで夫とともに楽しんでいる
https://annomoyoco.com
https://www.hyakuyoudo.com/
COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

 なぜ若かりし日のマダム・クリコを描いたのかを尋ねると、こんな答えが返ってきた。「ヴーヴ・クリコは大好きで、よくいただいていました。でも、マダム・クリコのことは、詳しくは知らなくて。このお話をいただいてからマダム・クリコについて学びました。彼女が生きた時代は、女性がビジネスをすることなど考えられなかった時代。未亡人という立場で頑張って、いろいろなものと戦ってきたのだろうな、大変だったろうな、と当時の彼女に思いを馳せました。残されているマダム・クリコの肖像画は、かなり貫禄がありますが、きっと彼女にも若くて可憐な時代があったはず。私だったら、その姿を描いてもらえたらうれしい(笑)。だから、その頃の彼女を描きたいと思いました」。

 たしかに現存するマダム・クリコの肖像画は、メゾンに繁栄をもたらした女性当主そのものの貫禄ぶり。多数の苦難を乗り越えてきたことを物語っている。だが、安野さんが心を寄せたのは、”マダム・クリコの若かりし時代”。メゾンを守ることを決意し、強くあろうとした頃の可憐なマダム・クリコだった。

 安野さんの作品には、登場人物たちの心の襞からこぼれ落ちるような小さな感情のかけらがこまやかに表現されている描写が多数みられるが、このマダム・クリコを描いた作品にも、安野さんならではの繊細な視線が感じられる。眺めていると、ここで描かれている可憐な頃から偉業を成し遂げて風格を纏う晩年まで、マダム・クリコの人生がひとつの線となって浮かび上がるのだ。

画像: マダム・クリコ(1777~1866年)。1805年に未亡人となり、メゾンを引き継ぐことを決意。当時、ナポレオンの大陸封鎖令の下にありながらロシア宮廷へ自社のシャンパーニュを売り込み、メゾンを大きく発展させた。次々と革新的な手法を提案し、シャンパーニュ地方を牽引した COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

マダム・クリコ(1777~1866年)。1805年に未亡人となり、メゾンを引き継ぐことを決意。当時、ナポレオンの大陸封鎖令の下にありながらロシア宮廷へ自社のシャンパーニュを売り込み、メゾンを大きく発展させた。次々と革新的な手法を提案し、シャンパーニュ地方を牽引した
COURTESY OF VEUVE CLICQUOT

 安野さんはこう続ける。「ボトルの澱を集めるルミュアージュのための動瓶台の発明や、ブレンドスタイルのロゼの発案、‟ヴィンテージ”の魅力に気づくなど、マダム・クリコは先見の明に富んでいて、当時の男性社会の中で先手先手で実行に移して行った。その発想と情熱もすごいと思いました。そのためには冷静さも必要で、本当に賢い女性だったのでしょうね」。

 作品を描くにあたり安野さんが苦労したのは、当時のマダム・クリコがブドウ畑で纏っていたであろう衣類の資料がなかったことだという。

「貴族の女性の服装に関する文献は多いのですが、上流階級の一般の女性がブドウ畑で着るような衣類の資料がなく、ブランド担当者のかたと相談しながら、あのドレスにしました。ドレスと作業着の中間ですね(笑)。でも、描いていてとても楽しかったです。私は植物を描くのが好きで、特にブドウの葉が描いていて一番楽しい。枝から伸びる蔓の形に惹かれます(笑)」。

画像: 作中のマダム・クリコのドレスに配慮する美意識は安野さん独自のもの。そのセンスは自身が手がける着物ブランドにも貫かれる。この日、安野さんが纏っていた夏小紋「乙女百合」(孔雀碧)と、名古屋帯「簪」( 砂色)も、自身のデザインによるもの PHOTOGRAPH BY NORIO KIDERA

作中のマダム・クリコのドレスに配慮する美意識は安野さん独自のもの。そのセンスは自身が手がける着物ブランドにも貫かれる。この日、安野さんが纏っていた夏小紋「乙女百合」(孔雀碧)と、名古屋帯「簪」( 砂色)も、自身のデザインによるもの
PHOTOGRAPH BY NORIO KIDERA

 最後に、植物が大好きだという安野さんにこんな質問をしてみた。もし、マダム・クリコを花にたとえるなら?

 「白い芍薬でしょうか。大輪で華やか、そして強い。力いっぱい咲いて、ある日、ぽとりと花を落とす。マダム・クリコそのものをイメージさせます」。

『Veuve Clicquot Solaire Culture(ヴーヴ・クリコ ソレール カルチャー) ~太陽のように輝く250年の軌跡~』
会期:~7月10(日)まで
会場:「jing(ジング)」
住所:東京都渋谷区神宮前6-35-6
時間:11:00~21:00(最終入場20:00) 
会期中無休
入場料:無料 (20歳以上入場可) 
公式サイトはこちら

MHD モエ ヘネシー ディアジオ
TEL. 03(5217)9738

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