無類の虫好き少年たちが、生命を探求する生物学者と、虫の息遣いをも写しとる細密画家になった。出会った瞬間から既知の友人のように虫の話を始めたという福岡伸一氏と舘野 鴻氏。ふたりの対話は、どこまでも虫の視線から離れない

BY CHIWAKO MIYAUCHI, PHOTOGRAPHS BY DAISUKE ARAKI

画像: 福岡さんが手に持つ虫採り網は、舘野さん愛用の絹仕様の職人道具。花壇にさしかかったとき突然、上空から舞い降りてきた美しいアオスジアゲハに、網を出すのも忘れてふたりとも大はしゃぎ。「虫ってめったに採れないんです。だから虫好きの人生の95%は失望から成り立っている」(福岡)「でも、その敗北が面白い」(舘野)「虫好きの人間はある種の諦観が鍛えられますね」(福岡) ほかの写真をみる

福岡さんが手に持つ虫採り網は、舘野さん愛用の絹仕様の職人道具。花壇にさしかかったとき突然、上空から舞い降りてきた美しいアオスジアゲハに、網を出すのも忘れてふたりとも大はしゃぎ。「虫ってめったに採れないんです。だから虫好きの人生の95%は失望から成り立っている」(福岡)「でも、その敗北が面白い」(舘野)「虫好きの人間はある種の諦観が鍛えられますね」(福岡)
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福岡 舘野さんのすごいところは、そういう虫たちの不思議な生態を、全部自分で調べて観察して描くことです。地面に這いつくばって、観察実験を重ねて。ツチハンミョウの幼虫がハチのおなかに張りついて運ばれ、何百匹も振り落とされつつもようやくたどり着いた花の雄しべにじっと止まって次に自分たちを運んでくれるハナバチを待つ。そのハナバチにピッと張りついて巣穴に連れていってもらい、ハナバチが自分の子どもたちを育てるために作った花粉団子を食べて、ツチハンミョウの子がやっと成虫になる。これは誰が教えてくれたわけじゃない。すべて舘野さんが調べてその不思議な生態を解明したわけです。足掛け何年かかりましたか?

舘野 気がついたら10年たっていました。食えないわけです。ただ私は虫の観察から物事の見方を教わったので、そこだけは踏みはずしたくないと思っています。

福岡 私も舘野さんも、生まれた瞬間から虫が好きなんです。Born to love MUSHI。子どもはまず最初に触れたものが好きになるのですが、われわれの場合はそれが虫だった。虫のどこに魅入られるかはそれぞれ違いますが、私はチョウチョウで......。

舘野 「チョウ屋」ですね。僕は「オサ屋」でした。中学1年のときに入った生物部で、地理的変異の多いオサムシという甲虫を知って、昆虫の世界の面白さに目覚めた。それが虫の形態、生態、生息環境を注意深く見るようになったきっかけで、本州にはいないキラキラ光るオサムシを採りたくて、北海道の大学に進んだんです。

画像: 雨上がりの代々木公園の杜で虫探索。チョウ好きの福岡さんは空を見上げ、地中の虫好きの舘野さんは地面に目を凝らす ほかの写真をみる

雨上がりの代々木公園の杜で虫探索。チョウ好きの福岡さんは空を見上げ、地中の虫好きの舘野さんは地面に目を凝らす
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福岡 ほかの生物と違って、人間だけが子ども時代が長いんです。とくに性的なドライブがかかる前の時間は、世界がくっきりと見える。その時代に遭遇した昆虫たちから、きれいだな、不思議な形をしているなとか、自然の精妙さや美しさに驚く心を教わって、今日の自分があるということを実感しますね。

舘野 僕なんか虫の顔の区別というか、個体差がわかるようになりましたよ。それだけ虫と接してきた時間が長いので、安易に虫を擬人化した物語が苦手なんです。

福岡 私も同感です。『みなしごハッチ』は、ハチの坊やが母を訪ね歩く人気の物語ですが、あの設定はありえない。働き蜂はみんなメスで、まれに生まれるオスは野外で交尾だけする役目なんですから。イソップのアリとキリギリスの話も、ただの勤勉神話です。キリギリスは秋になったらみんな死んじゃうんだから、アリに後ろめたさを感じる必要なんてまるでない。虫たちはそうやって自分の生命を淡々と受け入れていて、そこが彼らの気高い生き方なのに、変に人間のヒューマニズムを投影させると、自然を曲げて見てしまうことになる。

画像: 新作の『がろあむし』より。日本昆虫界の珍虫、異端児といわれるガロアムシが最初に発見されたのは日本の中禅寺湖 ©2018, HIROSHI TATENO, ‘ROCK CRAWLER’ ほかの写真をみる

新作の『がろあむし』より。日本昆虫界の珍虫、異端児といわれるガロアムシが最初に発見されたのは日本の中禅寺湖
©2018, HIROSHI TATENO, ‘ROCK CRAWLER’
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舘野 おっしゃるとおりで、虫たちの生態を観察していると、その潔さ、勇敢さ、無垢さに心打たれます。向こうは何も言わないけれど、自分が映る気がする。たとえ寓話でも、その生態があまりにかけ離れていると、僕が大事に拾おうとしていたものが損なわれた気がして、気持ちが切れてしまうんですね。でも一方で、あまりに観察に時間をかけすぎて、最近はこのやり方に疲れてきている感じもある。

福岡 大丈夫ですよ。観察には時間がかかるんです。虫たちの本当の姿を捉えようと思ったら、試行錯誤を繰り返さなければいけない。フェルメールは43歳で死んだので、36枚しか絵が現存していませんが、あれだけ丁寧に世界をありのままに描いたからこそ、350年後に少しも色あせずに生き残っているんです。

舘野 僕がギフチョウを観察していたときは、まずチョウの生息するブナ林に目をつぶって寝っ転がるんです。人間は視覚があるとそれだけで判断してしまうので、まずそれを遮断する。すると音や匂いに敏感になって虫たちの気配が感じ取れる。

福岡 月夜の晩にツチハンミョウが穴から出てくる絵(下の絵)を見たとき、虫の息遣いや孤独な気配を感じて、あっ、これこそ熊田千佳慕の弟子だと思いました。

画像: 月夜の晩に成虫となったツチハンミョウが地中から這い出してくる幻想的な絵。『つちはんみょう』より。卵から孵った4,000匹の幼虫のうち、生き残れるのはわずか1~2匹だけ。ほのかな月明かりに浮かぶツチハンミョウの背中には、舘野氏が10年を費やした観察の中で感じた、深い孤独とたくましさが宿る ©2016, HIROSHI TATENO, ‘OIL BEETLE’ ほかの写真をみる

月夜の晩に成虫となったツチハンミョウが地中から這い出してくる幻想的な絵。『つちはんみょう』より。卵から孵った4,000匹の幼虫のうち、生き残れるのはわずか1~2匹だけ。ほのかな月明かりに浮かぶツチハンミョウの背中には、舘野氏が10年を費やした観察の中で感じた、深い孤独とたくましさが宿る
©2016, HIROSHI TATENO, ‘OIL BEETLE’
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舘野 林の中で寝転がってものを見ないのは怖いんですよ。ひょっとして俺、ムカデにかまれるかもしれないと思いつつ、我慢して見ない。だからスリル満点。

福岡 我慢して、ようやく目を開けた瞬間はどうですか?

舘野 世界がパーッと輝きますね。虫の形態を写生するのも重要ですが、その前段階として、ざくっと胸にくる何かがないと、何も起こらないんです。

福岡 それこそが虫少年時代に培ったセンス・オブ・ワンダーなのだと思います。

舘野 虫たちの生態は想定外ばかりだし、福岡先生が『動的平衡』で語られているように、生命は絶え間のない流れであって、それを写し取ることは不可能です。常に敗北の中で生きているようなものだけど、これは近づき続けるしかない。

福岡 絵描きのジレンマですね。でも、舘野さんにはヘラクレスオオカブトとか思いきり有名な虫も描いてほしいな。マイナーな虫と対比させて、お前はそんなに偉くもなんともないんだよという皮肉も込めて(笑)。

舘野 鴻(たての ひろし)
1968年神奈川県生まれ。札幌学院大学中退。幼少時より絵本画家の熊田千佳慕に師事。’86年、北海道に居を移し昆虫の観察を続けるが、大学在学中は演劇と音楽に熱中。’96年より神奈川県・秦野で本格的に生物画の仕事を始める。絵本に『しでむし』『ぎふちょう』『つちはんみょう』など

福岡伸一(ふくおか しんいち)
1959年東京都生まれ。京都大学卒業。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。分子生物学者としてのキャリアに裏打ちされた科学の視点と、抒情的な文章が人気を博し『生物と無生物のあいだ』がベストセラーに。『動的平衡』など著書多数

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