製造業が怒濤の勢いでもたらした莫大な資金、広大な土地、そして堅牢な産業によって、20世紀半ばのミシガンは、モダニズムが最も豊かに花開いた重要な拠点のひとつとなった。今日この街に残る建物は、アメリカのイノベーションにおける失われた歳月の証拠であり、現代デザインのいまだ語られざる一章なのだ

BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY ANDREW MOORE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

IV.デトロイト市
 アメリカという国は、デトロイトに「モダンな都市の象徴」という神話を押しつけた。だが、それも1967年にアメリカ史上最悪の人種暴動のひとつが起こると終焉を迎えた。暴動による建物や器物の破壊で、数百万ドル規模の被害が出ると、中流階級は都市を見捨てて去った。近代化こそが、デトロイトが崩壊した最大の原因だったというのが現実だ。デイビッド・マラニスが、デトロイトの繁栄の日々について書いた2015年の著書『Once in a Great City(かつて偉大だった都市)』の中で、ウェイン州立大学の地域都市研究所がデトロイトの人口推移を推測する報告書を出版していたことに触れている。その報告書によれば、1960年の国勢調査で約170万人だったデトロイトの人口は、郊外へ移り住む人の増加により、1970年までには約15%ほど減少するだろうとの予測だった。郊外では、増加する中流階級の人口を支えるためにさらに多くの商業施設が建ち並び、デトロイト市内に住む必要が減り、さらに重要なことに、市内で働くメリットもなくなっていった。それ以前の10年間は建設ラッシュで、デトロイトのダウンタウンに素晴らしい建築物をもたらしたが、その中に住宅用の空間はほとんど含まれておらず、市内の低所得者層が住む地域の多くを一掃することになってしまったのだった。

 マラニスが書いたように「デトロイトは自らがデザインしたコンクリートと鉄とガソリン、そして運動によって、危機に追い込まれた」のだ。この点は、第二次世界大戦による製造業の特需景気で繁栄した多くのアメリカの都市にも共通していた。戦後、同じペースの急成長を維持することは不可能だったからだ。だが、デトロイトほど深く打撃を受けた都市はほかにない。空室ばかりのアールデコ様式の高層ビルや、見捨てられ、放火で地図からその姿がそっくり消えてしまった地区など。デトロイトはなるべくして戦後アメリカの興亡のシンボルとなったのだ。デトロイト市は2013年に破産を申請した。地方自治体の破産としては史上最大規模だ。その後、億万長者のダン・ギルバートのおかげで、ダウンタウンは再び再開発ブームを迎えた。ギルバートは2010年から、ダウンタウンの不動産に35億ドル(約3,850億円)を投資した。さらに21億ドル(約2,300億円)の追加投資を予定しており、彼が所有する不動産ローン会社クイックン・ローンズやその他の事業を開発後のビルに移転した。

画像: ほかの写真をみる デトロイトにある、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ設計のラファイエット・パークの高層アパート群のひとつ

ほかの写真をみる

デトロイトにある、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ設計のラファイエット・パークの高層アパート群のひとつ

 1月、私はミシガン州の歴史保護担当官で、『Michigan Modern(ミシガン・モダン)』という上下2巻本の共同執筆者であるブライアン・コンウェイとともに、市内を歩き回った。私たちはウェイン州立大学のキャンパスと、ヤマサキが設計したマクレガー記念カンファレンス・センターを訪れた。カンファレンス・センターは奇跡のような真っ白い箱型の建物で、白い大理石の床から、白い大理石の柱が2階部分の構造まで続いており、六角形の柱頭がその上にのっている。三角形の明かり窓が、天井の格子状の装飾の中に配置されている。その日は激しい雨が降っており、センターの中は寒くて隙間風が吹いていた。私たちは、アルバート・カーンが設計した息をのむほど美しいフィッシャービルの中も歩いた。このビルが完成したのは1928年で、アメリカ経済が大恐慌を迎えるちょうど1年前だった。ロビーにあるポスターには、デトロイトの「最大の芸術作品」と記されている。内装には金色の細かい装飾が施され、天井からは複数のシャンデリアが白松の松ぼっくりのように吊り下がっている。天井には、ハープなどの楽器を持った裸の女性が鷹や月桂樹の葉に囲まれている姿が、巨大な壁画として描かれている。エレベーターには銅製のドアがついており、そこには神々の姿の彫刻が施され、神のひとりは片手に車を、もう片方の手には飛行機を持っている。

 フィッシャービルは何年も放置されたあと、2015年に2社のデベロッパーに(隣にあったアルバート・カーン設計の11階建てビルとともに)1,220万ドル(約13億3,000万円)で売却された(それらはデトロイトを代表する高層ビルのうち、ギルバートが買わなかったごく少数の建物のうちのふたつだ)。現在のフィッシャービルは商業テナントで埋まり始めた。それはカーンと私たちの現在の瞬間が、どれだけ乖離しているかを物語るリマインダーのようなものだ。この建物がもつドラマ性を少しばかりそぐのは、ロビーにある標識で、来場者たちをキャデラック・プレイスの中のサンドイッチ店、サブウェイへといざなっている。かつてゼネラルモーターズの本社だったキャデラック・プレイスは、やはりカーンの設計で、フィッシャービルとは歩道でつながっている。

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.