製造業が怒濤の勢いでもたらした莫大な資金、広大な土地、そして堅牢な産業によって、20世紀半ばのミシガンは、モダニズムが最も豊かに花開いた重要な拠点のひとつとなった。今日この街に残る建物は、アメリカのイノベーションにおける失われた歳月の証拠であり、現代デザインのいまだ語られざる一章なのだ

BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY ANDREW MOORE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

III.建築家
 1950年代の半ばまでに、デトロイト・フリープレス紙は「ムハンマドにとってのメッカのように、デトロイトは多くの建築家にとって聖なる都市になった」と謳っていた。第二次世界大戦時には、カーンがデザインした工場は軍事用トラックを作る拠点となり、増産に次ぐ増産となった。デトロイトはルーズベルト大統領の言葉を借りれば「民主主義を守る武器庫」の重要な役割を担っていた。同市の人口は1940年から1944年までの間に40万人も増加した。移住してきた者たちの多くが戦後もデトロイトにとどまり、建設ブームが起こった。そのブームを後押ししたのは、帰還兵士たちの生活を支援するための法律、通称「ジーアイ・ビル」と、トルーマン大統領が提唱した国内事業の屋台骨となった都市再生政策から融通された財源だった。1961年にプログレッシブ・アーキテクチャー誌に載ったデトロイトの特集記事によれば、市内や、急速に開発が進む郊外の地域に、数十社の主要な建築事務所がひしめいていた。バーミンガム、サウスフィールド、ブルームフィールドヒルズなどが郊外地域の代表例で、1955年から1961年にかけて、50社ほどの建築事務所が開設された。

 その間、モダニズムを象徴するような数多くの建物が造られた。たとえばルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのラファイエット・パークは(都市計画プランナーのルートヴィヒ・ヒルベルザイマーと造園デザイナーのアルフレッド・コールドウェルが共作した)住居開発地で、ガラスとコンクリートでできた巨大な四角い団地タワーが3棟そびえ立ち、その間にガラス張りのタウンハウスが建ち並んでいる。その集合住宅が建てられたのは、デトロイト市の中心部に当たるブラック・ボトムと呼ばれる地域で、増加する黒人人口が集中するエリアだった。ほかの無数のマイノリティ・コミュニティが、政府の巨額の財源が投じられた都市再生プロジェクトによる「スラム地区一掃」計画の格好のターゲットになったのと同じように、ブラック・ボトムも1950年代初頭には完全に解体され、消滅してしまった。ラファイエット・パークのプロジェクトは、ダニエル・オーバート、レイナ・ケイヴァー、ナターシャ・チャンダニらが発行した2012年の書籍『Thanks for the View, Mr. Mies(ミース氏、景観をありがとう)』で「都市再生によって階級格差を民主的に解消しようとした、モダニストのユートピア信者たちが夢見た幻想」の典型例だと批判された。階級も人種も違う人々が、お仕着せの住宅様式を共有すれば、その背後に過去の罪を葬り去ることができるという幻想だと。

画像: ほかの写真をみる フランク・ロイド・ライト設計のスミス邸の内装

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フランク・ロイド・ライト設計のスミス邸の内装

 ミース・ファン・デル・ローエは、仕事の機会を得てデトロイトに引き寄せられた多くの建築家のひとりだが、この時代、最も多作で、非常に注目されていたのがミノル・ヤマサキだ。日系二世としてシアトルで生まれたヤマサキは、ワシントン大学で建築の学位を取り、1934年にニューヨークに移り住んだ。その8年後、彼は同居するために両親を呼び寄せる。当時、米国は日系人を政府の強制収容所に隔離しており、彼の両親もその標的になっていたからだ。1945年に、デトロイトの一流建築事務所のひとつ、スミス・ヒンチマン&グリルスに採用された彼は、家族とともに市内に引っ越そうとした。しかし彼のキャリアは、米国の人種差別と切っても切り離せなかった。デール・アレン・ガイヤーが最近書いたヤマサキの評伝には、ヤマサキ一家がデトロイトで最も裕福な地域に住むことは日系であるため歓迎されなかった」と書かれている。ヤマサキにはその地域に住めるだけの財力があったにもかかわらず、だ。やがてヤマサキは、トロイ村郊外の区画整理されていない農地を買い、のちにそこに彼のオフィスを建てた。

画像: ほかの写真をみる ヤマサキのブルームフィー ルドヒルズの家の内装。彼は20世紀半ばのミシガンで、最も著名なモダニスト建築家のひとり。デトロイトと その周辺の都市開発の設計に尽力するとともに、ワールド・トレード・センターなど全米各地で有名な建築物を手がけた

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ヤマサキのブルームフィー ルドヒルズの家の内装。彼は20世紀半ばのミシガンで、最も著名なモダニスト建築家のひとり。デトロイトと その周辺の都市開発の設計に尽力するとともに、ワールド・トレード・センターなど全米各地で有名な建築物を手がけた

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