今、アート界を支える権力構造に疑問の視線が注がれている。たとえば、倫理的に問題がある資金提供者の役割を問い直し、どんな属性を持つアーティストたちが美術館の展示スペースを与えられているのかという点に斬り込む、アクティビズム志向のアーティストたちがいる。彼らは、自分たちの経済的基盤を支え、自らの作品の展示場所でもある組織と真っ向から闘っている

BY MEGAN O’GRADY, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 世の中を変えるインパクトのあるアートは、これまでも常に私たちを魅了してきた。だが、なぜ今一気にその数が増え、これだけ強い影響力を持てるようになったのか? バーバラ・クルーガーが1990年に出版したエッセイ『What’s High, What’s Low― and Who Cares? (何が高尚で、何が下世話か―― そしてそれがどうしたと言うのだ?)』でこう書いている。アートとは、ある特定の時代を生きて感じていることをシンプルな方法で表現力豊かに見せて伝えることだ、と。ある時代は、その他の時代よりも変化が激しい。政治が一触即発の今、ふたたびアートが勢いづいている。説明責任を果たすよう求めることがさまざまなカルチャーにおいて威力を発揮する中、#MeTooやブラック・ライブズ・マターの運動が勃興してきた。

この秋は、「ウォール街を占拠せよ」運動の10周年に当たる。「ウォール街」の運動は、不均衡を助長する社会構造の存在を世に広く知らしめた。その社会構造の中には、芸術と文化の価値を保護すると喧伝しながら、実際には芸術と文化の価値を弱体化させるような勢力を支持してきた文化的権威も含まれている。自由という言葉の定義が、アライグマの毛皮の帽子を被り、裸の胸をむき出しにして米国議会議事堂に突入した男性たちによって乗っ取られた。または米国の歴史上、あらゆる場所で存在した人種差別について、教室内で教師たちに議論させないように抑圧する政治家たちによっても。私たちは、軍隊内で使用されている武器を所有するクレイジーな人間によって、スーパーマーケットで射殺される自由を持っている。富裕層が彼らの収入の0.1%しか税金を払わなくていいときに、私たちは収入の4分の1を税金で取られる自由がある。現代において、自由の価値とはいったい何か? 自由という概念は、その人が生まれた場所と皮膚の色によって、使える範囲が常に制限されている。だからこそ、アートを議論する場合、私たちが現状認識と修正を求めるのは必然なのだ。

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人種差別的なモニュメントの引き倒し方を説明したデコロナイズ・ディス・プレイスの2020年の作品。ニューヨークを拠点とする同グループは、社会構造に組み込まれた人種差別と人権侵害に反対するキャンペーンを展開している
CONTENT BY SARAH PARCAK, 2020, COURTESY OF DECOLONIZE THIS PLACE

写真内の文章内の意味は下記のとおりだ

「モニュメントの引き倒し方」サラ・パーカックのツイート(@indyfromspace)より
モニュメントを引き倒す際のポイントは、重力をうまく利用すること。最初に、縄ではなくチェーンを使う。像の一番上部にきつめにチェーンをひっかける。さらに一番上から3 分の1ほど下がったところに輪のようにチェーンをグルグルと巻きつける。
高さ3 mの像を倒すには40人以上が必要。6mの像を倒すには恐らく60人が必要になる。チェーンには強度の高い縄を結びつける。縄のほうがチェーンより手で握りやすいため。安全確保のため、全員必ず手袋をはめること(安全については以下にも細かく書いてある)。
下記の方法は、柱状のオベリスク像を倒す場合を想定している。
45mの長さの縄を2 本用意する。像が自分の上に落ちてこないように像から9m離れて立つこと(安全第一!)。全員がしっかりと縄を持てるように、縄の右側と左側に交互に立つこと。難しいのは調子を合わせて引っ張ること。
全員をふたつのグループに分け、像の両側に各グループを配置する。垂らした縄がとがった形になるように少し角度をつけ、縄の全長の3分の1ほどを引っ張る部分に使う。全員で一斉に前後に引く。前後に振り子のように動いて引き、像の後方部分を緩める。
リズムのとれる歌を口ずさみながら引くとよい。誰かがメガホンで指示を与える必要がある。叫ぶのはひとりだけでいい。縄の左右に交互に立ち、同じ側に固まって立たないこと。誰も像の近くに立ってはいけない。安全第一!
すべては物理の法則次第で、全員の協力が必要!実際に縄を引っ張る前に練習を何度かしておくとよい。引っ張るときには、間に停止する瞬間を入れる。引いたら止まって待つ。2 、3 、4 、5 、そしてまた引く。さらに待つ、2 、3 、4 、5 。全員が一緒に引いて、5 秒待つ。像が少し傾いてきたのがわかる。このパターンを維持せよ。もっと人数が必要になるかもしれない。可能な限り誰でも連れてくること‼
像が振り子のようにゆらゆらするまで引っ張り続ける。像がさらにもっともっと斜めになってくる。像が後ろに反り返るまでさらに引く。像が自分たちのほうに向かって倒れてきたら、ここぞとばかりに引く。心配するな、もう少しだ!
#abolishwhitesupremacy(白人至上主義を廃止せよ)#decolonizethisplace(デコロナイズ・ディス・プレイス)

 これらのグループはそれぞれ違った活動スタイルを持つ。デコロナイズ・ディス・プレイスが、デモと派手な演出で感情に訴えかけるのに対し(ニューヨークにある自然史博物館での2018年のデモには約1,000人が参加した)、フォレンジック・アーキテクチャーは事件を法廷に持ち込めるよう模索する。だがどちらにも共通するのは、アートが革命的なツールであることを信じ、アーティストたちと一般大衆がともに行動を起こすことの価値を重視する点だ。警察による暴力、先住民族の権利保護問題、収入格差や、地域開発によって低所得者層が居住区から締め出される現象など、数多くの問題を解決すべく、彼らは同じ目的を共有している(両グループとも、彼らとイデオロギー的に対立する相手との間で論争を呼び、それが過熱している。

直近では、親イスラエルの活動家たちが、デコロナイズ・ディス・プレイスとフォレンジック・アーキテクチャーの両方がパレスチナを支援していることが、ユダヤ人に対する暴力を助長したと主張した。両グループともその説を激しく否定している)。サファリランドの催涙ガスがパレスチナやファーガソンやボルティモアやエジプトや米国南部の国境など各地で使われるとともに、極端なナショナリズムや自らを犠牲者だとみなす論理が世界に波及していく(註:ミズーリ州のファーガソンでは2014年に、メリーランド州のボルティモアでは2015年に、黒人男性が警察官に殺害され、大規模な抗議デモと動乱につながった経緯がある)。

一方、アートと人権を合体させるこの新しい作品の潮流もまた同様に地域とアイデンティティを超えて普及し、個々の問題が孤立してしまうことはなくなった。世界中で草の根運動的に湧き上がるその他の社会運動と同様、アートと人権を合体させた作品づくりには、ある共通する側面がある。それは、作品の作り手が偉大な男女であるとか、アーティストはスーパースターだという考え方を拒絶する点だ。それはアンチ商業主義であり、アンチ作家主義で、大事なのはあくまで関係性だという考え方だ。それぞれがプロとしての専門知識を発揮し、協力して作品を作ることで、誰もが勇気を持って凝り固まった権力の不均衡に斬り込んでいける。

 これらのグループに共通する信念はアートの自己認識性だ。つまりそれは、過程がわかりやすく、見てぱっと理解でき、複雑でわかりにくい状況や噓の情報を、具体的なデータを使って粉砕するということだ。アートという道具を使い、人々や組織や企業に説明責任を果たさせるわけだ。現代のアクティビスト・アートの多くが、データを並べ替え、とりまとめることによって作られていること自体が、私たちが生きる今という時を物語っている。あえて無知でいることを選択する人間が今ほど大量にいる時代は、歴史上かつてなかったかもしれない。フェイクニュースとポスト真実の世界では、陰謀論とバカげた理論(仕組まれた不正選挙という概念や、宇宙から飛んでくるレーザー光線が火災を引き起こす原因となる、など)が、シリコンバレーのコーディング技術者たちがそれらをブロックするよりも速いスピードであっという間にネット上に蔓延していった。

そんな世の中では、データが真の権威となり、パンデミックや批判的人種理論(註:白人優位主義の考え方が法律や制度を通して、今も社会に組み込まれたまま存在しているという理論)や、ごく一般的なバイアスまで、すべてを議論し尽くす必要があるのだ。これは何も権威的な組織の中だけの議論ではない。個人個人の間でも議論することが必然の時代となっている。もはや信頼できる人は誰もいない。私たちは、誰もが自分に都合がいいように情報を歪曲していると考える。確かな証拠を目にするまで、人の言うことは信じない。偽情報がまき散らされる中、実際に事実に基づいた情報を提供する大学や科学者やジャーナリストたちが過小評価され、活動資金を削減されたりしている。紛れもない真実に似た何かを求める気持ちは、すべての人にあるはずだ。だとしたら、お互いを思いやるきっかけや会話の糸口になるようなアートだけでなく、分断と和解を繰り返すこの世界をもっと理解可能なものにし、具体的な解決法につながるようなアートを私たちが欲していることにも説明がつく。アートというものは――その精密に作られた形状や、とことん細部にこだわった職人技ゆえに――不正義と闘うツールであり、まるで敵と刀で対峙する戦場にUSBフラッシュドライブを持っていくようなものだ。だが、それは、私たちが持つ最強の武器なのかもしれない。

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