BY REIKO KUBO
『僕はイエス様が嫌い』(2019)で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞した奥山大史監督。その後は、Netflixシリーズ『舞妓さんちのまかないさん』の6、7話の監督・脚本・編集を務めたほか、『君たちはどう生きるか』の主題歌である米津玄師「地球儀」のMVを手掛けるなど、多彩に活躍してきた期待の新鋭の商業デビュー作『ぼくのお日さま』が公開される。
雪降る街を舞台に、吃音のある少年タクヤ(越山敬達)とフィギュアスケートを学ぶ少女さくら(中西希亜良)、そしてさくらのコーチを務める元フィギュアスケーター荒川(池松壮亮)の3人の視点から描かれる『ぼくのお日さま』は、今年のカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で8分間ものスタンディングオベーションで迎えられ、話題を集めた注目作だ。
――切実さとユーモアのバランスが素晴らしかった『僕はイエス様が嫌い』が、大学の卒業制作と聞いて驚きました。これまでの映像体験を教えてください。
奥山 僕は4人兄弟の一番下で、幼い頃は家でテレビを見るのが楽しかったですね。カートゥーン ネットワークが大好きで、『トムとジェリー』や『ピンクパンサー』とか、よく見ていました。16対9のテレビ画面の中に映し出される4対3の、ちょっと絵画的とも言える構図のアニメーションが自分にとっての映像原体験で、絵作りでは影響を受けていると思います。映画を見始めたのは中学生ぐらい。昔、自由が丘にあった武蔵野館によく行きました。高校生ぐらいから、レンタルビデオで一度に何本も借りて見るようになって。もの作りに興味がありましたが、映画を作るというのは想像できなかったので、最初は演劇のお手伝いをしたり、下北沢の本多劇場でバイトしてみたりして。映画制作を始めたのは大学生になってからでした。
――『ぼくのお日さま』は、奥山監督ご自身が幼少期にスケートを習っていた経験から生まれた映画だそうですね。
奥山 子供の頃、7年ぐらい習っていて、いつかフィギュアスケートをテーマにした映画を撮りたいと思っていましたが、ストーリーは実体験というより、映画用にさまざまに悩みながら書いていきました。構想としてざっくりとあったのは、2人の男の子と1人の女の子の話でした。3人いるからこそ、何か恋の矢印がうまくかみ合わない、視線が交差しないような人間模様が描けたらと思っていました。でもどこかふわふわして、何かが足りないと感じていたときに、ハンバート ハンバートさんの「ぼくのお日さま」という曲に出合い、すごく良い曲だなと感じて、この「ぼく」を主人公にできたらいいなと思いました。
――「ぼく」ともう一人の男の子が、「ぼく」と池松壮亮さん演じる荒川になったのはなぜですか。
奥山 エルメスのドキュメンタリーフィルム『HUMAN ODYSSEY』で池松さんとご一緒しまして。打ち合わせ段階から撮影中、編集中と少しずつ、池松さんという人が、ただ立っているだけで、とても物語を感じさせる人だとわかっていって。運転しながら話をする姿や、フェリーに乗って行先を見つめている姿を見ながら、この人を映画で撮りたいと強く思ったんですよね。それで半ば無理やり池松さんでリライトし始めたら、意外と筆が進んだんです。
――荒川という役について、池松さんとどんなディスカッションをしましたか?
奥山 この映画は、フランスの国立映画センターCNCから助成金をもらっているんですが、その申請の際にディレクターズノートの提出が必要で、なぜ脚本に多くの余白があるのか、僕が自分で撮影をするのはなぜか、なぜ子供に台本を渡さないのか、自分なりの撮影のこだわりを文章にまとめたんです。それを池松さんと共有しました。もちろん映画全体の目指したい方向性も。台詞で全てを説明するよりも、その人を見ている表情、視線や視線の動きだけで伝えたいし、存分に余白を作った上で、その余白をアドリブだったり、その時に生まれた発想で埋めていきたいと。荒川がタクヤに初めてスケートを教える場面は、「タクヤにスケートを教える荒川」といったト書きだけしか書いていませんが、実際の映画にはたくさんの台詞が入っています。多分この映画の台詞の半分はアドリブが占めているはずです。
――では池松さんと奥山さんが現場で台詞を言ってみて、話し合いながら撮影していったのですか。
奥山 そうです。また池松さんはスケート監修の森望さんという方に「このアイスダンスのときに、先生が注意しがちなのはどこですか」と、よく聞いていましたね。例えば、「フリーレッグしっかり伸ばす!」といった技術的な台詞です。そうしないと「はい、しっかり合わせてー。はい、しっかりお互いの動き見てー」ぐらいの抽象的なことしか言えませんから。それって、スケートを滑ったことがないお客さんにもわかっちゃうというか、リアリティを感じないものになってしまう。リアリティを感じさせるためにも、あえて知らない専門的な言葉も出すべきなんです。
――タクヤが「月の光」に合わせて滑るリンク上のさくらを初めて見つめるシーンも印象的でした。タクヤがときめいたのが、さくらなのか、フィギュアスケートなのか、スケートをするさくらなのか。曖昧なところが、その後のスリルを生んでいました。
奥山 タクヤ自身もスケートに憧れたのか、さくらに憧れたのか、はっきりとはわからない。それでも強く何かに惹かれたという感じを狙っていました。それをタクヤが失ったとき、どちらも好きだったんだと後になってわかればいいなと思っていました。
――スケートシーンだけでなく、全編を奥山監督が撮影されています。自らカメラをまわすこだわりを教えてください。
奥山 演出に集中するため、カメラは人に任せてもいいんじゃないかと言われることもありますが、僕の中では撮影こそが演出だ、って思う瞬間がある。例えば、タクヤが1人で滑っているのを荒川が見つめている場面も、僕の方で池松さんのお芝居をコントロールできる幅というものは結構わずかで、一方どの角度から撮るか、何ミリのレンズで撮るか、どれくらいのサイズで撮るかということによって、お芝居の受け取り方って全然違ってくると思うんです。テレビドラマを撮った時、カメラマンさんに撮影をお願いしたら、自分では絶対撮れない良い絵が撮れたりもしたんですが、自分が脚本を書いている時はある程度、無意識に絵やカット割りが頭の中で出来上がっているだけに、なるべく自分で撮りたいなと思うんです。
――『僕はイエス様が嫌い』にも雪景色が登場しますが、今回も主題歌となった「ぼくのお日さま」と雪国の淡い太陽の光が見事に響きあっていました。
奥山 カメラマンとして雪を撮るのが好きだということに加え、監督としても、「時間が描ける」という意味で、雪はとても映画的だと思っていて。雪が降り始め、雪がとけ出し、とけた後に景色が少し緑づいたところで何か会話をするという時間の描写をやってみたいと思ったんです。せっかく日本で季節を描くなら、とことん雪景色が綺麗なところで撮りたいなと。凍結湖でのスケートシーンも欲しかったので、ロケ地は北海道になりました。
――2作続けて小学生の男の子が主人公です。思春期手前の少年時代とその感情の流れを描くことに惹かれますか。
奥山 僕の場合、カメラマンとしての衝動が最初に来るので、物語や感情よりも撮りたい絵が全てなんです。その人、その景色、そのスポーツ、その物体、撮りたいと思うものの集合体で映画にしたいと思っているので。小学6年生から中学1年生ぐらいの少年がもつ一瞬で終わる独特の光に包まれた時期を撮りたい。あえてわかりやすいところでいえば、『リリイ・シュシュのすべて』の市原隼人さんや、『誰も知らない』の柳楽優弥さんとか。『ぼくのお日さま』の撮影から1年と少し経ちますが、タクヤ役の越山くんはもう立派に男になりつつあって、男の子ではないんです。本当に一瞬。儚いからこそ映画で記録したくなるんです。
――タクヤには、小学校6年生ごろの奥山監督ご自身が投影されていますか。
奥山 あると思いますね。昔は、集団の中で孤独や人との距離を感じることがよくありましたし、なんなら今もあります(笑)。でも吃音に悩まされていないとか、田舎育ちでないとか、違うところもあるわけですが、僕が登場人物を描いている以上、どこかしら自分が入っていますね。プロの脚本家なら、自分とまったく違う人物を描けるんでしょうけれど、僕は自分から離れた人ってなかなか描けない。やっぱり自分のさまざまな面が、登場人物ごとにばらけて表出していると思います。
――では、ご自分の一部を託せる俳優には、池松さんのように、ぜひ撮ってみたいと強く思わせる佇まいが必要ですか。
奥山 そうですね。結局、池松さんが演じた荒川も、池松さんの実際の性格に近いのかはよくわからなくて、言ってしまえば僕の方で共感できる物語を勝手に付け加えています。そういう物語を発想させてくれる人。こういう時、自分はこういう風に思うだろうというイメージをガーッと広げて執筆中に少しでも憑依させてくれる俳優さんと出会っていきたいし、そういう人たちとご一緒できるように、これからも頑張りたいなと思いますね。
『ぼくのお日さま』
9/13(金)より全国公開
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