BY ALEXANDER FURY, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI
2017-’18年秋冬メンズ・コレクション、プラダのショー会場にはベッドが置かれ、タイル張りの壁には、雑誌の切り抜きとおぼしき写真が貼られていた。デザイナーのミウッチャ・プラダは、派手で芝居がかった舞台セットを避け、かわりに男子寮の部屋を彷彿させるセットでショーを開催した。そして発表された服もまた、控えめで過剰なところのないものだった。手編みのニット、ツィードやスエード地のトレンチコート、コーデュロイパンツ、茶色のブレザー。バックステージでミウッチャが語ったテーマは、「親密さ」だった。大局的なアプローチから個人的なアプローチへシフトし、「大げさなファッション、大げさなアート、大げさな物事ではなく、その反対のこと」を考えたのだと彼女は語った。
ファッション界随一の思想家にして大胆なセンスの持ち主であるミウッチャ。特にメンズ・コレクションにおいてはそれが顕著で、数シーズン前にはラインストーンのスタッズがついた目もくらむようなゴルフウェアにマンガのイラストがプリントされたベレー帽を合わせたことも。そんな彼女が過激なデザインをきっぱり見限って、かわりに素朴で質素、退屈でさえあるデザインにフォーカスしたのだ。そして、この傾向はプラダだけのものではない。2017-'18年秋冬メンズ・ファッションウィークでもっとも話題になったのは、凡庸さがトレンドになったことだ。パリでもミラノでも、デザイナーたちは装飾的で極端なデザインを脱し、ブランドの美学を抑制し、服の機能性に焦点をあてていた。
もっとも、昔からメンズウェアはウィメンズウェアよりはおとなしい傾向にあった。18世紀末のいわゆる「男性の虚飾放棄」現象の際に、男性はひだ飾りのついたブラウスや、絢爛豪華な刺しゅうやブロケード織りを身につけることをやめ、かわりに地味なウールのスーツを着るようになった。それ以来、一般に男性服は女性服ほど派手ではなくなった。この現象の要因として挙げられるのは、産業革命とフランス革命のふたつの革命で、それ以前の社会ではよしとされていた怠惰でのんびりした貴族的な生活が、まったく歓迎されなくなったのだ。それでもハイファッション界は、着飾るのが好きな男性たちにとっての晴れの舞台であり続けたし、今でも一部のブランドにおいてはそのままだ。だが徐々に、ハイファッションは世界全体のムードや共通の文化的な傾向に従うようになってきた。だから、デザイナーたちのつくる服がよりシンプルで簡素、デイリーウェアに近くなってきたとしても、驚くことではない。いみじくもミウッチャ・プラダがバックステージで言及したように、「人間的で、シンプルで、リアルな」服に近づきつつあるということだ。