3作目となる小説『人間』を上梓した作家、又吉直樹。38歳の主人公の過去、現在、そして“その後”を描いた物語を通して、作家は何を描こうとしたのか

BY TOMOSHIGE KASE, PHOTOGRAPHS BY YUTO KUDO

 そもそも人間なんて曖昧。それは哲学としてもそうであろうし、些細なことを積み重ねて暮らす我々の実感としてもそう思う。もっと簡単にいえば誤解、記憶違い、もの忘れのたぐいだ。

「例えば…… 僕には姉がふたりいます。小さい頃、母親が僕と姉ふたりを保育所に迎えに来て、みんなで一緒に自転車で帰りました。そのときひとりの姉が自転車の荷台から落ちました。僕は振り返り、その姉と目が合っている状態が頭のなかで映像として残っているんです。

画像: 「“人間”という言葉が好きなんです」と又吉直樹は語る

「“人間”という言葉が好きなんです」と又吉直樹は語る

 何年かして母とふたりでその場所を通ったとき、『お母さん、昔、お姉ちゃんがここで自転車から落ちたよね』と聞きました。そうしたら母は『うん。落ちたけど、そのときまだ直樹は生まれてないよ』と言ったんです。

 つまり僕はその話をあとから聞いただけなのに、そこに自分がいたことになっている。そのくらい人の記憶って曖昧なんですよね。よく取材で『どういう経緯でピースを結成したんですか』と聞かれるんですけど、綾部(祐二。又吉の相方)は『又吉に誘われて』と説明する。でも僕のほうでは、ほかの人からの誘いを断って綾部とコンビを組んだと記憶しているんです(笑)」

 3章は永山の“その後”である。2章の1年後であるから、39歳の永山と言っていいかもしれない。沖縄・名護で両親、親戚とともに過ごす姿が描かれている。
「青春小説というものがあるとしたら、(登場人物の)彼らにもその後がある。“その後”を書きたくて『人間』を書いたのですが、そこで終わると『“その後”を語った38歳の永山の“その後”は?』というジレンマに陥ります。そこで通常小説では描かれないような、劇的ではないごく普通の日常を書きたかったんです。本当の意味での“その後”を」

 語り手である39歳の“その後”の永山の視点は、1章、2章のように批評的ではなく、力の抜けた穏やかなものになっている。それは永山が、自分が何者かを気にしない(ように見える)生き方を実践する両親を間近に見たからだろうか。「永山の両親のような人間はいいなあとは思いますが、僕自身はそうなれませんし、永山もたぶんそうでしょう。東京で表現に関わる仕事に携わっていて、いろんな価値基準にさらされて生きていますので。

 しかし永山の両親のような生き方を知ることで、『認められ続けないと生きていけない』という呪縛からは、若干逃れることができるのではないでしょうか。自分が生きている以外の世界があると認識することは、永山にとって助けになったと思いますね」

 もちろん『人間』という作品は又吉の人生をそのまま描いているわけではない。しかし又吉の話を聞いていると、フィクションである作品と又吉自身の言葉がクロスオーバーしていくようにも感じられた。永山の“その後”は続き、小説は終わりを告げない。それはとりもなおさず、又吉の作家活動がこの先も続くことを意味しているのだろう。

画像: 『人間』¥1,400/毎日新聞出版 PHOTOGRAPH BY SHINSUKE SATO

『人間』¥1,400/毎日新聞出版
PHOTOGRAPH BY SHINSUKE SATO

「この本のなかで38歳の永山が作った作品『脱皮』は、世間である程度の評価を得ました。それは青春時代の残滓のようなもの。3章で両親の生き方に触れた永山がもし次の作品を作るとしたら、この先はもう少し視野の広がった表現になると思います。同じように、僕自身も『人間』に続く小説を書くとしたら、やはり今までとは違った表現になっていくんじゃないでしょうか」

 今後、又吉の小説がどのように変わっていくかはもちろんわからない。しかし3章のなかに、“その後のその後”を予感させるシーンもある。沖縄で暮らす百歳の祖母が、39歳の永山に「早く結婚しろ」と繰り返し迫る。なぜ結婚しなければならないのかと永山が問い返すと、祖母は「家族、必要だよ!」と言い切るのだ。

「僕自身、20代くらいの年齢の感覚をずっと大事にして作品を作ってきました。またコントにしても、中学生のときに面白いと思っていた感覚を忘れないように作っています。だから『(結婚などで)環境がガラリと変わって、爽やかでつるつるの人格になってしまうと、ものを作れなくなってしまうのではないか』という恐怖感があるんです。きっと永山や影島も、そんな恐怖感を強く持っている人間です。でも永山は、次の段階に行ってもいい、と思っている気がしますね。僕も今までは、結婚したり家族を作ることを想像しづらかったんです。自分の作品、仕事、実人生とのギャップがありすぎて。でも今は、そうなったらそうなったときの状況で作れるコントや書ける小説があるはずだと、少し心境が変化してきています」

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