監督がすべての栄誉を独占しているように見える映画の世界。だが、誰もが映像に夢中で、映像を熟知しているこの時代に、視覚によって観客とコミュニケートする手法を操るのはプロダクション・デザイナーたちだ

BY BORIS KACHKA, PORTRAITS BY CLARISSA BONET, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: デヴィッド・ワスコとサンディ・レイノルズ=ワスコ ワーナー・ブラザースのスタジオに建てられた『ラ・ラ・ランド』のセットで

デヴィッド・ワスコとサンディ・レイノルズ=ワスコ
ワーナー・ブラザースのスタジオに建てられた『ラ・ラ・ランド』のセットで

 デザイナーのデヴィッド・ワスコと、彼の妻であり、仕事仲間でもあるセット・デコレーターのサンディ・レイノルズ=ワスコが、『ラ・ラ・ランド』の製作に関わっていたときも同じだった。映画はその舞台であるLA現地で撮影されたが、監督のデイミアン・チャゼルは、市内の現代風のスタジオや高速道路、街の風景から、LA本来のスピリットを抽出して表現したいと思っていた。たとえばロケ場所のひとつは、ワーナー・ブラザースのスタジオの建物だったが、夫妻はそこにもあえてセットを作った。昔のミュージカル映画の華やかさを彷彿させるために、いかにもそれらしい小道やコーヒーショップを再現したのだ。それは、これまで数々の映画が紡いできたハリウッドの幻想を観客に想起させるべく、ハリウッド映画界の魔法を描いた映画を、実際のハリウッドで作るという挑戦だった。ワスコが言うように「ジャック・ドゥミ(訳註:『シェルブールの雨傘』(’64年)で有名なフランスの映画監督)の映画みたいに徹底的に作り込み、あらゆる道具を使い、ここぞとばかりに描き込んだ作品なんだ」。

画像: 映画『ラ・ラ・ランド』のシーン COURTESY OF SUMMIT ENTERTAINMENT / PHOTOFEST/ZETA IMAGE

映画『ラ・ラ・ランド』のシーン
COURTESY OF SUMMIT ENTERTAINMENT
/ PHOTOFEST/ZETA IMAGE

 そんなプロダクション・デザイナーたちがいちばん難しいと語るのは、表現手段や予算、監督のスケジュールなどによる制約よりも、いかにスクリーン上にその痕跡を残さずに、ひとつの宇宙を作り上げられるか、に尽きるという。結局のところ、リアリズムとは何かをつきつめていくと、目に見えないほど完璧に黒子に徹するということなのかもしれない。プロダクション・デザインとは「デザインすることが目的のデザインではない」とベッカーは言う。「物語を追うことよりもデザインに目がいってしまうとしたら、それはいいデザインではないから」。デヴィッド・ワスコが定義する真に偉大な仕事、というのもそれに近い。「それは、完全に引き込まれて、映画を観ていることすら忘れさせてくれるような瞬間だよ」。技術の進歩によって、彼らの使命はさらに重要になってきた。

カーターは、“バーチャルな俳優たち”が活躍する次の時代への大転換は、「私たちが彼らを、ただ感心して眺めるのではなく、彼らの存在を信じられるようになった」ときに、初めて到来するのだと言い、そのためにプロダクション・デザイナーが果たす役割はとてつもなく大きいと語る。『チャイナタウン』や『アバター』や『ムーンライズ・キングダム』(’12年)が表現した以上に芸術が現実をなぞる必要はないが、優れたデザイナーは芸術と現実をまったく同じように観客に感じさせることができる。または、願わくば、実際の現実よりちょっぴり素晴らしいものに仕上げたいと願って奮闘しているのだ。

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