BY TERUYO MORI, PHOTOGRAPHS BY WESTON WELLS
インタビューが始まってすぐに、私と編集者が着ているポロのマーク入りのシャツに気づくと「いいシャツだね。同じラルフローレンでも、それぞれ個性的なスタイリングで着ているからまったく違うものになっていて、なかなかいい!」と、とびきりの笑顔で褒めてくれる。緊張がほぐれた瞬間だった。
ラルフローレン・ブランドの始まりがネクタイだったことは、あまりにも有名だ。彼は自分の好きなことで経験を積みたいと、大学を中退して短期間だがブルックスブラザーズで販売を経験し、その後手袋やネクタイの会社で営業マンとして働いた。自分の趣味に合うネクタイがないことに気づき、知人から5,000ドルの融資を得てブランドを立ち上げた。1967年のことだ。それから半世紀がたつ。ブランド創設50周年を迎えた感想を聞くと「ショッキング」と即座に答えが返ってきた。ファッションの会社が50年も続くというのは稀なことで、ましてこのように世界的なブランドになるなど考えも及ばなかったと言う。
「私は自分の思いを表現したかっただけなのです。60年代当時のスリムなネクタイの流行にうんざりして幅の広いネクタイのデザインを始め、そのネクタイに合うシャツは? スーツは? と考えながらアイテムを増やしていったことで自然とブランドができ上がりました。アメリカではレディスのデザイナーはいても、メンズで身をたてるデザイナーはほとんどいませんでした。私は1930年代のクラシカルなスタイルが大好きなので、ネクタイのデザインを始めた頃、注目したのはフレッド・アステアやケーリー・グラントのエレガントでスタイリッシュなスタイルでした。私のブランドはスタイリッシュですが、モードすぎず、でも、どこかにほかとは違うチャームポイントがあるのが特徴だと思っています。そしてメンズのアイテムをデザインする一方で、メンズのデザインを活かした女性ものも手がけることにしました。ボタンダウンシャツやメンズのジャケットは女性が着てもカッコいいし、パンツやシャツにメンズの感覚を取り入れると新鮮で独特の雰囲気が生まれますからね」
メンズ・アイテムを女性が着るのは今では普通だが、このスタイルに世界中の女性たちが虜になったのは、ローレン氏が主演女優のダイアン・キートンに服を提供したウディ・アレンの映画『アニー・ホール』(1977年)だった。白いメンズのシャツにネクタイ、チノパンにメンズのベストにフェルト帽。ミディ丈のスカートにツィードのジャケットにカウボーイブーツなど。ダイアン・キートン自身のファッションセンスのよさも手伝って、そのメンズライクなスタイルは、欧米はもとより日本でも注目されてアニー・ホール・ルックと呼ばれるようになった。映画の公開当時、ファッション雑誌の駆け出しの編集者だった私にとっても、『アニー・ホール』のスタイルは新鮮で、デザイナー、ラルフ・ローレン、そしてアメリカのファッションに興味をもつきっかけになった。
彼に「ラルフローレン」はアメリカン・クラシックスと言われているが、と切り出すと、きっぱりと「アメリカン・クラシックスだとは思っていません」と否定されてしまった。「私は特にアメリカを意識してデザインしているわけではありません。でも人々は私の服からアメリカ特有のイメージを得ることもあるでしょうね。私はプレッピーやウェスタン、ネイティブアメリカンの衣装、ミリタリーものが大好きで、自分でも着ていますし、それらからインスピレーションを得て服を作ることもあります。人々が忘れかけてしまったウェスタンやネイティブアメリカンのカルチャーをファッションで蘇らせたのは、私だと思っています。でもそれは私のデザインのほんの一部です」
アメリカン・クラシックスではないとすれば、彼のデザインとは何だろう? さらに問いかけてみた。
「私の服はひと言でいうとスポーツウェアです。カジュアルな気分で着られる服です。シャツやセーター、スカートなどのアイテムを自分流に組み合わせ、軽快なスタイルを作り出す。同じアイテムでもマルチな場面で活用できるのが私が考えるスポーツウェアです。私がブランドを始めた頃は、ファッションといえばヨーロッパのフォーマルなスタイルが中心でした。スポーツウェアを今のようにファッションの主流にしたのは、カルバン・クラインやダナ・キャラン、そして私です」