ピアニストの内田光子が、カーネギー・ホールでのコンサートで、人生で初めて恋をした作曲家の一人、シューベルトを演奏した

BY JOSHUA BARONE, PHOTOGRAPHS BY VINCENT TULLO, TRANSLATED BY HIKARU AZUMA

 内田光子にとって、シューベルトを学ぶということは実に長い道のりだった。生まれ育った日本の家には、外交官である彼女の父親が所有していたシューベルトのレコードコレクションがあった。彼女はドイツ語がわからなかったため、そのレコードのカバーやライナーノートの意味は理解できなかったが、それらのコレクションの中の一枚に、彼女のお気に入りの民謡があった。

 彼女が12、3歳の頃、一家はウィーンに移り住み、そこで偉大なバリトン歌手であるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが歌う、シューベルトの「冬の旅」を耳にした。「その中盤に、いきなり、私たちの慣れ親しんだ民謡が登場したのです」それは、歌曲のレパートリーの中でも最も有名な作品の一つである『Der Lindenbaum(菩提樹)』であった。

 ピアノを学んだ学生時代、彼女はモーツァルトとベートーヴェンも愛した。そして次第に、バルトークやベルク、シューマン、さらにはクルターグ・ジェルジュのようなコンテンポラリー音楽の作曲家も弾きこなすようになっていった。

 しかし、内田はこう語っている。「誰よりもシューベルトに心が繋がっていると感じていたのです。彼の音楽はほんのわずかにミニマルなところがあります。必要でないものは全くない、私はそこがずっと好きなのです」

画像1: ピアニスト内田光子の
尽きることなき
シューベルトへの愛

 初期からの内田光子のファンが、これを必ずしも知っているわけではない。彼女は1980年代初期に、モーツァルトの素晴らしいアルバム(1作目がソナタ、2作目が協奏曲)のシリーズによって名声を上げた。

 それは『アマデウス』のおかげだとも言えるだろう。最初の大きなレコード契約を締結した時、内田光子はシューベルトのアルバムを制作したかったそうだ。しかし、当時ツアーで、彼女はモーツァルトのソナタを弾いており、また『アマデウス』がピーター・シェーファーの演劇作品とそれに続く映画化により大ヒットしたことあって、彼女はモーツァルトのソナタとロンドを収録した作品を発表するに至ったのである。

 彼女はシューベルトを追い続けるはずだったが、彼女の所属するレーベルやリスナーはさらにモーツァルトを求めた。結局、内田は1990年代の後半になるまで、シューベルトのアルバムを発表しなかった。しかしついにそれが実現すると、待つ甲斐あって、その収録曲は2004年発表のボックスセットにも収められることとなったのだ。

 内田光子のシューベルトは、レコーディングされた中でも最も素晴らしい演奏のいくつかにあげられる。アルバムに収録されている曲は、彼女のリサイタルと同じように深く、語りかけるようである。もしかすると、聞いている途中にボリュームを上げている自分に気がつくかもしれない。彼女の演奏は一貫して、抑制された軽さと抒情性を持続させており、ごく稀に登場するドキっとさせられるような場面においては、ベートーヴェンのような重厚感を表現する。彼女の演奏には、美しさと死にゆく運命についてのアイディアが豊かに表現されおり、シューベルトに対するビジョンを押しつけるものではない。彼女はそれを人々に共有するが、決して断定的ではないのだ。それは未来の彼女自身に対してさえも当てはまることだ。――内田光子は、自身が収録した音源を決して聞かないのである。

「私は自分が過去にしたことを垣間見たくないのです」そう彼女は言った。「もし気に入ってしまったら、私は自分自身を模倣してしまうでしょう。そんなことは絶対にしたくないのです。それに、もし気に入らなかったとしたら、私はただ落ち込んでしまうでしょう。楽譜はここにあるのだから、どうして自分の演奏を聞く必要があるでしょうか?」

 

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