BY MASANOBU MATSUMOTO
「葛飾北斎が、富士山を臨む風景画シリーズ『冨嶽三十六景』を制作したのは、70歳を過ぎてからのことでした。それって、すごく励みになりませんか?」と漫画家・しりあがり寿は言う。「僕は今62歳だけど、数字的な可能性で言えば、まだこれから『冨嶽三十六景』に匹敵するものが描けるかもしれないってことですから」
浮世絵の代名詞となった『冨嶽三十六景』や、弟子用の絵の教科書でありながら当時のベストセラーになった『北斎漫画』など、美術史に残る名作を生み、90歳で逝くまで絵に没頭した画狂人・葛飾北斎。しりあがりは、たびたび敬愛する画家としてこの北斎の名を挙げてきた。
大きなきっかけは、2010年にリリースされた文庫版『北斎漫画』(青幻舎)のあとがきを担当したこと。以前から北斎の画業は知っていたが、改めてその作風の幅広さ、絵画活動の多彩さに驚いたのだと話す。「美人画から風景画まで、浮世絵だけでなく西洋画にも挑戦していて、また大衆の前で巨大な達磨(だるま)大師の顔を描く、ライブドローイングみたいなこともやっている。おそらく北斎は、絵を描くこと、また絵で人を楽しませたり、驚かせたりすることが好きで好きでしかたがなかったんだと思います。そんな北斎の姿勢にどこかシンパシーを感じたのです」
しりあがりが、2017年に制作した《ちょっと可笑しなほぼ三十六景》(発表は2018年)は、北斎に対するオマージュ作品である。《神奈川沖浪裏》の大浪と富士を、太陽フレアと地球に描き換えたり、《尾州不二見原》の桶職人が作る丸桶を、メビウスの輪にアレンジしたりーー北斎の『冨嶽三十六景』全46図に、クスっと笑える“いたずら”を施した。曰く「これは北斎の絵をベースにしたパロディの作品。当初は、十数枚描いて終わりにする予定だったのですが、意外に面白くてーー。結局、2ヶ月くらいで46枚すべて作り上げました」
こういったパロディはしりあがりの妙技である。薬物中毒の喜多さんとパートナーの弥次さんの異次元的な「伊勢参り」を描いた、初期の代表作『真夜中の弥次さん喜多さん』(マガジンハウス)は、十返捨一九の『東海道中膝栗毛』に題材を得たもの。水戸黄門、ドン・キホーテ、手塚治虫の『マグマ大使』など、誰もが知る名作を換骨奪胎した作品もある(しりあがりの作品は、順に『真夜中の水戸黄門』(KADOKAWA) 『“徘徊老人”ドン・キホーテ』(朝日新聞社)『懊悩!マモルくん』(マイクロマガジン社))。
「もともとパロディが好きだったというのもありますが、新しい作品を考えていると、たいてい似たようなものが過去に作られていることに気づくんです。たとえば、バブル時代を生き抜いた認知症の老人が、“良かったころの何か”を背負いながら現代日本を徘徊する話を描こうとする。すると、“あれ、これって『ドン・キホーテ』に似ているな”と。“だったら、もう『ドン・キホーテ』のパロディにしてしまおう!”ってなるわけです(笑)。まあ、みんなが知っているものをベースにしたほうが、より多くの人の興味を惹くだろうということもありますが」
そんな“パロディの達人”にとって、北斎は“パロディしがいのある”作家だと言う。「そもそも、良い作品であっても、印象に残らないものはパロディにしにくいんです。その点で北斎の絵は、色と形など造形的な個性が強く、ものすごく大胆。見た瞬間、バチッと鮮やかに目に残るものがあるんです。だから、そのポイントをちょっとだけ変えれば作品として成立する。その一方で変えすぎてしまうと台無しになってしまうーーそういう意味でも、北斎の絵はとても面白い」