監督がすべての栄誉を独占しているように見える映画の世界。だが、誰もが映像に夢中で、映像を熟知しているこの時代に、視覚によって観客とコミュニケートする手法を操るのはプロダクション・デザイナーたちだ

BY BORIS KACHKA, PORTRAITS BY CLARISSA BONET, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: ダンテ・フェレッティ ローマにあるチネチッタ・スタジオ内の彼の部屋で

ダンテ・フェレッティ
ローマにあるチネチッタ・スタジオ内の彼の部屋で

 セットデザインの歴史の概要はざっと3つの世代に分けられる。プロダクション・デザイナーとして初めて正式にクレジットが与えられ、1939年の『風と共に去りぬ』で広くその名を知られたのが、ウィリアム・キャメロン・メンジーズだ。メンジーズの総天然色活劇はスタジオ内セットデザインの最高峰だった。タラの邸宅からアトランタが燃えるシーンまで、すべてがデヴィッド・オー・セルズニックのスタジオの建物内で作られたのだ。メンジーズの弟子のひとりだったリチャード・シルバートは、1970年代という、真実味と胆力が最も重視された時代に『チャイナタウン』('74年)の製作に携わり、可能な限り、ロサンゼルス地域での野外ロケーション撮影を行なった。シルバートはその後、若かったリック・カーターにその技術を教えた。

カーターは『ジュラシック・パーク』から『アバター』(’09年)に至るまで、コンピューター技術を駆使した現代のスペクタクル映像の作り手だ。カーターいわく、シルバートは30年前にすでに今の状況を予言していたという。「彼はこう言ったんだ。『小僧、どうやらお前の行く先は、デジタル王国のようだな』」。それはコンピューターが、専門性をもつ多くの職人たちにとってかわった世界だ。だからこそ、観客が劇場で味わう視覚のファンタジーを作り出すセット・デザイナーたちがこれまで以上にさらに重要な役割を担うことになるのだ。「より高度なデジタル技術が可能になるにつれ、セットと風景のあらゆるニュアンスをコントロールできる能力を備えたプロダクション・デザイナーがよりいっそう求められている」とスピルバーグは言う。「とことん深い、真の想像力をもつ人たちがね」

 最近では映画製作者たちは、セット、ロケ、そしてビジュアル効果の3つのすべてから、自由に要素を選べる特権をもっている。イタリア人デザイナーのダンテ・フェレッティは、かつて故郷で、映画館に忍び込んでは映画を観て育った(「まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』(’88年)のようだったよ」と彼は言う)。彼はフェリーニやパゾリーニ、ゼッフィレッリらとともに働き、その後マーティン・スコセッシのチームに加わった。「フェリーニは(ローマにあるチネチッタ・スタジオの)セットですべてを撮影した。あらゆるものが作りものっぽく見えたよ」とフェレッティは言う。当時の映画に魅了されて育ったデザイナーにとっては当然の発言だろう。当時は、映像が表現しきれない場面を、観客が自分の想像力を働かせて補う作業が必要だった。

画像: フェレッティがデザインを担当したピエル・パオロ・パゾリーニの1975年の映画『ソドムの市』からのシーン COURTESY OF EVERETT COLLECTION

フェレッティがデザインを担当したピエル・パオロ・パゾリーニの1975年の映画『ソドムの市』からのシーン
COURTESY OF EVERETT COLLECTION

 フェレッティはより現実味のあるセットで実力を発揮するタイプだが、高度な技術に裏打ちされたその芸術性に独自の表現の色を加えることにも誇りをもっている。スコセッシの『沈黙ーサイレンスー』(’16年)では、彼は17世紀の長崎を台湾でゼロから作り上げ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(’02年)ではチネチッタ・スタジオの中に南北戦争時代のスラム街を建設し、スコセッシ独特の歴史フィクションのスタイルを表現した。当然何カ月もの周到なリサーチを経て完成したセットは、きわめてリアルなものだったが、同時にスコセッシの意図をもきっちりと形にしていた。『沈黙』では希薄さと苦悩を、『ギャング』では汚れと表現主義っぽさを。

 

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