シャルヴェの伝説的なシャツ作りへの敬意を表し、ひとりの男がオーダーメイドシャツをめぐる旅に出た

BY JAMES MCAULEY TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: ヴァンドーム 広場、28番地。シャルヴェのファサード PHOTOGRAPH BY SARAH AUBEL

ヴァンドーム 広場、28番地。シャルヴェのファサード
PHOTOGRAPH BY SARAH AUBEL

 王子や大統領といった顧客を持つフランスのシャツメーカー、シャルヴェ。ここでは着る人が服を作る。1838年以来ーーつまりロンドンのサヴィ ル・ロウが世界のメンズファッションの中心地となる何十年も前からーー、男たちはここシャルヴェで、シャツやスーツをあつらえ、同時に彼ら独自 のアイデンティティを鮮やかに具現してきた。シャルル・ド・ゴール元大統領に、ウィンストン・チャーチル元首相、イヴ・サンローランまで、誰もがシャルヴェをまとった。たとえば、ホテル暮らしを繰り返していたヘンリー・キッシンジャー元国務長官は、ランドリーサービスの洗濯に持ちこたえるような厚手の生地にこだわった。

 ジョン・F・ケネディは“ジョン・ティアニー”の名前で、冷戦中のワシントンではお決まりだったダブルカフス・シャツをオーダーしていたが、あくまでも彼らしい少年風のテイストで仕上げたらしい。絢爛な貴族社会が背景として描かれた、英国の作家イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』で、シャルヴェが主人公セバスチャン・フライトの気品を象徴しているのも不思議ではないだろう。

 シャルヴェの定番シャツといえばホワイトだ。だがここではほかにも300色以上のブルーをはじめ、さまざまなストライプがずらりと勢揃いする。商標登録されたこれらのストライプ柄は、英国の柄より繊細で、小気味よくアシンメトリーが効いていると評判だ。それでもやはり、シャルヴェのシグネチャーアイテムは、ビジネスライフにおいて多くの男性が身にまとう、シンプルながら重要な白いシャツなのだ。

画像: (写真左)1900年当時の店の外観/ 1910年頃の同店のランドリーと 配送の担当班 (写真右)アトリエの2 階に ある白の生地が並んだ棚 (LEFT)Courtesy of Charvet (RIGHT)PHOTOGRAPH BY SARAH AUBEL

(写真左)1900年当時の店の外観/ 1910年頃の同店のランドリーと 配送の担当班
(写真右)アトリエの2 階に ある白の生地が並んだ棚

(LEFT)Courtesy of Charvet (RIGHT)PHOTOGRAPH BY SARAH AUBEL

 パリのヴァンドーム広場に面した、6階建ての広大な邸宅には、アレクサンドリア図書館にぎっしりと並ぶ文書さながら、とてつもない量の生地が棚の中でひしめき合っている。色、布の重さ、フォルム、襟、ボタンの種類まで、選択肢は膨大だ。また、左の袖口は、腕時計をつけるゆとりを与えるために、あるいは時計を目立たせるために、心もち広めに作ることができる。

 男性客の中には、イブニング用の平らなドレスウォッチに合う袖口のシャツを1枚と、デイタイム用のがっちりした腕時計に合うものを1枚、2種類仕立てる人もいるそうだ。襟の内部にはフラシ芯(接着しない芯)を6枚重ね、端から4ミリのところに1インチ(約2.5センチ)あたり20のステッチをかける。ボタンは、強度があって色鮮やかなオーストラリア産の牡蠣の殻の表面から採った真珠母貝製。クロゼットを満杯にしそうなほどの数の白いシャツをまとめてあつらえる客もいれば、同じ型のシャツを、何度もリピートする客もいる。ちなみにフランスの哲学者ベルナール=アンリ・レヴィは、フランス人の象徴的な肩をすくめるジェスチャーと、黒のシャルヴェ・スーツにシャークフィンカラー(サメのヒレ形襟)のシャツを開けて着ることで有名だ。だが実際のところ、このシグネチャースタイルがなければ、彼は“BHL”の略称で親しまれる“インテリ・セレブ”にはなっていなかったかもしれない。

画像: (写真左)ジャン=クロードと アンヌ=マリー・コルバン。 177年の歴史をもつ同族企業のシャルヴェ社を所有し、兄妹二人で経営する (写真右上)パリのシャルヴェに 並ぶオーダーメイド シャツ用の約5000種類の 生地サンプル (写真右下)ブレスレット型の マグネット式針山 PHOTOGRAPHS BY SARAH AUBEL

(写真左)ジャン=クロードと アンヌ=マリー・コルバン。 177年の歴史をもつ同族企業のシャルヴェ社を所有し、兄妹二人で経営する
(写真右上)パリのシャルヴェに 並ぶオーダーメイド シャツ用の約5000種類の 生地サンプル
(写真右下)ブレスレット型の マグネット式針山
PHOTOGRAPHS BY SARAH AUBEL

 1964年に、創業者一族からシャルヴェを買収したコルバン家の兄妹、ジャン=クロード・コルバンとアンヌ=マリー。二人は、『失われた時を求めて』の中でプルーストがマドレーヌについて思いを巡らせたように、ホワイトシャツについて熟考を重ねる。優雅なる文化を温存していくために。「とても奥深い話でしてね、これが」と、ジャン=クロードはラ・ペ通りを眺めながら語り始めた。「普通、シャツと聞いて人々が思い浮かべるのはもともと白いもの。日本語でシャツは“ワイシャツ(英語のホワイトシャツが訛ってできた言葉)”と言いますよね。シャツと言えばつまり、白いシャツを指すのです。色といえば、それは白。ホワイトシャツがすべてのシャツの基点なのです」

 だが白い布の完璧な純白さを求めるのは、人間が完璧な健康体を望むようなものだ。つまり、実現不可能ということ。ジャン=クロードによると、エジプト綿をはじめ、いくつかのコットンはもともと黄色みがかっているそうだ。また大抵のコットンは、非常に薄い色みで染めるアジュラージュ(フランス語で青に染めることを意味する)という名のプロセスを経て仕上げられる。その名称からもわかるように、伝統的にはブルーに染めるが、時折 ライラックに近い色調にする場合もある。だから白といっても、決して純白ではないのだ。ジャン=クロードとアンヌ=マリーはいくつかの生地を棚から引っ張り出し、二反ずつまとめて並べたにぜひひとつずつさわってほしいと言ってきた。生地に使われている海島綿(ゴシピウム属バルバデンセ種)は、ナイル川のデルタ地域でしか採れないもので、その大半はシャルヴェ専用に生産されているという。さて、軽めのポプリン地と重めのもの、どちらがいいだろう。重いほう。光沢のある生地とないほう、どちらがいいか。光沢の少ないほう。「生地をよく観察して、触れてみる。そうすれば好みがわかってきますから」とジャン=クロードは説明してくれた。そのとおり、確かに自分の好みが浮き上がってくる。

画像: この店のシャツは 映画監督ソフィア・コッポラの定番でもある

この店のシャツは 映画監督ソフィア・コッポラの定番でもある

 “自分らしいスタイルのユニフォーム”を見つけるまでに、いくつもの選択をしていくが、その過程では当然、自分が過去に行なったチョイスも関係してくる。シャルヴェではすべての顧客の記録を保管していて、途中で、僕は自分の名前〝Jake McAuley(ジェイク・マコーリー)〞を見つけた。今ではジェームスと呼ばれているのだけれど。今から約10年前、18歳だったジェイクは父親とこの店を訪れた。子どもだったジェイクは夏 の大半をフランスのビーチでフィッツジェラルドを読んで過ごし、というより実際は、サンオイルを塗ったトップレスのデイジー・ブキャナンたち(『グレート・ギャツビー』の女性登場人物)に見とれ、偉大なアメリカ小説をすぐにでも書けると信じ込んでいた。そんなわけで、このジェイクはカジュアルな白のオックスフォード地を選んだ。ところが、その未来版のジェームスは、いかにも大学生らしい青二才で、都合がいいときだけジョン・ロールズの正義論を謳い、驚いたことに、呆れるほどうぬぼれたセミナーの問題提起役になっていた。このジェームスは以前と同様に(いわゆるマルクス経済学の)“商品の物神崇拝”を嫌いつつ、どこにでも着ていける白のポプリン地を選んだ。

 こう見ると、これらのシャツは一連の自画像のようだ。あるいは、自己観察を通じて捉えたさまざまな心の内面を、ステッチをかけて縫い合わせたものともいえるだろう。これから自分がどんな性質の人間になっていくのかを探りたくて、僕は絶え間ない自己観察を試み続けている。 今、再び僕はポプリンを選んだ。でもこれがいったい何を意味するのかは、今の時点ではまだよくわからない。

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