目の前に淡く広がる日常の景色と、心に浮かびあがる光景をゆっくりとときほぐしていくーー。うたかたのように見えて澱となり、ほのかに香りだち、いつしか人生を味わい深く醸す日々のよしなしことを、エッセイストの光野桃が気の向くままに綴る。連載第六回目は、大好きな“おばあさん”について思いをめぐらす

BY MOMO MITSUNO

 おばあさんが好きだ。憧れるのは女性ばかり。雑誌などから好きな写真を切り抜いて作っている切抜き帳も、おばあさんでいっぱいだ。心映えなら「西の魔女が死んだ」のおばあちゃん。外見なら、イタリア女優のシルヴァーナ・マンガーノ。映画「ベニスに死す」では、その美しさに息を呑んだが、1989年に永眠した。
 知っているおばあさんなら、ただ一人、母方の祖母だ。寡黙で、いつも自室に姿勢よく座って、黙って煙草をふかしていた。笑うと、ふくよかな優しさが朝の霧のように出てくるので、怖いことはなかったけれど、ほとんどおしゃべりをしないことや、自分の欲求を表現しないことに、なにを考えているのかわからない不思議さがあった。
 いい魔法使いとも悪い魔法使いともいえないその雰囲気に、幼児のわたしは憧れを抱いたのかもしれない。テレビ漫画やぬいぐるみショウではいつも悪役や正体不明の役ばかりを応援していた。

画像: 赤い靴はダンスコのメリージェーン。戦前のモダンガールだった祖母のイメージ。ヒールの低いところが大人可愛い

赤い靴はダンスコのメリージェーン。戦前のモダンガールだった祖母のイメージ。ヒールの低いところが大人可愛い

 祖母はプロ級の裁縫の名手で、自分の和服も頼まれ仕事も、あっという間に仕上げていた。ところが、わたしや母の服を作るときは、何んだか嬉しそうに、パターンやデザイン画を眺めながら、なかなか裁断が始まらない。
 先にできあがった祖母本人の服を見せてもらい、「おばあちゃんはやっぱりカッコいいなぁ」などと言うと、恥ずかしいことを言うのではありません、とたしなめられた。
 祖母の定番服は、サンローランのパターンを用いたグレーフランネルのダブルジャケットとパンツの組み合わせ。コートも胸の切り替えにギャザーのたっぷり入ったテント型の、これもサンローランのデザインを自分の体形に合わせてアレンジしたものだ。いま思えば、好きなブランドのことや、デザインについて話をしてこなかったことが悔やまれる。寡黙なひとだったからこそ、せめて仕立てのことや、おしゃれ談義をしたかった。

 思い出を抱えたまま、わたしは大人になり、ハッと気がつくと、あの頃の祖母の年齢を超えようとしている。ああ、なんと人生は速く過ぎ去ることだろう。66歳など夢の中のことのようにしか思えないのに。

 ところで最近、スタイル帳に一人、おばあさんの写真を加えた。あるファッションブランドのカタログのモデル写真だ。黒の変形プルオーバーにグレーのワイドパンツ、靴は真っ白な踵の低いスニーカー。歳をとったひとのモノトーンやマニッシュな格好は素敵だ。顔も、ほとんどノーメイクなのが格好よく、白髪のボブスタイルがよく似合っている。いくら眺めていても飽きない。モデルさんだからきれいなのは当たり前なのだろうか。
 いやいや、ひとは60代にもなると、本当にごまかしがきかなくなる。今まで生きてきた人生のすべてで佇まいが決まってしまう。

画像: 祖母の写真。5歳の時のひなまつり。 着物は江戸前。衣紋は抜かず,帯は下めに,半襟は細く見せて。わたしもこの着方が好きです PHOTOGRAPHS BY MOMO MITSUNO

祖母の写真。5歳の時のひなまつり。
着物は江戸前。衣紋は抜かず,帯は下めに,半襟は細く見せて。わたしもこの着方が好きです
PHOTOGRAPHS BY MOMO MITSUNO

 祖母の結婚生活は厳しいものだった、と母に聞いたことがある。わたしの祖父は大正文壇の作家で、1冊の小説が大ヒットしたため、若いうちから派手な暮らしを送っていた。しかし2作目、3作目と回を重ねるうちに、あっという間に書けなくなった。書けなくても酒は飲む。出版社や作家仲間に金を借りて飲み続ける。そしてある日、本当に書けなくなり、東京を出奔して行方不明となった。祖父の消息がわかったのは、それから10年もあとのことだ。
 祖母はもう、祖父と離婚をした後ではあったが、3人の子どもたちを食わせるために、懸命に働いた。仕事はもちろん裁縫だ。祖母も母も、それから母の妹も、裁縫にまつわることやものが大好きだったから、どんなに貧しくとも、貧乏の辛さより服を縫う愉しさの方に気持ちが惹かれたのかもしれない。
 母の身の上話にどこか悲惨さが抜け落ちているように感じるのは、そのせいだ。
 つるつるとなめらかに落ちてゆく美しい絹糸の滝、暖かく、ちょっと男っぽくて、着ると背筋がスッと伸びるツイード、きめの細かい織りが正統派を感じさせるウィリアム・モリスのコットンプリントなど、戦争の終った直後の東京で、祖母一家は比較的早く、そうした上質の布地を手に入れ、仕事を再開したらしい。
 それらの布や針や大きな断ちバサミやコールペンシルたちが、少しでも祖母たちを慰めたのなら、よかった。
 久々に素敵な、マニッシュなおばあさんの写真を見て、そんなことを想った。

画像: 光野桃(みつの もも) 1956年、東京生まれ。クリエィティブディレクターの小池一子に師事、その後、ハースト婦人画報社に勤務し、結婚と同時に退職。ミラノ、バーレーンに帯同、シンガポール、ソウル、ベトナムで2拠点生活をおくる。著書に『おしゃれの幸福論』(KADOKAWA)『実りの庭』(文藝春秋)『妹たちへの贈り物』(集英社)『白いシャツは白髪になるまで待って』(幻冬舎)など多数。

光野桃(みつの もも)
1956年、東京生まれ。クリエィティブディレクターの小池一子に師事、その後、ハースト婦人画報社に勤務し、結婚と同時に退職。ミラノ、バーレーンに帯同、シンガポール、ソウル、ベトナムで2拠点生活をおくる。著書に『おしゃれの幸福論』(KADOKAWA)『実りの庭』(文藝春秋)『妹たちへの贈り物』(集英社)『白いシャツは白髪になるまで待って』(幻冬舎)など多数。

【光野桃の百草スケッチ】エッセイ一覧へ

T JAPAN webの
編集デスク・WEBエディター募集

応募する
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.