今、アート界を支える権力構造に疑問の視線が注がれている。たとえば、倫理的に問題がある資金提供者の役割を問い直し、どんな属性を持つアーティストたちが美術館の展示スペースを与えられているのかという点に斬り込む、アクティビズム志向のアーティストたちがいる。彼らは、自分たちの経済的基盤を支え、自らの作品の展示場所でもある組織と真っ向から闘っている

BY MEGAN O’GRADY, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 現代社会ではあらゆる場所で不平等が目に見える形で存在している。たとえばヨルダン川西岸地区の分離壁がそうだ。壁の片側には新しく美しい公園が広がり、反対側には石油化学工場がある。ユダヤ系で51歳のワイツマンは、イスラエルのハイファで育ち、政治と権力の構造が当地でははっきりと可視化されていることをかなり長い文章で綴っている。「イスラエルがやっている人種隔離政策は、あらゆる建設物にはっきりと現れている。街がどう作られているか、共同体がどう分布しているか、道路がどう走っているか、木々はどこに植樹されているか、新興住宅がどこに建設されているか。どの道が陸橋になっているか、どこにトンネルがあるか。政治によって建築物が実際にどう建てられるかが決まり、政治が3次元の空間を支配する。私たちは政治の中に住んでいる。政治はニュース記事で読むものじゃない。私たちがうっかりして頭をぶつけてしまうようなものなんだ」と彼は言う。建築を学ぶ学生として文章を書くことと研究に没頭していた彼は、若い頃、ラマッラ(註:パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の都市)にあるパレスチナ政府の都市計画省でボランティアをした。そこで彼は地図や航空写真などパレスチナ人がアクセスできないイスラエルの書類をコピーする仕事を与えられていた。

 だが、実際は、ほとんどの場合において、私たちの生活や健康状態を左右する強力な権力の存在を目の当たりにしたり、直接触れたりすることは難しい。人種差別を象徴する銅像を引き倒すことはできるが(ニューヨークの自然史博物館の前のセオドア・ルーズベルト像は、デコロナイズ・ディス・プレイスのデモ抗議により、来年撤去されることになった)、社会構造の中に組み込まれた人種差別はいまだ根深く残っている。過去10年以上の間、多くの著名なアーティストたちが、そんな目に見えない権力を目に見える具体的な形にしようと力を注いできた。AI技術が私たちを「監視する」様子を描いたトレヴァー・パグレンの作品や、ヒト・シュタイエルが2019年に銃による暴力の証言をもとに製作し、パーク・アベニュー・アーモリーで展示されたビデオ・インスタレーション作品の『Drill( ドリル)』などがその例だ。

フォレンジック・アーキテクチャーの場合、この「可視化」のプロセスでは、国家や企業が私たちを監視する際に使う技術そのものを使用することが多い。まず、あらゆる種類の詳細なデータを集める。たとえば、目撃者の証言や、リークされた映像、写真、ビデオ、ソーシャルメディアの投稿、地図や衛星写真などだ。それらが情報を構築するプラットフォームとなる。さらに情報を相互に照らし合わせて、別々に起きた出来事の間に存在する隠されたつながりを明らかにしていく。革命を起こす場合、21世紀の今でも、いかに人々の感情と思考をつかむことができるかが重要だが、今の時代はテクノロジーの闘いがそこに加わる。

 ワイツマンに自分のことをアーティストだと思っているかと尋ねると、彼はドイツ人映画監督のハルーン・ファロッキについて語った。ファロッキはフォレンジック・アーキテクチャーを立ち上げる際のインスピレーションの源的存在でもあった。さらにファロッキは、2014年に亡くなったとき、F.A.の活動を題材に映画を撮影していた。「彼は、我々の活動を鳥が巣を作る行為にたとえていた」とワイツマンは言う。「葦を少し、それに、ナイロンやプラスチックや木の葉を少しずつ集めると、いつしかそれらが合わさってひとつの塊になる。

つまりそこには建設するという行為がある。建設には常に想像力がつきものだが、想像力によって真実の価値が減ることはない。芸術作品から真実そのものが湧き出てくるから」。F.A.は衛星写真や航空写真や何世紀も前の歴史的な記録を使って、時系列を追って証拠を構築する。そんな証拠を使って、起こり得たことと証明可能なことの間にあるギャップを埋め、真実を証明する条件を満たしていく(それは、ワイツマンいわく、空気や水のように私たちにとって必要なものだ)。ファロッキは、自作品の中で監視カメラの映像を使い、通常目には見えないが、存在する現実を指摘した。また、エロール・モリスなどのドキュメンタリー映画監督は、再現映像によって、主観的な記憶や証言を形にして見せる。そんな彼らとF.A.が違うのは、どんなに厳密に精査されようとも、裁判の証拠として十分通用するビデオ作品を製作するという点だ。情報提供者の安全を守るのはF.A.にとって最も大事なことだ。機密情報をやりとりするミーティングは冷蔵庫と呼ばれる特別室で行われ、この部屋に携帯電話は持ち込めない決まりだ。危険な状況に置かれた情報提供者の情報は、コンピュータではなく、紙に書いて保存する。

 F.A.の作品は、膨大な量の細かい証拠を集積し、時間を逆にたどり、何が起きたのかを検証していく。検証する時間のスパンはごく短いこともある。たとえば、マーク・ダガンが銃で撃たれたのは、ほんの数秒の出来事だった。また、別のケースでは、非常に長い時間をさかのぼることもある。ルイジアナの調査では、ミシシッピ川に最初に奴隷の人々が住み着いてから、現在、同地が「がんの道」と呼ばれるようになるまでの間に3世紀の時間が流れている。「がんの道」という名称は、黒人住民が大多数の同地のコミュニティ内で、がんの罹患率が1980年代に急上昇したことに由来する。そして、この地は次第に「死の道」とまで呼ばれるようになり、その呼び名により、搾取の歴史がいっそう明確になった。「私たちの先祖はこの石油化学産業にすべてを賭して反対し、最前線で闘ってきた」と語るのは、ルイジアナ・プロジェクトのコーディネーターを務めるイマニ・ジャクリーン・ブラウンだ。「奴隷制とは」と彼女は記す。「一定の人口を犠牲にし、その生命と労働を他人の利益を生み出すために搾取し尽くすという概念を生んだだけでなく、文字どおり、石油化学工場を迎えるための地ならしでもあった」

 F.A.の作品の多くは短いビデオ作品で、彼らの情報源の素材と情報収集の手法を、細部にわたって分析して見せる。視覚的に刺激がないというわけではないが、学会のプレゼンテーションのような感じで、刑事法廷で提出される証拠品のように見える。ルイジアナ・プロジェクトは、この6月にギャラリーや美術館ではなく、ニューヨーク・タイムズ紙のホームページ上で、同紙のビデオチームが製作した短いビデオの中で一般公開され、大きな反響を呼んだ。このプロジェクトの中に、3Dモデルと詳細な製図技術により、ルイジアナの土地利用が時代の中でどう変化してきたのかを表している部分がある。

実はこれは、F.A.が実際に調査した現地から大西洋にかけての道の途中にあるアートスペースで展示されていた作品の一部でもある。そして、それは偶然ではない。ルイジアナにあるほとんどすべての
文化施設が、石油化学産業とガス産業から運営資金を得ている。現代アートは権力装置を批判し、超越するが、実は現代アートの中核には、その権力装置が深く埋め込まれているという皮肉な状況があ
るのだ。結局のところ、アートの生態系は、地球規模で支配力を持つ権力を鏡に映したようなものであるという複雑な事実を明らかにするのが、F.A.が伝えるもともとのストーリーの中心部分だ。2002
年にワイツマンと彼のテルアビブ事務所のパートナー、ラフィ・シーガルは、ベルリンで開催される世界建築会議にイスラエル代表として招待された。ふたりはイスラエルの入植地がヨルダン川西岸地
区の空間でどのように分布し、政治がその地理的分布にどう影響しているかを詳細に調べるプロジェクトを行なっていた。だが、Israel Association of UnitedArchitects(イスラエル建築家連合協会)は、いきなりこのプロジェクトの中止を宣言してきた。この検閲事件は大きく報道され、すぐに反響を呼び、この作品はニューヨークの「Storefront for Art and Architecture(註:マンハッタンにある非
営利のアート・建築組織でギャラリーを有する)」で2003年に展示された。

2004年にはワイツマンとアンセルム・フランケが共同で『Territories(領地)』というタイトルの展示を行なった。これは空間をめぐる争いに焦点を当てた作品だ。政府がいかに風景や住宅やインフラを破壊しつつ国家というものを建設していくかを表現した。それはまた、豪華で煌びやかな開発を離れ、地域住民と政治的に関わり合う建設に移行するという建築界におけるシフトの一例でもある。住民と密接に関わり合う建築は、坂 茂やレム・コールハースなどの建築家によって過去10年間にわたってすでに着手されており、特に気候変動や不平等の問題の解決法を模索するものが目立つ。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジがワイツマンを2005年に建築学部の教員として雇用したとき、大学は、既存のスタジオを基本とした建築教育ではない、新しい教育モデルを打ち立てることを目的としていた。改革とアクティビズムの役割を担うことを希望する建築家が自由に腕を振るえる場所として。

「私たちは『自分たちがやるべきことをアートでなら実現できる』と思ったんだ」とワイツマンは乾いたユーモアたっぷりに私に言う。「そこで気づいた。『いや、ここではまた別の闘いをしなくちゃいけないぞ』と」。ワイツマンが、サファリランドとカンダースの関係について書かれた記事を読んだとき、彼はすでにホイットニー・ビエンナーレから展示をしてほしいと頼まれていた。すると彼は、とっさに2016年にヨルダン川西岸地区で行われたデモに参加したときのことを思い出した。「私は若い女性と一緒にイスラエル軍のいるほうに向かって走っていた。すると軍が私たちに向かって催涙ガス弾を撃ってきた。それが彼女の頭に当たったんだ」と彼は語る。「彼女を助けたあと、その催涙ガス弾の容器を見て、写真を撮った。そしてあとでカンダースのことを聞いたとき、同じ催涙ガスを自分も吸い込んでいたことに気づいたんだ。目や鼻にガスが染み込み、涙と鼻水が止まらず、ものすごく苦痛で、極度の刺激が身体を襲った。そして2017年の時点で『そうか。ちょっと待てよ。自分に向けて撃たれたあの物質が、自分たちの作品を作る資金を提供しているってことか』と気づいた。そして、私たちはほかのアーティストたちとは少し違った立場であることも自負していた。現場に人員を送れるし、技術もある。現場を調査することができると。私たちはこの作品で、アート界を、説明責任をきちんと果たす場所に変えたかったんだ」

「死の道」の調査結果は10月にルイジアナのコミュニティ・スペースなどで展示される予定だ。ルイジアナ・プロジェクトのブラウンはいずれこの調査のプラットフォームが、地元のアクティビスト・グループに引き継がれることを望んでいる。F.A.が伝える文脈は人々の感情を大きく波立たせたり、究極の美を表現したりするものではないが、少しずつ人々の心に浸透していく力がある。もし暴力の中に美が存在するのなら、その暴力が地上に残した足跡にも美が宿っているはずだ。ブラウンは自分のチームとともに、航空写真と比較しながら、古地図上に示された不規則な印をなぞっていく。その印の場所は、奴隷だった人々がかつて仲間たちを埋葬した墓地である可能性が高い。そしてブラウンは一本の樫の木を指さした。それは愛する人々を埋葬した際に、墓標にする石が手に入らず、石のかわりに目印として植えた木々のうち、今も残る最後の一本だった。ブラウンも私も一瞬言葉を失った。

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