BY FRANK BRUNI, PHOTOGRAPHS BY MICHAL CHELBI, FASHION STYLED BY JAY MASSACRET, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
少し前まで無名だったアレッサンドロ・ミケーレ。クリエイティブ・ディレクターに大抜擢された新生グッチを隆盛に導き、ファッションの観念そのものも刷新した彼は、どのような人物なのか。モード界の通例とはかけ離れたミケーレの素顔に迫るインタビューの「後編」をお届けする。
ミケーレが誰よりも輝いている理由はまだほかにもある。そのひとつは、ショーピースと会場で配られる分厚いリリースから伝わってくる、彼の深い知識と、興味と好奇心に満ちたエスプリだ。これは彼の中に根づいたローマと深いかかわりがある。ミケーレはローマの中心部で生まれ育った。芸術を愛する両親と、それを享受できる環境に恵まれた彼は、彼の姉とともに芸術に慣れ親しんできた。母親はイタリアの映画会社の幹部のアシスタントを務め、映画の世界にどっぷりとつかり、父親はアリタリア航空の技術者で、自由時間を彫刻に費やしていたという。
今年6月、ローマにミケーレを訪ねた際、彼は「生まれてすぐから、僕は古代の廃墟の中を歩き回っていたんだよ」と言って笑った。私たちは彼のオフィスの、グリーンのビロードソファに腰かけていた。見上げると息を呑むほど壮麗な格天井が目に入る。グッチのデザインオフィスは、ラファエロ・サンティ(註:盛期ルネサンスの代表的な画家・建築家)設計の、16世紀初頭に建てられた大邸宅の中にあるのだ。
ローマの街は、多様な時代の図像やアーキタイプ(註:時代や文化を超えて普遍的なイメージや象徴をもたらすもの)の宝庫だ。それらは積み重なり、あちこちに散らばり、ぶつかり合っている。ルネサンスの遺跡と呼べるグッチのデザインオフィスを出ると、その右手にテベレ川の橋があり、橋の両端にジャン・ロレンツォ・ベルニーニによるバロック様式の彫刻が並んでいる。川の向こうには、ローマ帝国のハドリアヌス皇帝が一族の霊廟として2世紀に建造した、円筒型の巨大なサンタンジェロ城がそびえ立っている。ミケーレの視点やスタイルが、この街に影響を受けているのは明らかだ。「父親とは公園で遊ばなかったし、スポーツもしなかった。でも美術館にだけは行っていたんだ」と彼は回想する。「美しい彫像を眺めて時間を過ごしていたよ。その顔や体に見入りながら」
ミケーレが学んだアカデミア・コストゥーメ・エ・モーダは、グッチのデザインオフィスを出て、石畳の道を数ブロック歩いた先にある。彼の指導にあたっていたエリザベッタ・プロイエッティは、「アレッサンドロには、ローマの血が流れていますからね」とつぶやいた。この学校では、コスチュームデザインとファッションデザインの両方を3年かけて学ぶが、これがミケーレの作品に驚くほど影響を残していると彼女は言う。コスチュームのデザインをするには、歴史を隅々まで知り尽くすことが肝心なのだそうだ。
確かに、ミケーレのグッチはさまざまな時代の遺物が詰め込まれた宝石箱に似ている。彼は、ファッションのヘリテージ(エリザベス様式、ヴィクトリア様式、ロシア帝政様式、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』)に、10年先、あるいは1世紀先のボキャブラリー(カフタンドレス、ボクシージャンプスーツ、フラワー柄やアニマルモチーフ、ブロケード)を掛け合わせた新しい物語を紡ぎ出しているのだ。そして彼自身とほかのデザイナーたちがポップカルチャーに抱く“戯れの愛”とは違う、もっと一途な情熱を、ミケーレは過ぎ去った時代に注いでいる。そのうえ彼は読書好きで、あらゆることに目を向け、勉強熱心でもある。「ミケーレは何にだって興味があるの」とプロイエッティは言う。「とにかく好奇心旺盛だから」
女優兼モデルのハリ・ネフは、ミケーレに初めて会ったときのことをよく覚えている。彼から連絡を受けてウエストハリウッドのシャトー・マーモント・ホテルでディナーをしたとき、彼女はコロンビア大学を卒業したばかりだった。「大学のカリキュラムで、ヴァージニア・ウルフとギリシャ悲劇、ホメーロス、アイスキュロスを読まなければならなかったの。あのときはその内容を鮮明に覚えていたから、いつもそのことばかり考えていたわ」。そんなハリ・ネフがする話にミケーレはきちんと応じた。こうした物語がミケーレの頭の中にも刻まれていたからだ。「正直なところ」ネフが切り出す。「こんな文学マニアみたいな話ができる人に、ファッション界ではめったに会えないものなのよ」
ミケーレは、ファッションという業界に浸るつもりも、こだわりもない。彼がローマを好むのは、デザイナーやジャーナリスト、プレスにセレブリティといったちょっと面倒な人々にすれ違わずにすむからだ。彼のアイデアはトレンドに毒されたりしない。「距離をもって接したいんだ」とミケーレ。「ファッションから離れていたいんだよ。ファッションにはインスパイアされないし、僕はもっと別の視点でもの作りをしているから」
ミケーレの長年の恋人であるジョヴァンニ・アッティーリは、都市計画を専門とする教授だ。カナダのブリティッシュコロンビア州にある先住民族ハイダ・ネーションに関する研究をしている。ミケーレとジョヴァンニは休暇の際、トスカーナ地方や南部のアマルフィ海岸ではなく、イタリア中央部のチヴィタ・ディ・バニョレージョ村に向かう。今にも崩れそうな(実際にそのリスクがある)、信じられないような断崖絶壁の上に鎮座するこの村に、ふたりの別荘があるのだ。
美しい村だが土地の浸食が進んでいて、常に建物を修復する必要があるせいか、定住者はわずか十数人にすぎない。だが「毎年少しずつ風化していくこの場所が、僕は大好きなんだ」とミケーレは語る。「あとどのくらいで崩落するかわからないけれど、全然気にならないよ。だって、それは人生の摂理と同じだから」
ミケーレは左腕の内側に、アッティーリの愛称である「ヴァンニ」というタトゥーを刻んでいる。右腕には自分の愛称「ラッロ」を、同じ書体で刻んでいる。左右一対なのだ。ふたりは13年前、ひょんなことからネット上で知り合った。ミケーレは新しいノートパソコンを入手したとき、友人にマイスペース(註:フェイスブック以前に主流だったSNS)の使い方を教わり、強く勧められてアカウントを作成した。「ソーシャルネットワークの世界を知って愕然としたよ」と彼は言う。そのまま何となく使っていたが、あるときミケーレは友人の700人もの知り合いのうちのひとりに連絡を取ってみた。それがアッティーリだったというわけだ。
アッティーリを選んだのは、プロフィール写真が気に入ったから。「カナダの美しい風景写真だったんだ」とミケーレは思い起こす。メッセージをやりとりする中で、ミケーレはまだアッティーリの顔も知らないことに気づいた。アッティーリに尋ねると、「僕の顔は風景の中にあるよ」とからかうような返事がきたと言う。「全然知らなかったんだよ。写真をクリックすれば、それが拡大されて彼の姿が見えるってこと。写真をズームできることも知らないくらい、こういうことには疎かったから」
過去のミケーレがこんな様子だったとは驚きだ。いま彼が牽引するグッチの強みは、ソーシャルメディアなのだ。デジタル戦略においてグッチは他ブランドを圧倒的にリードしている。ミケーレのインスタグラムには40万人以上のフォロワーがいて、彼は刺しゅうで作られたモチーフやポップカルチャーのイメージソースなどを次々と投稿している。こうした印象的なビジュアルを通して、彼のデザインは瞬く間に、無数の人々に拡散される。若者の心をつかむには、こういったグッチのような手段が必要なのだ。
『ティーン・ヴォーグ』誌で最近までチーフを務めていたフィリップ・ピカルディは、「自分のことを頻繁に記録していると、少し派手な、メッセージ性のある服が着たくなるものなんだよ」と説明する。それにはまさにミケーレの服がぴったりだ。「ミケーレは、マキシマリズム(註:ミニマリズムの対義語。多要素を含み、装飾性が高いデザイン)なのにとびきりシックな服を提案しているよね。彼のスタイルは、インスタグラムのグリッド投稿(写真を分割してつなぎ並べる)とかストーリー(短い動画)にすごく映えると思う」
今年7月、アメリカでは『Eighth Grade(原題)』というインディペンデント系青春映画が公開され、大絶賛された。主人公の思春期の少女は、YouTubeに動画をいくつも投稿するのだが、どの動画も「グッチ」という言葉で締めくくられていた。「グッチ」は彼女にとって「クール」を意味するのだ。ナンセンスで、大胆なユーモアを味わってもらおうと、ミケーレはさまざまなアイデアも練っている。彼は昨年、26歳のスペイン人アーティスト、ココ・キャピタンと一連のコラボアイテムを創った。それぞれの服には、「こんな未来しかないならどうしたらいいの?」「すべてもう見たなら目を閉じて」「常識はそれほど常識じゃない」といった、疲れた人に送るポストカードのようなエピグラム(註:ウィットに富んだ短文)が、ハンドライティングのようにプリントされている。
贅をつくした幻想的なグッチのショーで、ミケーレはモデルの全身をありとあらゆるアクセサリーで飾り立てる。まるで彼らの体に1センチの隙間も残さないように、クレイジーなメガネに、クレイジーなヘアピース、クレイジーな小道具(テディベアやフェイクの太いヘビにベビードラゴン)を添える。多ければ多いほどいいのだ。
といっても私たちは、ルックどおりに何でもかんでも買い揃える必要はない。ミケーレのコレクションは、アイデアがいっぱいに詰まったグラブバッグ(註:小さなプレゼントが詰まった袋)であり、体を陳列台に見立てたフリーマーケットなのだ。でもそれは無秩序や野放図とは違う。頭に浮かぶアイデアのすべてと、多様な美のあり方を人々とシェアしたいという、抑えようも隠しようもないミケーレの心からの欲求の表れなのである。彼は、それぞれの人に、気に入って愛着を感じてもらえる、さまざまな種類の服を届けたいのだ。彼のマキシマリズムは、つまり寛大さを意味するのである。
私がローマを訪れたとき、ミケーレは十数人のメンバーとともに今年9月にパリで披露された2019年春夏のメンズウェアを準備しているところだった。彼らが座っていたテーブルには、アクセサリーの入った箱が山積みにされ、壁には万華鏡のような彩りの生地スワッチがぶら下がっていた。イーゼルに載っていたのはTシャツ用の仮のデザイン画。そのアイデアソースは、ドリー・パートン(カントリーミュージックの第一人者)と、彼女の歌「ジョリーン」や映画『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)らしい。これらがいったいどんなふうに結びついて作品になるのか予想もつかなかったが、まあ私はそれを知る立場ではないだろう。
4人のアンドロジナスなメンズモデルは、それぞれが個性的なルックスをしていた。彼らは、せわしなく着替えては出たり入ったりを繰り返している。そこで試着していたのは、タック入りのふんわりしたスカート風のショートパンツ、ショッキングピンクやターコイズブルーの、プラスチックのようなツヤのあるロングスリーブシャツや、テカテカしたジャケットなどだ。4人の中でいちばんほっそりしたモデルは、ロングヘアをシニョンにまとめ、淡いモーヴ色のシャツにボルドー色の腰回りがゆったりしたボトムを着ている。女性的な、クラシックなコーディネイトかと思いきや、ボトムの上には局部サポーターのような、白いショーツをレイヤリングしていた。
袖の長さや配色にあれこれと悩んでいたミケーレの背後では、ビョークの『ユートピア』が流れている(同アルバムの1曲目「ザ・ゲート」のミュージックビデオでビョークが着ている衣装はミケーレがデザインした)。ミケーレは何度も「ベッロ(伊語で美しいの意味)」「カリーノ(キュートの意味)」と繰り返す。こうした言葉自体が、彼がデザインするすべてのものに共通する遊び心と結びつくような気がした。
あるとき私は彼に尋ねた。これまで手がけたコレクションの中でいちばん気に入っているのはどれか。つまり、いちばん思いどおりに仕上げられたコレクションはどれかと。ミケーレは、ドラゴンのコレクションだよ、と答えた。それは2018-’19年秋冬のウィメンズ・メンズ合同ショーで、タイトルは「サイボーグ」。くだんのドラゴンは脇役で登場している。ショーでは自分の生首の複製を手にしたり、マスクで顔を覆ったりしたモデルに続いて、ミケーレらしいエキセントリックなショーピースが次々に登場した。ロイヤルブルーのターバンに、黒の二重塔型ヘアピース、カラフルなプリントのヘッドスカーフ、あちこちできらめくクリスタル。
そのなかでも最もスタンダードなスーツやソフトカラーのジャケットは、どうしたわけかメジャーリーグのロゴがついていた。ルビーレッドのセーターは、胸元に「パラマウント・ピクチャーズ」のロゴと有名な山のモチーフがあしらわれ、巨大な袖はモップのようにバサバサとけば立っている。ミケーレは、このショーを通じて今の人々のアイデンティティのあり方を探りたかったという。ソーシャルメディア映えするポーズから、誰もが気軽に受けられる美容整形まで、本来の自分を隠したり、注目を浴びたり、別人のように変わったりするための方法が幾千もあることに、彼は驚きを隠しきれないでいるのだ。
「あのショーは実験室みたいなものなのさ」。ミケーレが口火を切った。「人生だって実験室みたいだよ。その昔、人間は地球と自然に命を与えられた、かけがえのない存在だって考えられていたけど」。今は違う。彼は現代を「ポスト・ヒューマン時代」と呼ぶ。「何でも操作できる時代なんだ。ちょっと怖いところはあるけど、同時に面白くもある。なぜって、ひとりの人間がいくつもの違った人生を過ごせるんだから。本来の自分とは別のものになろうって決めることもできるんだ」
ファッションはこうした現実をきちんと反映させなければならない。ミケーレは主張する。ファッションは他人の理想に自分を縛りつける“鎖”ではなく、自分らしさを見つける手段を与え、自由を認める“ライセンス”であるべきだと。「今のファッションはベッドに横たわり、死期を間近に控えた老婦人みたいだよ」。彼は昨年、米『ハーパーズ バザー』誌でこんなふうに語った。「この老婦人(ファッション)はいっそ亡くなったほうがいいのかもしれない」
つまりミケーレは「ポスト・ファッション」を模索しているのだろうか。私がそう尋ねると、彼は少し考えて答えを見つけようとした。そして、「たぶん、そうだね」とつぶやいた。「というか、僕はファッションなんてどうでもいいんだ。ファッションは土台にすぎない、という意味でね。それにそもそもスタイルって、人の生きざまでしかないんだから」。それを決めるのはほかの誰でもない自分だ。変化を伴う、完璧とは言えない発見を繰り返すうちに、生き方にふさわしいスタイルが、少しずつ、また偶然に作り上げられていく。あらゆるストーリーもあらゆる街も、こんなふうにしてそれぞれのスタイルを築いてきたのだ。ならば自分以外の何かに変わる必要などなぜあろう。ただ、自分自身であることを心から楽しめばいいのだ。
MODELS: MARYEL SOUSA AT THE SOCIETY, WILLIAM DE COURCY AT FUSION, TIANNA ST. LOUIS AT NEW YORK MODELS AND ALEECE WILSON AT ELITE. HAIR BY JONATHAN DE FRANCESCO AT LGA MANAGEMENT. MAKEUP BY SEONG HEE PARK AT JULIAN WATSON AGENCY. SET DESIGN BY JILL NICHOLLS AT BRYDGES MACKINNEY. CASTING BY SAMUEL ELLIS SCHEINMAN.
LOCATION SCOUT: ANDREA RAISFELD. LIGHTING TECH: DARREN HALL. PHOTOGRAPHER’S ASSISTANTS: ALEX HERTOGHE AND DAVIS McCUTCHEON. HAIR ASSISTANT: ERICA LONG. MAKEUP ASSISTANT: SUHYUN PARK. SET ASSISTANTS: MIKE WILLIAMS, TODD KNOPKE, NOELLE TOCCI, CAMERON MICHEL, ESTHER AKINTOYE AND JAY JANSEN. STYLIST’S ASSISTANT: OLIVIA KOZLOWSKI. LOCAL PRODUCTION: JENNIFER PIO. ON-SET COORDINATOR: CAROLIN RAMSAUER. PRODUCTION ASSISTANTS: FRANK COOPER AND BOBBY BANKS