ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクターに就任したファレルが、自身の価値観や目指すものをざっくばらんに語った

BY M.H.MILLER, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

画像: 「昨年ロサンゼルスで、ルイ・ヴィトンの発表の数カ月前に撮影した。プロデューサーとクリエイティブ・ディレクターの仕事は似ているから、アパレルからドラム、トランクスからメロディへの切り替えは問題なし。アトリエの一部が音楽専用になっていて、終日行き来している」 PHOTOGRAPH BY ERIK IAN

「昨年ロサンゼルスで、ルイ・ヴィトンの発表の数カ月前に撮影した。プロデューサーとクリエイティブ・ディレクターの仕事は似ているから、アパレルからドラム、トランクスからメロディへの切り替えは問題なし。アトリエの一部が音楽専用になっていて、終日行き来している」

PHOTOGRAPH BY ERIK IAN

 ファレル・ウィリアムスとは一体、何者なのか──。ファッションデザイナーとしての彼は、ヴァージル・アブローがこの世を去ってからちょうど1 年あまりがすぎた2023年2 月、アブローのあとを継いでルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクターに就任した。音楽プロデューサーとしての彼は、グラミー賞を何度も受賞しており、ジャスティン・ティンバーレイクの『Justified』(2002年)やクリプスの『Hell Hath No Fury』(2006年)をはじめとするポップスの名盤をいくつも世に送り出している。さらにミュージシャン、そしてパフォーマーとしての顔も持つ。

 そんなウィリアムスにインタビューを行うと、エレクトロニックミュージックのフランス人デュオのダフト・パンクや、長年シャネルのクリエイティブ・ディレクターを務め、2019年に死去したカール・ラガーフェルドのことが話題にのぼる。それぞれを「あのロボットたち」「カール」と親しみをこめて呼び、彼らについて話してくれる(註:ダフト・パンクは演奏するとき、メタリックなヘルメットと手袋を着用し、ロボットになりきっていた)。一方で、ウィリアムスは自分自身については語りたがらない。

 6 月、ウィリアムスはパリで、セーヌ川に架かる橋・ポンヌフをライトアップしてファッションショーを行い、フランスを代表するメゾンであるルイ・ヴィトンでの華々しいデビューを飾った。その数日後に早速電話でインタビューを行うと、「(自分自身について話すのは)どう考えても、ダンテの『神曲』に出てくる地獄篇をリアルに再現することに等しいよ」とウィリアムスは言い出し、インタビューそのものを途中で終わらせてしまうのではないかと感じる瞬間さえあった。
「僕はマジで、『ボイスメール症候群』なんだ」とウィリアムスは言う(註:「ボイスメール症候群」はウィリアムスがよく使う表現であり、自分の声や演奏の録音を聞くのは恥ずかしくてとても苦手であることを意味する)。「つまりさ、ボイスメールを再生して自分の声を聞くみたいなことを、君はなんとも思わずにできちゃうわけ?」

 現在50歳のウィリアムスは、日用品の修理やあらゆる雑用などを請け負う便利屋をしていた父ファラオと、教師をしていた母キャロリンのもとに生まれ、ヴァージニアビーチで育った。彼はこの土地で、将来長きにわたってコラボレーションしていくことになる何人もの人物に出会っている。チャド・ヒューゴも、そのひとりだ。ウィリアムスとヒューゴは、ザ・ネプチューンズというプロデュースグループを結成し、ふたりで数多くのアーティストの楽曲を手がけている。このふたりを抜きにして、過去30年におけるヒップホップサウンドを語ることはできない。それはまさに、ファンク・ブラザーズを抜きにして、1960年代のモータウンを語れないのと同じである(註:ファンク・ブラザーズは、モータウンレコードに所属するアーティストのバックで演奏していた一流のセッションバンド)。

 さまざまなスタイル、ジャンル、メディアのあいだを縦横無尽に行き来しながら、ひたむきに努力を重ねていくウィリアムスは、実に幅広い知識を身につけている。そんな彼がベストな状態で能力を発揮できる環境は、海や湖や川が見える場所だ。水の近くに身を置くと、創造力が研ぎ澄まされるという。彼の一家がかつて暮らしていた低所得者向けの公営団地「アトランティス」も、海岸のすぐそ
ばにあった。そして現在、ウィリアムスは主催者として、音楽とアートを融合させたフェスティバルを年に一度、ヴァージニアビーチで行なっている。その名も「Something in the Water」だ。

 マイアミのビスケインベイの自宅にその姿がないとき、ウィリアムスはパリで仕事をしている。セーヌ川を見下ろすことができるLVMH本社の建物の中にも、専用の音楽スタジオを持っているのだ。

画像: 「1976年頃、3歳のときの写真かな。僕は8人きょうだいの3番目で、2人の姉妹と5人の兄弟がいる。『スター・ウォーズ』(1977年)の登場もこの頃だね。ヴァージニアビーチの『アトランティス』での日々は楽しくて、生活が苦しいなんて知らなかった」 PHOTOGRAPH BY DR. CAROLYN WILLIAMS

「1976年頃、3歳のときの写真かな。僕は8人きょうだいの3番目で、2人の姉妹と5人の兄弟がいる。『スター・ウォーズ』(1977年)の登場もこの頃だね。ヴァージニアビーチの『アトランティス』での日々は楽しくて、生活が苦しいなんて知らなかった」

PHOTOGRAPH BY DR. CAROLYN WILLIAMS

画像: 「マイアミの自宅をスタジオにしたのは、数年前だったかな。年代の把握は苦手だ。今を大切にしつつ未来のことも進めていて、過去の記憶が曖昧になる。天気と湿度に左右されるマイアミは、僕のインスピレーションの源。あそこの海で録音するのは楽しいよ。自慢みたいに聞こえるけど、そうじゃない」 PHOTOGRAPH BY SAM HAYES

「マイアミの自宅をスタジオにしたのは、数年前だったかな。年代の把握は苦手だ。今を大切にしつつ未来のことも進めていて、過去の記憶が曖昧になる。天気と湿度に左右されるマイアミは、僕のインスピレーションの源。あそこの海で録音するのは楽しいよ。自慢みたいに聞こえるけど、そうじゃない」

PHOTOGRAPH BY SAM HAYES

画像: 『わんぱくジョーズ』(1976年)は子どもの頃大好きだったアニメ。主人公はザ・ネプチューンズというロックバンドのメンバーなんだ。僕ら(チャド・ヒューゴとの音楽制作ユニット)の名前の由来」 ©WARNER BROS/EVERETT COLLECTION/AMANAIMAGES

『わんぱくジョーズ』(1976年)は子どもの頃大好きだったアニメ。主人公はザ・ネプチューンズというロックバンドのメンバーなんだ。僕ら(チャド・ヒューゴとの音楽制作ユニット)の名前の由来」

©WARNER BROS/EVERETT COLLECTION/AMANAIMAGES

画像: 「これは去年、シャネルのアフリカでのショーで撮った(ウィリアムスは2014年から’22年まで同メゾンのアンバサダーを務めた)。場所はセネガルのダカール。僕の足もとはおろしたてのアディダス『サンバ』。かなり前、シャネルのアフリカ進出を提言したら、カールはやってみると言ったけど、その機会が訪れる前に亡くなった」 PHOTOGRAPH BY DRE ROJAS

「これは去年、シャネルのアフリカでのショーで撮った(ウィリアムスは2014年から’22年まで同メゾンのアンバサダーを務めた)。場所はセネガルのダカール。僕の足もとはおろしたてのアディダス『サンバ』。かなり前、シャネルのアフリカ進出を提言したら、カールはやってみると言ったけど、その機会が訪れる前に亡くなった」

PHOTOGRAPH BY DRE ROJAS

画像: 「ヘンリー・テイラーと仕事をしてみたかった(ルイ・ヴィトンのデビュー・コレクションで、米国の芸術家、テイラーの肖像画作品―ここで紹介したのもそのひとつ―を刺しゅうで服やバッグに施した〈下画像〉)。ルイ・ヴィトンが米国出身の黒人を再び起用したことの意義を、僕は理解している。星空へ旅立った僕らの兄貴、ヴァージルのあとを引き継ぐことは、とても大事だ。魅力的な物語を紡いでいくことが大切だと思う。僕から提案するプロジェクトはないよ。僕自身がプロジェクトなのだから。外見が僕と同じような人もそうじゃない人も、今この瞬間に心を動かされてほしい。ヘンリーのような(黒人の)アーティストとの協業は、僕らの物語を広めることにつながる」 HENRY TAYLOR, “PORTRAIT OF MY COUSIN GF: DANA GALLEGOS,” 2020, ACRYLIC ON CANVAS © HENRY TAYLOR, COURTESY OF THE ARTIST AND HAUSER & WIRTH

「ヘンリー・テイラーと仕事をしてみたかった(ルイ・ヴィトンのデビュー・コレクションで、米国の芸術家、テイラーの肖像画作品―ここで紹介したのもそのひとつ―を刺しゅうで服やバッグに施した〈下画像〉)。ルイ・ヴィトンが米国出身の黒人を再び起用したことの意義を、僕は理解している。星空へ旅立った僕らの兄貴、ヴァージルのあとを引き継ぐことは、とても大事だ。魅力的な物語を紡いでいくことが大切だと思う。僕から提案するプロジェクトはないよ。僕自身がプロジェクトなのだから。外見が僕と同じような人もそうじゃない人も、今この瞬間に心を動かされてほしい。ヘンリーのような(黒人の)アーティストとの協業は、僕らの物語を広めることにつながる」

HENRY TAYLOR, “PORTRAIT OF MY COUSIN GF: DANA GALLEGOS,” 2020, ACRYLIC ON CANVAS © HENRY TAYLOR, COURTESY OF THE ARTIST AND HAUSER & WIRTH

画像: COURTESY OF LOUIS VUITTON

COURTESY OF LOUIS VUITTON

画像: 「長男のロケットは音楽のビートを作れる(写真は2012年、ディズニーワールドにて)。妻(モデルでファッションデザイナーのヘレン・ウィリアムス)と僕には三つ子もいる。3人のやんちゃ盛りを育てるのは素晴らしくエネルギーがいるし、エネルギーに満ちた素晴らしい時間」 PHOTOGRAPH BY FREDRIK NILSEN; COURTESY OF HELEN WILLIAMS

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画像: 「今年、大阪のルイ・ヴィトン内のレストランで撮影。日本は大好きな国だ。僕の50歳の誕生日会をNIGO®が開いてくれた(東京在住のNIGO®はKENZOのアーティスティック・ディレクターであり、ヒップホップのプロデューサーでもある)。彼との出会いは、人生最高の贈り物のひとつ。20年前、日本で録音することになり、彼のスタジオを使わせてもらった。5階建てのビルは各階がショールーム、撮影スタジオ、録音スタジオになっていて、『すげえ、コイツは思いどおりに生きている!』と思った。その衝撃が僕を変えた。米国では自慢するのが当たり前。でもNIGO®は何も言わなかった。その必要がないからね。東京の空気には謙虚さがある。ヴァージニアの空気に湿気があるように」 PHOTOGRAPH BY DRE ROJAS

「今年、大阪のルイ・ヴィトン内のレストランで撮影。日本は大好きな国だ。僕の50歳の誕生日会をNIGO®が開いてくれた(東京在住のNIGO®はKENZOのアーティスティック・ディレクターであり、ヒップホップのプロデューサーでもある)。彼との出会いは、人生最高の贈り物のひとつ。20年前、日本で録音することになり、彼のスタジオを使わせてもらった。5階建てのビルは各階がショールーム、撮影スタジオ、録音スタジオになっていて、『すげえ、コイツは思いどおりに生きている!』と思った。その衝撃が僕を変えた。米国では自慢するのが当たり前。でもNIGO®は何も言わなかった。その必要がないからね。東京の空気には謙虚さがある。ヴァージニアの空気に湿気があるように」

PHOTOGRAPH BY DRE ROJAS

画像: 「映画鑑賞で現実逃避するのが大好き。でも不思議なことに、自分が何から逃げたいのかは不明。お気に入りは『未知との遭遇』(1977年)。リチャード・ドレイファスの役柄と宇宙人に親しみを感じる」 ©PHOTO 12/AMANAIMAGES

「映画鑑賞で現実逃避するのが大好き。でも不思議なことに、自分が何から逃げたいのかは不明。お気に入りは『未知との遭遇』(1977年)。リチャード・ドレイファスの役柄と宇宙人に親しみを感じる」

©PHOTO 12/AMANAIMAGES

画像: 「ルイ・ヴィトンに起用され、つくづく自分は永遠の学生だと感じる。もし僕が何かを極めたとしたら、それは学び続けることだね。自分はダミエ(ルイ・ヴィトンの特徴的な市松模様)を使ってデザインしてみたかった。ピクセル調の迷彩柄が昔から好きで、これをダミエと組み合わせて進化させたのが、ダモフラージュ(写真の中でモデルがフィッティングしている。今年の初めに撮影)。才能のある人たちに囲まれるのは最高だ。僕は牡羊座だからとても衝動的。人材とリソースがなければ、よくある知恵の持ち腐れに陥る」 PHOTOGRAPH BY KOURTRAJMEUF

「ルイ・ヴィトンに起用され、つくづく自分は永遠の学生だと感じる。もし僕が何かを極めたとしたら、それは学び続けることだね。自分はダミエ(ルイ・ヴィトンの特徴的な市松模様)を使ってデザインしてみたかった。ピクセル調の迷彩柄が昔から好きで、これをダミエと組み合わせて進化させたのが、ダモフラージュ(写真の中でモデルがフィッティングしている。今年の初めに撮影)。才能のある人たちに囲まれるのは最高だ。僕は牡羊座だからとても衝動的。人材とリソースがなければ、よくある知恵の持ち腐れに陥る」

PHOTOGRAPH BY KOURTRAJMEUF

画像: 「子どもの頃、叔母の家でよくレコードを聴いた。パーラメント/ファンカデリックに衝撃を受けた。『Trans-Europe Express』(1977 年/クラフトワークがスタジオで制作した6枚目のアルバム)の登場もこの頃。『アトランティス』はまるで泡の中にあるような音楽一色の共同体だった。お決まりの曲が流れると、その場でミュージカルが始まるんだ。演者になるもよし、聴衆になるもよし」 ©ALAMY/AMANAIMAGES

「子どもの頃、叔母の家でよくレコードを聴いた。パーラメント/ファンカデリックに衝撃を受けた。『Trans-Europe Express』(1977 年/クラフトワークがスタジオで制作した6枚目のアルバム)の登場もこの頃。『アトランティス』はまるで泡の中にあるような音楽一色の共同体だった。お決まりの曲が流れると、その場でミュージカルが始まるんだ。演者になるもよし、聴衆になるもよし」

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