やがて来る時代の転換点。独自の視点を持って、"幸福に生きるための力"を育むことに尽力する3人に話を聞いた

BY MAKIKO HARAGA, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE

慶應義塾大学医学部教授・宮田裕章

多様な個性が響き合う社会を、共創によってたぐり寄せる

 密集した教室で行うインプット型の学びは、大量生産・大量消費時代における「社会の歯車」の育成には有効だった。だが、経済合理性至上主義を脱却した未来では、「世界のなかで自分が貢献するイメージ」を持ちながら自ら生き方を選ぶ力が必要だと、慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章は説く。

 データサイエンスを駆使して社会変革に挑む宮田は、岐阜県飛騨市に新設する大学の学長候補として、地元の若手実業家たちとともに新しい学び舎をつくろうとしている。共創学部のみの大学だが、その学びは多岐にわたる。1年生は科学や哲学、経済、芸術などを総合的に学ぶ。2年生からは実践が中心だ。自ら問いを立て、地域の人々とともに暮らしのなかで社会的課題の解決に取り組んでいく。人と人、人と世界をつなぐもの──たとえばアート、食、ライフスタイル─をともに創ることによって、新しい未来をたぐり寄せる。それがこの大学のコンセプトだ。「これからの社会では、co-innovation(共創)をおこせる人材がとても重要になる」と宮田は言う。「大学の4年間でそのレベルに到達することは、学生自身にとっても社会にとっても必要です」

画像: 「多様性に向けて社会を開いていくことに、私自身のスタイルがひとつの例として貢献できればと思っています。これでもTPOに合わせてファッションを選んでいますが、多様性の輪郭を描くために、尖ったものを選ぶことも最近は多いですね」。そう語る宮田はデザイナーやつくり手の背景や考えにも関心を寄せる。この日のニットはバレンシアガのもの

「多様性に向けて社会を開いていくことに、私自身のスタイルがひとつの例として貢献できればと思っています。これでもTPOに合わせてファッションを選んでいますが、多様性の輪郭を描くために、尖ったものを選ぶことも最近は多いですね」。そう語る宮田はデザイナーやつくり手の背景や考えにも関心を寄せる。この日のニットはバレンシアガのもの

 宮田の原動力は、「多様な個性が響き合う社会の実現に向けて、自分なりに貢献する」という情熱だ。東京大学に入学直後、当時は"絶対的な価値" とされていた経済合理性の先にある社会について考え始めた。やがて、データやテクノロジーによってさまざまなものが可視・共有化され、そのなかで新しい社会をともに創る時代が到来する。人々が相対的に大切だと思える共有価値(宮田はこれを「最大多様の最大幸福」と呼ぶ)によって駆動する社会に移行すべきである──。こうした考えを携え、宮田は哲学から脳科学まで多岐にわたる分野の教授を訪ね歩き、さまざまな対話を行った。建設的に応じてくれた人もいたが、「君は世界を転覆させる危険思想の持ち主だ」「カネ以外に絶対的なものはない」と、不快感を露あらわにする人もいた。

 それでも対話は「かけがえのない、重要な学びだった」と宮田は言う。こうして自身はカリキュラムという枠組みを超えて主体的な学びを実践したが、共有の枠組みのなかで自分自身をアップデートすることや、今の自分には必要ないと思えるものにあえて触れる機会も大切だと説く。「予定調和のなかにいると、ある種の心地よさはあるが、不確実性に対するしなやかさが失われる。違和感を覚えるものとつねにコミュニケーションをとり、その立場にも立つ訓練が必要です」

 慶應の予防医学校舎内の宮田の教授室も、多様性を体現した空間だ。むき出しのコンクリート、メタル、ファブリック、植物など異質なものが響き合う。室内に誂えたウッドデッキは、建設現場で使われていた足場板。隙間があり、歩きやすいとは言いがたい。こうした「違和感」が、訪れる者によい意味での刺激や緊張感を与える。

画像: 歴史的建造物の一角にある宮田の教授室。木製のデコラティブな仕切りを窓辺に配したのは「眺望がよくないから」というのが理由だが、窓外の高い木や向かいの建物と絶妙に調和している

歴史的建造物の一角にある宮田の教授室。木製のデコラティブな仕切りを窓辺に配したのは「眺望がよくないから」というのが理由だが、窓外の高い木や向かいの建物と絶妙に調和している

画像: 教員や学生が集う執務室。鏡張りの間仕切りが配置された空間には、そこかしこに植物があしらわれている。万華鏡のように反射する鏡の前に立つと、迷宮に迷い込んだような錯覚に陥る

教員や学生が集う執務室。鏡張りの間仕切りが配置された空間には、そこかしこに植物があしらわれている。万華鏡のように反射する鏡の前に立つと、迷宮に迷い込んだような錯覚に陥る

 宮田は、飛騨古川駅東口前に誕生する複合施設の計画にも携わっている。商業、住まい、アート、娯楽が融合し、新しい大学の研究拠点や学生寮も含まれる予定だ。この施設と大学が連携し、街を活性化させていく。たとえば、豊かな飛騨の森で育つ四季折々の薬草をこの施設でも栽培する。薬草からオイルをつくるイベントに観光客が参加する。こうした広がりを、学生も地域の人々とともに考えていく。複合施設もキャンパスも、設計者は世界的建築家の藤本壮介だ。「人と地域をつなぐ取り組みで、これから何をやろうとしているかを、建築で体現することが大事だと考えた」と宮田は話す。かつてバウハウスが「いろいろな学問や建築を融合させてモダニズムを定義した」ように。「物理的な場所としての街を創るだけでなく、多層的に人々の暮らしをともに創る。これがスマートシティの次に来る考え方だ」と宮田は語る。

画像: 2024年4 月開学予定の大学の設計イメージ。すり鉢状に湾曲する屋根は、キャンパスを象徴する「丘」 COURTESY OF CO-INNOVATION UNIVERSITY

2024年4 月開学予定の大学の設計イメージ。すり鉢状に湾曲する屋根は、キャンパスを象徴する「丘」
COURTESY OF CO-INNOVATION UNIVERSITY

画像: すべての廊下が図書館かつオープンスペースとして機能するようにデザインされ、学生はいつでも知的情報にアクセスしたり、仲間と議論したりできる COURTESY OF CO-INNOVATION UNIVERSITY

すべての廊下が図書館かつオープンスペースとして機能するようにデザインされ、学生はいつでも知的情報にアクセスしたり、仲間と議論したりできる
COURTESY OF CO-INNOVATION UNIVERSITY

 新しい大学が生涯学び続けられる場になることを、多くの人々が望んでいるという。シニア世代とともに豊かなライフスタイルをデザインすることや、日本や世界各地とつながって学び合う社会人教育も、宮田は視野に入れている。「そこに関わる人たちが新しい未来に近づいていくために、ともに学びながら新しい豊かさを共創していきたい」

宮田裕章(HIROAKI MIYATA)
1978年岐阜県生まれ。慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授。全国の医療施設から収集する手術症例のビッグデータで臨床を支えるNational Clinical DatabaseやLINE×厚生労働省「新型コロナ対策のための全国調査」など、多数の社会変革プロジェクトに携わる。2025年日本国際博覧会ではテーマ事業プロデューサーを務める

美学者・伊藤亜紗

人間をつくっていく。それがリベラルアーツの使命

 東京工業大学で美学者・伊藤亜紗が担当する「創造と思考のレッスン」は、学部生向けの短期集中ゼミだ。学生は5 日間、伊藤から奇想天外な課題を日替わりで与えられ、作品をつくり、発表する。初日のミッションは“養生シートの否定”。幅1.1mのビニールシートと緑色のテープが一体化したものが用意されていた。これを使って“養生シートからいちばん遠い状態”を表現した作品を、制限時間内につくれという。何をしても構わない。ただし、“いつもの自分”を離れ、新しい発想や表現を試すのだ。日頃、学生たちが学んでいる、まず設計図を描き、つくったものを完璧に制御しようとするエンジニアリングとは違い、「こんなものができちゃった」という偶然に身をまかせるアートの面白さを体験させたい、と伊藤は話す。

画像: 「未来の人類研究センター」のイベントルームにて。モダンな内装は、設計も造作も主に建築学科の学生たちが行った

「未来の人類研究センター」のイベントルームにて。モダンな内装は、設計も造作も主に建築学科の学生たちが行った

 腕を組んで、考え込む。材料を調達しに出かける。色をつけていく。3時間半がたち、講評の時間を迎えた。制作者は言葉を尽くして作品を語り、鑑賞者は自分なりの解釈や感想を伝える。伊藤はそこに美学者ならではの視点を加えるが、まず誰よりも作品を面白がっていた。

画像: 伊藤はいつも“~を否定せよ”という課題を出す。養生シートは「身近なようで意外と知らない、そして思いどおりにならない素材」

伊藤はいつも“~を否定せよ”という課題を出す。養生シートは「身近なようで意外と知らない、そして思いどおりにならない素材」

 塗装時の保護という養生シートの“正しい使い方”を否定し、模様をつけるための道具に変えたのは、仲間礼佳の作品。みなが見守るなか、勢いよくスプレーを噴射する。銀色を吹きつけられたビニールシートがめくられると、表出した紙に北東を指す矢印が現れる。示す先にはゴミ袋が。さらに先には目黒区の焼却処分場があるという。「想定された使い方をされて終わるものも、使われないまま捨てられるものも、すべて同じところに行きつく」

画像: 仲間礼佳のパフォーマンスアート

仲間礼佳のパフォーマンスアート

画像: 野田聡の作品。「否定するとはどういうことか」を突き詰めて考え、「ぱっと見は養生シートっぽいが、そうではない道具」をコンセプトに。ビニールシートを引っ張ると、その一部に赤いインクがつく仕組み。壁を保護するのではなく“汚す”という、役割の否定だが、一定の幅でまっすぐ塗るための道具として使用できる。「使えないものをつくっても面白くない。それだと今ある優れた工業製品からゴミを生んだだけになってしまう」

野田聡の作品。「否定するとはどういうことか」を突き詰めて考え、「ぱっと見は養生シートっぽいが、そうではない道具」をコンセプトに。ビニールシートを引っ張ると、その一部に赤いインクがつく仕組み。壁を保護するのではなく“汚す”という、役割の否定だが、一定の幅でまっすぐ塗るための道具として使用できる。「使えないものをつくっても面白くない。それだと今ある優れた工業製品からゴミを生んだだけになってしまう」

 篠﨑悠人の作品は、空間をうまく利用したインスタレーション。養生シートの“作業でよく使うのに、誰からも見向きもされない”という点を否定し、“宝石みたいな、ありがたそうなもの”を表現した。裂いたシートの一片を瓶に詰め、別室のテーブルに置き、そこだけに照明があたるように展示。電気を消した部屋にひとりずつ案内された鑑賞者は「みな、後ろ髪を引かれるように振り返って、ガン見していた」と篠﨑は言い、笑顔を見せた。

「養生シートの切れ端が廊下に落ちていたら、普通の東工大生だったら踏んで通りすぎるけど、それが作品に見えていくということが、家に帰ってからも起こります」と伊藤は話す。「そういうことのひとつひとつが、世界の見え方を変える。物質も人間関係も、違う見え方がいくらでもできる人になってほしいのです」

画像: 篠﨑悠人のインスタレーション

篠﨑悠人のインスタレーション

画像: 奥村レオナルド研は「何も考えないでつくろうと思い、とりあえず全部引っ張り出してみたらこうなった」。竜巻から金魚になり、さらに引っ張ると宇宙人に。生きているように見せるためにエアコンの風があたるようにした。「養生シートは守るために使われるが、宇宙人は椅子を破壊しようとしている」

奥村レオナルド研は「何も考えないでつくろうと思い、とりあえず全部引っ張り出してみたらこうなった」。竜巻から金魚になり、さらに引っ張ると宇宙人に。生きているように見せるためにエアコンの風があたるようにした。「養生シートは守るために使われるが、宇宙人は椅子を破壊しようとしている」

画像: (写真左)川田凛の作品。「自分でも発見できていない自分が見えてきます」 (写真右)久保田聡はまず、長さ12.5mのシートを広げて壁一面に貼った。巻き直すと筒状になり、強度も出て自立した。養生シートの形状と“使い捨て”という特性を否定し「こんなに強いというのも見せたかった」

(写真左)川田凛の作品。「自分でも発見できていない自分が見えてきます」
(写真右)久保田聡はまず、長さ12.5mのシートを広げて壁一面に貼った。巻き直すと筒状になり、強度も出て自立した。養生シートの形状と“使い捨て”という特性を否定し「こんなに強いというのも見せたかった」

 自分自身の感情のゆらぎを投影した制作者もいた。川田凛は、本心を見せない自分の心が“保護されていない状態”を表した作品を、誰かが落として壊すかもしれない入り口のドアにぶらさげた。伊藤は、「自分の分身みたい。壊れるかどうかも運命にゆだねていて、どこか呪術的。形も似ているので、ネイティブ・アメリカンのドリームキャッチャーを連想させる」と講評した。

 講評には、創作よりもさらに重要な学びがあると、伊藤は言う。「作品は感覚的なものなので、使ったことのないような言葉を使い、頑張って説明する。そうすることで、“感じる”という経験が深まる」。エンジニアになったとき、それは開発に役立つ。だが、もっと深いレベルで支えになると信じている。「自分が感じていることをちゃんと“感じる”というのは、生きていくうえで自分を守る力になる」。自分と対話し、気持ちを言葉にするのは難しい。だが、その回路をつくってほしい。感情や欲求を抑えつけて生きていると、本当にやりたかったことがわからなくなり、自己肯定感が下がる。「前向きな姿勢で生きてほしい。そのために“感じる力”はすごく大事です」

画像: 講評では制作者と鑑賞者がともに学び、楽しむ。「言葉を通して作品を見ると、異なる見方ができる」と伊藤は言う。20歳前後の学生にとっては恥ずかしさも伴うが、「自分の身を削って出したものを周囲が受けとめ、言葉にして返す。そんな経験をしてほしい」

講評では制作者と鑑賞者がともに学び、楽しむ。「言葉を通して作品を見ると、異なる見方ができる」と伊藤は言う。20歳前後の学生にとっては恥ずかしさも伴うが、「自分の身を削って出したものを周囲が受けとめ、言葉にして返す。そんな経験をしてほしい」

 東工大は、博士後期課程まで続くリベラルアーツ教育を2016年に導入した。伊藤はその「学びのストーリー」の設計者のひとりだ。視察でケンブリッジ大学やオックスフォード大学を訪れたとき、寮で学生と教授がともに演習を行う様子を見た。このとき、「生活のなかで人を育てることがリベラルアーツなのだ」と、腑に落ちたという。

 午後4時。次なる無茶ぶりが伝えられた。「あとには〇〇が残された。」で始まる小説を、翌朝までに書けという。「〇〇」はひとりずつ異なり、そのアイテムがランダムにあてがわれた。短くなった鉛筆の束を手にした学生は、戸惑いの苦笑いを浮かべた。

 伊藤は、こうして学生が自ら変身する状況をつくり続ける。「アプリケーションを1個増やすのではなく、学生のOSを変えたい。それは人間をつくるというリベラルアーツの使命ともつながるのです」

伊藤亜紗(ASA ITO)
1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は美学、現代アート。同大学・未来の人類研究センター長として「利他」の研究を率いる。生物学者を目指していたが、東京大学3年生のとき、文系に転向。主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)など

デザイナー・山縣良和

可能性は、あらゆるもののなかにある

「ここのがっこう」は、writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)のデザイナー・山縣良和が主宰するファッション表現の実験と学びの場だ。職業や年齢も多様な受講生たちが大きな荷物を抱え、東京・東日本橋にある教室にやってくる。海外出身者も、デザイン未経験者もいる。最年長は80代だ。

画像: 山縣良和

山縣良和

 つくってきたものや集めた資料を、机や床の上に広げる。制作の過程をみなで共有し、意見を言い合うのだ。広い教室は、熱気に満ちている。車座になって講師と熱く議論している集団。黙々と手を動かす人。仲間の作品に見いっている人も。

 別室で、受講生の中村英が制作中の作品を山縣に見せていた。テーマは「家族の記憶」だ。青写真の技法を使って家族の写真を焼きつけた布、それをほぐした糸束。「記憶はその人の身体に取り込まれ、解釈され、別のかたちで残る。糸は、つながっていてもどこかゆるさがある家族の関係性に通じる」と中村は語る。「いいね」を連発していた山縣は、次回までに服のかたちにしようと、最後に発破をかけた。

画像: 試作したプリントを山縣に見せる中村英(右)。大手企業で働く彼は、大学院で認知症患者と家族の関係を研究した

試作したプリントを山縣に見せる中村英(右)。大手企業で働く彼は、大学院で認知症患者と家族の関係を研究した

画像: 中村が染めた布

中村が染めた布

 山縣もほかの講師も、決して作品を否定しない。「僕たちのアドバイスどおりにやってこなくてもいい。彼らが考えて行動したことを尊重します」。なかには「求められているもの」を質問して探ろうとする受講生もいる。「デザインやクリエーションは、言われたことをやる作業ではなく、自分で考えることが大事。それを習慣づけていくのです」と山縣は言う。

画像: 講師は第一線で活躍するプロフェッショナル。パタンナーの青鹿知恵子(左)にドレスを見せる金子圭太。青鹿は、ほかでは「いかに美しく、快適に着こなせるように仕立てるか」を重視して教えるが、ここでは優先順位が異なる。「本人のやりたいことを尊重しつつ、どうすれば人が着て美しいものになるかを一緒に考えます」。金子は生きづらさを抱えていたとき、ファッションに出合った。「つくっている時間はラクになれた」と言う。講師の大草桃子は金子の成長に目を見張る。「会うたびに発想力が高まっていて、話を聞くと面白い」

講師は第一線で活躍するプロフェッショナル。パタンナーの青鹿知恵子(左)にドレスを見せる金子圭太。青鹿は、ほかでは「いかに美しく、快適に着こなせるように仕立てるか」を重視して教えるが、ここでは優先順位が異なる。「本人のやりたいことを尊重しつつ、どうすれば人が着て美しいものになるかを一緒に考えます」。金子は生きづらさを抱えていたとき、ファッションに出合った。「つくっている時間はラクになれた」と言う。講師の大草桃子は金子の成長に目を見張る。「会うたびに発想力が高まっていて、話を聞くと面白い」

 英国の名門セントラル・セント・マーチンズ美術大学のウィメンズウェアコースを首席で卒業した山縣だが、日本ではずっと落ちこぼれだったという。「コンプレックスだらけで自信がなく、自分のどこに取り柄があるのかもわからなかった」。現状を打破したい一心で渡ったロンドンで、ファッションデザインをやりたいと思った。セント・マーチンズで出会った講師たちは「やってみろ」と学生の背中を押す役割に徹していて、変な服をつくっても「面白い!」と認めてくれた。

「1 秒でも身にまとったら、それは服としての可能性がある」。なんでもファッションと捉え、さまざまな表現に挑んできた山縣がそう確信するに至った原体験は、ジョン・ガリアーノとの出会いだ。当時クリスチャン・ディオールのデザイナーだった彼のチームで、在学中にデザインアシスタントを務めた。「ガリアーノは、一度、ありとあらゆるものを、既存の価値観を省いたフラットな状態にして、見る。そこから、自分たちの新たな価値観を探っていくんです」と山縣は回想する。「世間で“いいもの・悪いもの”とされているものや、たいていの人が『それはちょっとどうなの?』と言うものにも可能性を見いだし、そこからデザインを生み出していく。その経験の残像が今も強くあるから、(受講生に向かって)『あれはダメ、これはダメ』とは、やっぱり言えない」

 帰国後、かつての自分と同じように悶々と悩む学生たちと出会う機会があり、ファッションについて、自由に考え、学ぶ場をつくろうと思った。自分のいる場所を示す「ここ」、ひとりひとりを指す「個々」。それを校名にした。

 教室の一角に、羊毛を用いたソフト・スカルプチャーを着せたトルソーが見えた。ヴォーグダンサーとして活動する松岡義宜の作品だ。テーマは「全裸の身体性」。ドラァグの感性と流動する身体を表現した。男女二元論で発展してきたファッションに一石を投じ、多様な性のあり方が尊重されるようにしたいという。「LGBTQのパレードで着て歩き、『何あれ~?』と注目されるようなインパクトを持たせたい」と松岡は話す。自分が感じてきた生きづらさや悩みを昇華させ、「装いを通じてメッセージを発信していきたい」

画像: 松岡義宜の作品

松岡義宜の作品

「ここのがっこう」では、最初にマインドマップをつくり、自分自身と向き合う。「取るに足りないと思ったり、コンプレックスだと感じているもののなかに、案外と武器になるものが見えたりする」と山縣は言う。「自分の問題を突き詰めると、社会の問題につながるんです。自分は表現において何ができるのだろうと考えたとき、過去の経験や境遇、歩んできた道のなかから、社会に問いたい課題が出てくる」

画像: シャツや軍手をロウで固めたオブジェ。制作者は石川祐太郎。きっかけは、コロナ禍で困窮した友人から買い取った服に、その人を思い出す香水やタバコの匂いが残っていたこと。その“大切な瞬間”を閉じ込める表現を模索するなかで、香りをつけたロウに浸すことを思いついた。靴下を固めた作品でデンマークのファッションブランドGANNI(ガニー)の「気鋭のアーティスト5人」に選ばれた。石川は工学部出身の経営コンサルタント。日頃は定量分析と論理的思考で最適解を導き出す。仕事に不満はないが、「このまま一生を終えるのが怖くなり、生きている意味を探そうと思った。それがアートだった」と言う

シャツや軍手をロウで固めたオブジェ。制作者は石川祐太郎。きっかけは、コロナ禍で困窮した友人から買い取った服に、その人を思い出す香水やタバコの匂いが残っていたこと。その“大切な瞬間”を閉じ込める表現を模索するなかで、香りをつけたロウに浸すことを思いついた。靴下を固めた作品でデンマークのファッションブランドGANNI(ガニー)の「気鋭のアーティスト5人」に選ばれた。石川は工学部出身の経営コンサルタント。日頃は定量分析と論理的思考で最適解を導き出す。仕事に不満はないが、「このまま一生を終えるのが怖くなり、生きている意味を探そうと思った。それがアートだった」と言う

画像: 後藤蕗のデザイン画とリユースの帯あげでつくったパンツ。テーマは「みんなが妖怪になった世界で幸せに生きる」。前向きに100歳まで生きようというメッセージだそう。後藤は“死の先にあるもの”に関心がある。前回のテーマは「あなただけの死に装束を提案します

後藤蕗のデザイン画とリユースの帯あげでつくったパンツ。テーマは「みんなが妖怪になった世界で幸せに生きる」。前向きに100歳まで生きようというメッセージだそう。後藤は“死の先にあるもの”に関心がある。前回のテーマは「あなただけの死に装束を提案します

画像: 安藤龍樹は、いつもどんな作品をつくるべきか悩みながら、頭に浮かんだものを編み続けている

安藤龍樹は、いつもどんな作品をつくるべきか悩みながら、頭に浮かんだものを編み続けている

 受講生の顔ぶれは、実に多様だ。ときに、「バグってる人」や「ぶっとんだ絵を描く人」も参加する。「でも、その人の存在がほかの受講生によい影響を与える。“こうあるべき”から脱線してもいいと思える。それぐらい自由な人がいるほうが、息苦しくなくて、世界としてはチャーミング」と山縣は言う。多様性を許容することを、「価値観を球体にする」と表現する。「物事を多面的に捉え、自分とは異なる価値観を柔軟に受け入れ、リスペクトする姿勢。それはどんな場所においても、生きる力になる」

山縣良和(YOSHIKAZU YAMAGATA)
1980年鳥取県生まれ。2007年、writtenafterwardsを設立。物語性のある独自の世界を発表しつづける。2015年、「LVMH Prize」にノミネートされる(日本人初)。2019年、The Business of Fashionの「世界のファッションをつくる500人」に選出

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