BY MAKIKO HARAGA, PHOTOGRAPHS BY NORIO KIDERA
「僕らは能登の自然の流れに合わせて生きてきたし、
僕らが作る料理のひと皿ひと皿に、
この土地に流れる空気がのっているんです」─池端隼也
常連客と談笑する池端隼也(左)と河上美知男。河上は自身の居酒屋「連」を2025年に再開する予定で準備していた矢先、豪雨で店舗の1階が浸水した。片付けに追われるなか、この日は久しぶりに「芽吹」の厨房に立った。
10月1日の夜。石川県輪島市のマリンタウン地区にある居酒屋「mebuki-芽吹-」(以下「芽吹」)に灯りがともると、常連客がひとり、またひとりとやってきて、カウンター席に座った。
元日の大地震で深く傷ついた輪島は9 月21日、今度は記録的な豪雨に見舞われた。ようやく夜の営業を再開できたこの日、「芽吹」の"大将" である池端隼とし也や はカウンター越しに客たちと談笑しながら、旬を迎えたアオリイカをさばいていた。
池端はフレンチのシェフである。輪島市内に自ら構えていた「ラトリエ・ドゥ・ノト」は2021年にミシュラン一ツ星を獲得し、能登の食材をふんだんに使った料理で国内外の食通をうならせてきた。だが彼のその店は地震で全壊し、現在は休業している。
地震の直後から6月末まで、池端は料理人を中心とする仲間と炊き出しを続けた。そのときの13人と8月初旬に始めたのが、「芽吹」である。居酒屋、中華料理店、ラーメン屋などで腕をふるっていた料理人たちが、今はここで厨房をともにする。「店をみんなでわいわいやりながらできることが、ほんとうに幸せ」と池端は言う。

「輪島沖、宇出津港お刺身盛り合わせ」¥1,620。甘エビの青い卵はさっぱりとしたおいしさ。ほんのり甘く味わい深い輪島の「サクラ醤油」(谷川醸造)が新鮮なネタに合う。
毎日替わる「芽吹」のメニューには、新鮮な地元の食材を用いた品々が並ぶ。その中でどの客も迷わずに注文するのは、やはり刺身の盛り合わせだろう。
この日のネタはキジハタ、アオリイカ、カンパチ、バイ貝、サザエ、甘エビ。筆者はここまで生きのいい魚介の刺身を食べたことがない。アオリイカはこっくりとした甘さが、サザエはコリコリとした食感のあとに濃厚な味わいが、口の中に広がる。
「芽吹」のスタッフのひとり、田井太地は30歳の巻き網漁師だ。輪島港は石川県内で最大の水揚げ量を誇っていたが、地震で海底が隆起し、漁に出られない状態が続く。輪島を離れてほかの仕事に就いた人も少なくないが、田井は漁港の復活を待つと決めた。地元の食と酒を愛する彼は今、「芽吹」で接客に精を出す。
次に運ばれてきたのは、「大とろ茄子の船焼」。じっくりと焼かれたなすの実が、口に入れた途端に溶け出していく。

皮まで香ばしくて美味な「大とろ茄子の船焼」¥770
なすにのせた甘く香ばしい焼き味噌には、「立野味噌糀店」の味噌が使われている。地震で崩れた蔵の中を池端ら炊き出しメンバーが腹這い、みなで樽から運び出したものだ。店の全壊を受け、店主だった立野誠一朗は廃業を決めた。「芽吹」で働きながら大工として再出発を目指す。
なすはとろとろに焼かれてもみずみずしさを失わず、力強いうま味を放つ。生産する上田農園では、野菜は最適な時間帯に収穫される。なすは午前中に水分を多く含み、おいしくなるという。代表の上田拓郎は毎日畑にいて野菜から目を離さない。「両親の姿を見ながら一緒に育ち、野菜はきょうだいのような存在。僕にはその声が聞こえる」
地震で損傷した設備の復旧を進めていたところ、豪雨に襲われた。畑に倒木が押し寄せ、ハウスを再建する予定だった場所に大量の泥が流れ込む。「また片付けからですが、どんどん直していく。10年後に復活した能登でみんなが楽しく集まるイメージを頭に浮かべているんです」と上田は言う。
「阿岸の七面鳥」を贅沢に使った「七面鳥ラーメン」¥1,200。キッチンカーを入手し、七面鳥ラーメン専用に改造。石川県内のイベントなどに出店してその味を広めていく。
今度は目の前に、湯気がたちのぼる丼が置かれた。はじめて耳にした「七面鳥ラーメン」なるものをいただく。池端が「ラトリエ・ドゥ・ノト」のまかないで作っていたものをベースに、大手ラーメンチェーン「一風堂」が開発に協力。七面鳥の骨と昆布1枚のみでスープを作り、七面鳥の鶏油で絶妙なコクを出すという。
ふっくらとした肉は、嚙むたびに滋味が染み出す。筆者の記憶に残る、海外で食べた淡泊な味の七面鳥とは大違いだ。それもそのはずで、この輪島育ちの七面鳥は、東京の名店をはじめ各地の一流シェフたちが賛辞を惜しまない「阿岸の七面鳥」なのだ。
その味を生む秘密は、三方を海、そして山にも囲まれた能登の地形と、「鳥への愛情の注ぎ方」にあると、生産者の大村正博は言う。夏でも冷たい地下水が鳥を健やかに育み、潮風が肉にうま味を与えるそうだ。より大きく育って味が深くなるように、大村は200日以上、手塩にかけて飼育する。
元日の地震で鳥に被害はなかったが鳥舎が傷ついた。だが「七面鳥ラーメン」で能登を盛り上げていこうとする池端たちのために、大村は増産体制を整えた。「お客さんを呼ぶためには能登の食材が必要。輪島の復興のためにひと肌ぬごうと思った。食べた人から『また来るよ』の言葉をもらえるように」
東京の「レストラン モナリザ」をはじめ、多くの一流シェフや料理人をファンに持つ、七面鳥生産者の大村正博。
「正直、簡単に『頑張る』と言える状況ではない。
でも、この土地が好きだし、町にはやっぱり酒蔵が必要。
なんとか灯りを消さないように頑張りたい」─白藤暁子
全日空の国際線ファーストクラスで提供されたこともある白藤酒造店の「奥能登の白菊」。「甘いといっても味が弱いわけじゃないし、飲みやすさを強調してもいない。なかなかないタイプだと思います」(白藤酒造店 白藤暁子)
能登は日本酒のおいしさでも知られるが、「芽吹」の棚にも銘酒がずらり。そのひとつ「奥能登の白菊」は、江戸時代末期に酒造りを始めたという白藤酒造店の代表銘柄。穏やかな香りと上品な甘みが特徴だ。
この銘柄を築いたのは、9 代目で自らが杜氏である白藤喜一と暁子。酒蔵は、建物自体は2007年の震災後に建て替えて無事だったが、元日の揺れでタンクが壊れ、搾りを控えていた醪もろみが飛び散った。心配して福島から駆けつけた同業の友人らによって、タンクに残っていた醪は救出され、石川県内や長野の酒造店で代行醸造された。
醸造が止まれば、その蔵の銘柄は市場から消えてしまう。自然災害のたびに繰り返されるこの問題を解決すべくスタートしたのが、「能登の酒を止めるな!」。全国の蔵に協力を呼びかけ、被災した蔵の銘柄を守るために共同醸造を行うプロジェクトだ。
白藤酒造店は奈良や福井などに協力蔵を得て、被災を免れた酒米を用いて共同で酒造りを行なっている。2025年2 月からは自身の蔵で生産を再開する予定だ。「待っていてくれる人たちのために、少しでも造りたい」と喜一は言う。
住んでいた仮設住宅は9月の豪雨で床上浸水し、夫妻は今、酒蔵に寝泊まりする。
「正直、簡単に『頑張る』と言える状況ではない」と暁子は言う。「でも、この土地が好きだし、町にはやっぱり酒蔵が必要。なんとか灯りを消さないように頑張りたい」
「『今日は楽しかった!』と子どもたちが言える時間と場所を、ほんのひとときでもいいからつくってあげたい」ーー岡垣未来

「芽吹」ではサービス担当、輪島の母親たちのグループ「わじまミラクルず」の代表も務める岡垣未来は、神奈川県出身。夫が家業の漆器店を継ぐため、2011年に家族で輪島に移住。
「芽吹」は昼間も営業している。日替わりランチ「鶏のあんかけ丼定食」をのせた大きな膳を運んできて、明るく澄んだ声で料理を説明する岡垣未来は、働く二児の母だ。
岡垣は震災後に池端たちと炊き出しを続けながら(毎日大量の米を研ぐ作業を担当していた)、子どもたちの居場所として開放された学校の教室で、彼らを見守るボランティアを始めた。
「私はカウンセラーのように子どもたちの傷を癒やすことはできないし、やさしい言葉をかけるのも、難しいと思いました」と、地震の発生から間もない日々を岡垣は振り返る。
「でも子どもは楽しいことが大好き。だったら『今日は楽しかった!』と言ってもらえるような時間と場所を、ほんのひとときでもいいからつくってあげたいと思ったんです」。その思いをともにするボランティア仲間の母親たちと「わじまミラクルず」を結成した。
学校のグラウンドや公園には仮設住宅が建ち、子どもたちは外で運動したり遊んだりする場所の多くを失った。民営のプールも被災し、水泳教室もなくなったそうだ。習い事の講師の多くも輪島を去ったという。
4 月の終わり、「わじまミラクルず」は祭りが大好きな輪島の子どもたちのために縁日を実施した。夏休みの終わりに再び開催したときは、企画も当日の運営も子どもたちに任せ、大人は温かく見守ったという。
「避難所でも滋養のあるものを食べてほしいから」。2024年秋、炊き出しを再開
豪雨の翌日から「芽吹」は再び炊き出しを始めた。10月2日の朝、3人の料理人が大きな鍋と炊飯器で200人分のカレーを作っていた。避難所でも滋養のあるものを食べてほしいからと、何種類もの野菜、鶏肉、大豆ミートなどを煮込み、素揚げした上田農園のパプリカを添える。
玉ねぎ、ごぼう、ズッキーニ、りんご、鶏肉、大豆ミートを入れてカレーを煮込み、最後にキャベツを投入。朝早く来て作り始めた佐野こいとは2 年前、輪島塗の塗師の赤木明登(あきと)の著書に感銘を受け岡山から移住。「海と山が近く、土地のものをありがたくいただく。自然と人間が共存しているところに癒やされた」。佐野は「ラトリエ・ドゥ・ノト」で働き、生産者と家族のように接する池端から多くのことを学んだという。

地元でおいしいと評判の福神漬けを配食用の容器に盛り付ける立野誠一朗(右)は、震災前、味噌店を経営していた。

上田農園のパプリカ。素揚げされ、カレーに添えられる。
「町が元気になるために」。今夜も店に灯りをつける
かつて朝市のあった場所を望む。池端は、地震が招いた火災で焼け野原と化した広場に生き残った木にちなみ、店の名を「mebuki-芽吹-」と決めたという。春、黒く焼け焦げた枝から新芽がのぞくのを目にした池端は、「負けてねえな」と木に勇気づけられたという。
池端はフランスへ渡って5年間修業を積んだあと、大阪で店を出すつもりだった。だが輪島に帰省したとき、伝統と文化、そして第一級の食材が揃う輪島は、バスク地方のように世界中から食通が訪れる美食の地になれると確信したという。
その思いは、甚大な災害を一年で二度経験しても揺るがない。同業者や古くからの顧客には、ほかの場所でまたフレンチレストランを始めればいいと言われるが、「それは絶対に違う」と池端は言いきる。「僕らは能登の自然の流れに合わせて生きてきたし、僕らが作る料理のひと皿ひと皿に、この土地に流れる空気がのっているんです」
「ラトリエ・ドゥ・ノト」の再開は5年ほど先になるだろうと池端は言う。「町が元気になるためには居酒屋が必要。灯りをつけると、町の雰囲気が変わるんです」

居酒屋「mebuki-芽吹-」
住所:石川県輪島市マリンタウン6-1
TEL:090-2102-4567
営業:11時30分~14時30分、18時~22時
休業:日曜
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