モロッコのマラケシュを代表するモニュメントで、世界のホテルランキングでもトップを獲得してきた「LA MAMOUNIA」(ラ・マムーニア)が、コロナ禍にありながらもリノベーションを敢行し、一部ツーリストを受け入れ始めている。2020年年末、日本は第三波の渦中ではあるが、実際に11月に現地を取材する機会を得た経験から、コロナと共にある海外のホテルの事例として、また2021年の旅の指標の一つとして紹介したい

TEXT & PHOTOGRAPHS BY YUKA OKADA

 マラケシュを訪れたことがある旅慣れた読者であれば、一度はモロッコを代表するホテル「LA MAMOUNIA」(ラ・マムーニア)の名前を耳にしたことがあるのではないだろうか。

画像: マラケシュの旧市街を囲む12世紀のカスバ(城壁)内にある「ラ・マムーニア」。アーティストである大竹伸朗の名著で、1994年に出版したモロッコ日記こと『カスバの男』にも登場するモロッコを代表するホテル COURTESY OF LA MAMOUNIA

マラケシュの旧市街を囲む12世紀のカスバ(城壁)内にある「ラ・マムーニア」。アーティストである大竹伸朗の名著で、1994年に出版したモロッコ日記こと『カスバの男』にも登場するモロッコを代表するホテル
COURTESY OF LA MAMOUNIA

 18世紀にシディ・モハメド・ベン・アブダラ王が息子たちの婚姻のお祝いとして邸宅と共に贈った複数の庭園のうち、約3万平方メートルもの広さを誇る最も有名な一つに、1923年、二人のモロッコ人建築家によって僅か50室の格調あるホテルが建設された。その後、5度のリノベーションによって210室まで拡張され、「ラ・マムーニアは世界でもっとも愛すべき場所」という言葉を遺した英国首相のウィンストン・チャーチル、この地にクリエイティビティを触発されマラケシュを終の住処としたイヴ・サンローランをはじめ、数々のレジェンドが定宿として滞在。各国のロイヤルファミリー、スターとの結び付きも深く、アルフレッド・ヒッチコックは『知りすぎていた男』(1955年)をここで撮影し、ローリング・ストーンズやエルトン・ジョン、2010年から始まったマラケシュ国際映画祭ではメインスポンサーとして名だたる映画人を受け入れるなど、ラ・マムーニアはマラケシュのモニュメントとして堂々たる歴史を刻んできた。

 ラ・マムーニアの全ての部屋に付属するテラスに出て迎える朝は、アフリカならではの色彩に溢れ、生命力に満ちた植物が森の如く生茂る庭園に住む鳥たちの大合唱で目覚める。やがて昇る太陽に照らされ、土埃で煙るアトラス山脈の稜線と彼方まで続く赤茶けた大地が浮かび上がる風景は、恍惚感をもたらすと共に、凝り固まった心身が自然と溶け合う時間を今まで以上に必要としている私たちを癒してやまない。ラグジュアリーとは究極スペース(広さ)であるとは通説だが、ラ・マムーニアの圧倒的な包容力は、非日常に自己解放を求める旅の本質そのものだ。

画像: ある朝のテラスからの眺め。彼方の稜線は、モロッコを訪れる多くのツーリストが目指す、先住のベルベル人の村々が点在するアトラス山脈。滞在中、長閑にも小鳥が部屋に迷い込む一幕も

ある朝のテラスからの眺め。彼方の稜線は、モロッコを訪れる多くのツーリストが目指す、先住のベルベル人の村々が点在するアトラス山脈。滞在中、長閑にも小鳥が部屋に迷い込む一幕も

画像: 壁面の木彫り、ゼリージュと呼ばれる素焼きのタイルを組み合わせた幾何学模様、夜は細密な模様を浮かび上がらせる金属細工の照明、家具のウッドワーク、手織りのテキスタイルなど、イスラム装飾をベースにしたモロッコの建築工芸が集約したスイート COURTESY OF LA MAMOUNIA

壁面の木彫り、ゼリージュと呼ばれる素焼きのタイルを組み合わせた幾何学模様、夜は細密な模様を浮かび上がらせる金属細工の照明、家具のウッドワーク、手織りのテキスタイルなど、イスラム装飾をベースにしたモロッコの建築工芸が集約したスイート
COURTESY OF LA MAMOUNIA

 世界が新型コロナウイルスに見舞われた2020年、ラ・マムーニアは5年以上前から準備していた6度目となるリノベーションを終え、春先から約半年間の休業を経て10月に営業を再開した。近年のグローバルなトラベラーとフーディのリアルな欲求に対応するため、これまでフォーマルなスタイルを売りにしてきたフレンチとイタリアンの両レストランが、より軽快にカジュアルに、いずれもジャン–ジョルジュ・ヴォンゲリスティンによる東南アジアにフォーカスしたダイニング「L’ ASIATIQUE」(ラジアティック)とトラットリア「L’ ITALIAN」(ルタリアン)に生まれ変わった。

画像: 世界13カ国に40以上のレストランを持つジャン-ジョルジュ・ヴォンゲリスティンだが、アフリカは今回が初進出。2020年はコロナの影響で多くのスタッフを手放した一方、勉強熱心なモロッコの料理人との新たな協業に高揚しているとも語った

世界13カ国に40以上のレストランを持つジャン-ジョルジュ・ヴォンゲリスティンだが、アフリカは今回が初進出。2020年はコロナの影響で多くのスタッフを手放した一方、勉強熱心なモロッコの料理人との新たな協業に高揚しているとも語った

 特に「L’ ASIATIQUE」は、ここ数年でマラケシュに誕生したマンダリン・オリエンタルの中華料理、アマンジェナの日本料理レストランなど、ゲストの大半を占める欧米の観光客にとってアジア料理がスタンダードと化したことを無視できないゆえの改革だったという。ジャン–ジョルジュは20 年余りにわたりミシュランスターを獲得し続けるニューヨークのフラッグシップを筆頭に、東京・六本木も含め世界にあらゆるジャンルの40ものレストランを展開。アルザスの名店「L' AUBERGE DE L' ILL 」(オーベルジュ・ド・リル)などで修行し、自身の店を持つ以前はバンコクのオリエンタルホテルやシンガポールと香港のマンダリンでも腕を磨き、以降、旅からインスピレーションを得たフレッシュで独創的なフレンチを持ち味としている。

モロッコは、雨が多く温暖な地中海側で栽培されるオリーブやオレンジ、オーガニックオイルとして人気のアルガンなどで知られる通り、想像を超えて豊かな食材と肥沃な土地に恵まれた国。果物の多くはジブラルタル海峡を跨いだ欧州にも輸出され、百戦錬磨のジャン–ジョルジュも「ここではロブスターやマトウダイ、野菜や柑橘類、欲しい食材は全て、市場だけでなく農家を通じても手に入る。メディナなどで量り売りされているスパイスの文化も想像力をかき立てられる」と話す。

画像: ジャン–ジョルジュ流の冒険心にあふれたアジア料理から。スパイスを使ったチキンサモサはコリアンダーソース、焦がしフォアグラの餃子はブラックトリュフのディップで COURTESY OF LA MAMOUNIA

ジャン–ジョルジュ流の冒険心にあふれたアジア料理から。スパイスを使ったチキンサモサはコリアンダーソース、焦がしフォアグラの餃子はブラックトリュフのディップで
COURTESY OF LA MAMOUNIA

 さらに今回のリニューアルでは、遡ること2017年にラ・マムーニア内にアフリカ初のブティックをオープンして以来、ホテルのデザートの全体的な監修を手掛けてきた“ペストリー界のピカソ”ことピエール・エルメによる、新しいサロン・ド・テも誕生。ジャン–ジョルジュとピエール・エルメは共にアルザス出身の同郷でも知られ、「L’ ASIATIQUE」と「L’ ITALIAN」もスイーツのメニューだけはエルメが監修するなど、そこには男同志の友情も見て取れる。

画像: 「来るたびに発見があり、とにかくモロッコの文化にはまっている」と語ったピエール・エルメ。ラ・マムーニアの新生サロン・ド・テではスイーツはもちろん、クロワッサンやロブスターロールなど、世界で50店舗を数える他店では味わえないここだけのメニューにも注目 COURTESY OF LA MAMOUNIA

「来るたびに発見があり、とにかくモロッコの文化にはまっている」と語ったピエール・エルメ。ラ・マムーニアの新生サロン・ド・テではスイーツはもちろん、クロワッサンやロブスターロールなど、世界で50店舗を数える他店では味わえないここだけのメニューにも注目
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