TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO
うたかたをめぐる、修道士ドン・ピエール・ペリニヨンの不断の努力
太陽王ルイ14世(1638-1715)と同時代を生きたベネディクト会の修道士ドン・ピエール・ペリニヨン(1638-1715)。彼はシャンパーニュの生みの親といわれているが、実は、現在のシャンパーニュのように泡立つワインを造ることにではなく、いかに泡立たないワインを造るかで苦心していた。そういうと驚かれる方がいるかもしれない。しかし、17世紀当時、発泡したワインは出来損ないだと思われていたのだ。
ワインはその醸造過程で、酵母がブドウの糖分をアルコールに変える際に、炭酸ガスが発生して泡立つ。地理的に高緯度にあるシャンパーニュ地方では、15世紀に始まった寒冷化の影響もあり、冬を迎えると途中でこのプロセスが止まってしまい、春になって暖かくなると酵母が目覚めて再び発酵を始め、樽や瓶の中で泡立ってしまうという現象が起きていた。
このシャンパーニュ地方モンターニュ・ド・ランスにあるオーヴィレール修道院は広大なブドウ畑を所有していたが、度重なる戦乱や略奪で16世紀末には荒廃していた。その後、再生が図られ、そこへ送り込まれたのが若き修道士ドン・ピエール・ペリニヨン。1668年のことである。執務長に任命された彼は、品質の高いワインを生産することを目指した。品質の高いワインとはすなわち泡立たないワインのことだ。彼はその後の人生の大半を泡との戦いに費やすこととなる。
太陽王の時代のパラダイム・シフト
ところで、これもまた意外に思われるだろうが、古くからシャンパーニュ地方で生産されていたワインは赤ワインがほとんどだった。その薄い赤茶の色合いから「山ウズラの目」と呼ばれていたワインは、シャンパーニュ地方のランス大聖堂で行われた歴代フランス王の戴冠式でも供されてきた。それを若き日のルイ14世も口にし、王のお気に入りとなった。絶対王政の時代である。王のお気に入りは皆のお気に入りとなった。
若き王はまたバレエも愛好した。この辺りの模様はジェラール・コルビオ監督の映画『王は踊る』(2000年)で詳しく描かれている。太陽の化身として踊る王は、音楽とバレエを通じて自らの権力を誇示したのだ。1653年パリのプティ・ブルボン宮で上演された《王の夜のバレエ》は、その象徴的な作品である。この舞台で王と共に踊ったジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)は、この作品の一部を作曲したと伝えられる。フィレンツェ生まれのリュリはそれ以降、王のお気に入りとなり、国王付きの音楽家として隆盛を極めていく。数多くの「バレエ・ド・クール」(歌も伴った一種の舞踏劇)のほか、劇作家モリエールが台本を書いた「コメディ・バレエ」(舞踏喜劇)、「トラジェディ・リリック」(抒情悲劇)と呼ばれるフランス様式のオペラなど、王宮で繰り広げられた祝祭のための音楽を作曲し、王の栄華を讃えたのである。
しかし、リュリの晩年は悲劇的であった。ルイ14世は王妃が死去すると、マントノン侯爵夫人と私的に結婚する。敬虔なカトリック教徒であった夫人の影響を受けた王は、リュリのスキャンダルに嫌悪感を示し、彼を遠ざけるようになった。もはや王のお気に入りではなくなった彼は、懸命に寵愛を取り戻そうと、王の病気平癒を祈って《テ・デウム》を指揮するのだが、その最中、勢い余って指揮杖で足を突いてしまい、その傷が元であっけなく亡くなってしまう。このエピソードはよく知られているので、ご存じの方も多いだろう。
さて、好みが変わるのは王だけではない。ワインに話を戻すと、人々の嗜好も変わって、発泡性のワインも徐々に好まれるようになってきていた。イギリスではワインに加糖してから瓶詰めしてあえて発泡させるようにもなっていたという。
ドン・ピエール・ペリ二ヨンのそれまでの苦労は一体なんの為だったのだろうか。高品質な泡立たないワインのために、幾多の工夫を凝らしてきたのに、泡立つワインが好まれるようになるとは! とはいえ彼の試行錯誤の数々はけっして無駄ではなかった。地下の貯蔵庫での温度管理、黒ブドウから白ワインを造りだす製法の開発、異なる畑のブドウをブレンドする技法など、彼の試行錯誤から生まれた技と知見によって、オーヴィレール修道院のワインの品質はいまや格段に向上していた。そして今度は泡立つワインのために瓶の栓に初めてコルクを用いるなど、飽くなき探究心で「シャンパーニュの誕生」に貢献したのである。
<参考文献>
ジェラール・リジェ=べレール『シャンパン 泡の科学』(立花峰夫訳、白水社、2007年)
今谷和徳・井上さつき『フランス音楽史』(春秋社、2010年)
デズモンド・スアード『ワインと修道院』(朝倉文市・横山竹己訳、八坂書房、2011年)
ドン&ペティ・クラドストラップ『シャンパン歴史物語』(平田紀之訳、白水社、2007年)
▼あわせて読みたいおすすめ記事