BY KANA ENDO
身長4メートルの主人公が伝えたかったこととは ──『僕は乙女座』
カリフォルニアに住むクーティは、身長4メートル。育ての親から21歳になるまで外に出てはいけないと言われ、高い壁で囲まれた自宅の敷地内で、文字通り息の詰まる生活をしていた。ついに好奇心が抑えられなくなったクーティは、約束を破って外の世界へ飛び出してしまう。テレビとコミックブックでしか外の世界を知らなかったクーティは、現実とのギャップに驚きながらも、友達と遊び、ファストフードを味わい、恋に落ちソーシャルライフを楽しむ。怪我をした友人のスキャットが保険に加入していないことを理由に、病院での治療を断られ死んでしまうことをきっかけに、権力と闘う仲間を見て、自分にできることは何かを考え始める。
本作はさまざまなメタファーによって構成されている。クーティの身長が4メートルというのは、一部のアメリカ社会では、黒人男性がそれほどの脅威と思われていることを表していると考えられるし、クーティとは反対に身長20センチほどの小さな人たちも登場するが、彼らは確かに存在しているのに、その存在を無視されているホームレスやLGBTQ+の人々を表しているのだろう。またクーティが恋に落ちるフローラは、高速で動くことができる能力をもつ。というか彼女にとって普通のスピードが、他の人間にとっては数倍の速さであるため、フローラはわざとゆっくり動くことで社会のスピードに合わせているのだ。これもメタファーで、自分では普通だと思うことが、社会では異質とされるので、仕方なく社会に合わせて生きざるを得ない人々、例えば自閉スペクトラム症や多動症などの人々を描いていると思われる。
資本主義への痛烈な批判と、人種差別への抗議に満ちた非常に社会的な作品ではあるが、個性豊かな登場人物たちが愉しませてくれる。ファションやスタイルだけでなく、作品内に出てくるアニメ作品や、ハンバーガーショップなどもスタイリッシュで、まるで90年代のミュージックビデオを見ているようだ。そのファンタジックでエッジィなストーリーの裏に隠された、これまでのダイバーシティやブラックライブズマターの考え方から一歩進んだ、ニューロダイバシティやインターセクショナルな視点をもつことの大切さに気づかせてくれる。
人と関わること、友人や家族が愛おしいと思える 『シュリンキング:悩めるセラピスト』
妻を事故で亡くしたジミーは、悲しみのあまり酒にあけくれ自暴自棄な生活を送っていた。高校生の娘アリスはそんな父親にうんざりしており、隣人のリズのみが頼みの綱。そんな破綻した毎日を過ごしていたジミーは、セラピストとしてなんとか仕事をしているものの、患者の話に真摯に耳を傾けられる心の余裕はなかった。ある日、夫からモラハラを受けている患者に対して、セラピストとしてはダブーとされている本音をぶちまけてしまう。が、自分に正直になることで何かが変わったことに気づき始める。
Apple TV+で配信されている『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』が最終話を迎え、“テッド・ラッソロス”を味わっている方もいるかもしれないが、この『シュリンキング:悩めるセラピスト』がロスを救ってくれそうだ。本作では『テッド・ラッソ〜』でロイ・ケント役を演じたブレット・ゴールドステインが製作・脚本に名を連ね、テッド・ラッソらしさも感じられる作品となっている。『テッド・ラッソ〜』では、サッカーを通して、マネジメントやチームワーク、リーダーシップを主軸に主人公のメンタルヘルスを描いたが、本作ではセラピストという悩める人を救う立場の人間のメンタルヘルスや、その周りに集う人々が抱えるさまざまな悩みを描き出す。意地悪なキャラクターや皮肉な表現というものはほぼ現れず、登場人物全員が心優しく、見ているだけでセラピーのように心が癒やされていく作品だ。
ジミーは妻を亡くし、娘のアリスに愛想を尽かされているが、患者と本音で向き合い懐に入っていくことで、娘との関係も改善し自分が救われていく。ハリソン・フォード演じるポールは頭の硬いベテランセラピスト。パーキンソン病を抱えていることに悩み、家族との関係もぎくしゃくしていたが、プライドを捨て素直に助けを求めることで皆が優しく受け止めてくれる。ジミーの隣人であるリズは空の巣症候群でアリスの世話を焼くことで気を晴らしていたが、ジミーの親友であり同僚のギャビーと仲直りすることで、お互いをシスターフッド的に支え合う。人間関係は時に我々を疲れさせ、辟易することもあるが、本作を観ると友人や家族がいることに感謝し、人との関わりを大切にしたくなる。
軽快な笑いに込められた中年が抱く不安と輝き ──『プラトニック』
夫と3人の子どもたちと共に典型的な専業主婦として生きているシルヴィア。クラフトビールの醸造家としてヒップなバーで働いているウィル。かつては親友としてつるんでいた二人だったが、結婚してそれぞれの生活を営むようになり疎遠になっていた。しかしウィルが離婚したことを知ったシルヴィアは久々に連絡を取ってみる。お互い40代になり、幸せながらもどこかモヤモヤしたものを抱えていることに気づき意気投合。昔のようなはちゃめちゃな生活が戻ってくる。
シルヴィアは専業主婦になる前は夫と同じ弁護士だった。かつての同僚がシルヴィアと同じように子育てをしながら昇進したという話を聞き、私は……と心がざわつく。一方ウィルは、バーのビジネスは軌道に乗り順風満帆のようにみえるが、付き合い始めた年下の彼女との圧倒的なジェネレーションギャップに気づきショックを受ける。実は本作は、40代〜50代の中年世代が陥りやすい“ミッドライフクライシス”を描いているのだ。第2の思春期とも呼ばれるこの時期、シルヴィアとウィルはこれまでの人生を振り返り、将来に漠然とした不安を抱えている。そんな時に再会した二人は20代の時のように、仲間の誕生日パーティで朝まで飲み明かしたり、コスプレして遊びに出かけたり、急に髪を染めたりと、思いっきり人生を楽しむ。とことん羽目を外したことで、周りの人々に迷惑をかけるが、それでも一緒にいてくれる家族や仲間、自分が築いてきた大切なものが見えてくる。そして過去の自分ではなく今の自分にしかできないことを見つけ、再びお互いの人生に花を咲かせていく。
また本作ではシルヴィアとウィルは決して恋愛関係にならない。シスターフッドやバディものが、同性間の連帯を強調するあまり異性との対立を煽ってしまう事象を見事にクリアし、性別を超えた連帯を描いているのはとても清々しい。コメディの力により、どこまでも陽気で心地良く見られる作品だが、その笑いの裏には現代を生きる大人に必要な新しい視点が込められた作品だ。
*各作品の配信状況は2023年8月25日現在のものです
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