マスキュリンかフェミニンか、ストリートかクチュールか。ディオールのメンズ アーティスティック ディレクター、キム・ジョーンズは、相反する要素のあいだに漂うものを表現する

BY THOMAS CHATTERTON WILLIAMS, PHOTOGRAPHS BY NIGEL SHAFRAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 ディオールの「ウィンター 2019-’20 メンズ コレクション」は1月に催された。パリに混乱をもたらしている“イエローベスト・デモ”の影響で、土曜日の予定だったものが、金曜日の夜の開催となった(不平等に反対するこのデモのせいで、同じメッセージを発するこのショーの予定が狂ったとは皮肉だ)。ショー会場は、シャン・ド・マルス公園前に特設した、サッカー場ほどの幅がある巨大な半透明のブラックボックス。ジョーンズは対極の要素を直感的に織り交ぜるのが得意なデザイナーだが、“パーソナルとマス”“コンテンポラリーとタイムレス”といったミックス感を体現しているのは、ラッパーのエイサップ・ロッキーだろう。

画像: パリ7区、シャン・ド・マルス公園前に建てられた、スタジアム級サイズのブラックボックスがショー会場に

パリ7区、シャン・ド・マルス公園前に建てられた、スタジアム級サイズのブラックボックスがショー会場に

ルックスがよくモデルやブランドの広告塔も務める彼は昨年、「サマー2019 メンズ コレクション」にゲストとして招かれていた。そのとき彼が身につけていたのは、透け感のあるトップスにシルバーの太いチェーンネックレス(東京発のブランド「アンブッシュ®」のデザイナーで、ディオール メンズ ジュエリーのデザインを手がける韓国系アメリカ人ユン・アンによるもの)、そしてグレイッシュホワイトのスーツだった。“オーダーメイドのパジャマ”とでも呼べそうなその美しい仕立てのスーツは、リラックス感と同時にエレガンスを漂わせていた。

そしてこの晩、ショー会場で感じたのは、ブランドの価値をどこまでも高めてしまうジョーンズの才能だった。ファッションショーというより、スポーツイベントやメガコンサート風だった会場は、彼の何百人ものファンであふれかえり、場外でもさらに多くのファンたちが寒さに震えながら黒山の人だかりをつくっていた。

 フロントロウにはエディター、バイヤー、スタイリストといったいつもの顔ぶれ以外に、クリスティーナ・リッチ、リリー・アレンなどジョーンズの友人が揃った。バージニア州出身のラッパー、プシャ・Tもそのひとりだ。ジョーンズがデザインした、クラシックな白と黒のタキシードスーツを着て昨年結婚式を挙げた彼は、ショーの前にこう語った。「キムの作る服が大好きなんだ。独創的で常に目新しさがあって、自分がやっていることにもぴったり合う。Bボーイ(註:ヒップホップのパフォーマー)らしさを、引き立ててくれるのさ」

 ショー会場で席に着きながら、プシャ・Tのことを考えていた。ひと昔前、パフ・ダディやジェイ・Zといったブラックミュージシャンが、歌詞やビデオクリップにフランスのシャンパン「クリスタル」を頻繁に登場させて“無料で宣伝”していたことがあった。だが「クリスタル」のメーカーは彼らと接点を持ちたがらなかった。90年代、いや2000年代に入っても世の中はこんな感じだったことを、いい年をした自分はよく覚えている。

ティンバーランドのようなファッションメーカーも、90年代初期はいわゆる“アーバンマーケット(註:おもに大都市で暮らすアフリカ系アメリカ人を対象にした市場を指すマーケティング用語)”と距離を保っていた。彼らはファッションに何千ドルも費やすような若い黒人男性客たちを敬遠していたのだ。だがジョーンズは、誰よりも鮮やかに“ラグジュアリー・メンズウェアの民主化”を実現した。この一見逆説的な新しい世界では、従来のような排他主義は不快な時代遅れの考えとみなされ、マーケティングの理不尽な決めごとも存在しない。

 少し前にジョーンズに、ファッション業界の人種の壁はなくなりつつあるか、と尋ねたことがあった。彼は「だと思うよ」とだけ返事をして、自分がその変化に貢献したことを認めようとしなかった。「壁を取り払うには時間がかかるよね。多くの人は新しいことを嫌うから。僕はオープンマインドだし、オープンマインドな人たちと仕事ができてラッキーだった。僕に人種を超えた友達がいることを、彼らはみんな喜んでいるよ」。彼の控えめすぎる答えに、どこか割りきれない思いがした。もしかすると本当にジョーンズは、友人たちのために服をつくっているだけなのかもしれない。それでもやはり彼がもたらした変化は計り知れないほど大きく、きわめて重要な意義をもつのだ。

 照明が落とされ、ダフト・パンクやカプリコーンの4つ打ちのリズムが響くなか、モデルたちが全長76メートルもの可動式ランウェイにのって、奥から次々と流れ出てきた。タイムレスな魅力の上質のカシミヤ、シルクサテンにファー、まばゆい光沢を放つ最先端の化学繊維や、モアレ風の表面効果がある素材が続々と現れ、まさに華麗なるマテリアルの競演だ。カラーは、緑がかったブルー、モーブ、パールグレー、ブラック、ミッドナイト ブルーと、いかにもディオールらしいトーン。

画像: ショー直前、バックステージのモデルたち

ショー直前、バックステージのモデルたち

 スポーツウェア、ハイテクやクチュールの要素を点在させながら、ジョーンズはメゾンの原点に回帰し“エレガントなテーラリング”に焦点を置いた。なかでもワイドラペルのゆったりしたコートと、ルーズでリラックス感がありながら完璧な仕立ての「タイユール・オブリーク(註:対角で体を包むデザインのスーツ)」は多様なバリエーションを展開していた。色はピュース(暗褐色)やグレーなど冬のトーン、素材は重めのベルベットやサテン(両素材を組み合わせている服もある)がメインだ。それぞれの服にマッチした素材を、サッシュ風に体に巻きつけたディテールなど多くのデザインは、ダークスキンのモデルたちの魅力を最大限に引き出していた(これも民主化の動きだ)。

マスキュリニティをふんわりと上品に薫らせた彼らは、毒々しさやパンク、ストリートといったイメージとほど遠い。磨かれたレザーブーツに合わせたナイロンのレッグウォーマー、ピークドラペル(先のとがった下襟)に添えたゴールドやシルバーの繊細なブローチなどで抑揚をつけたクラシカルなスーツ姿は、風格と同時に、未来的な雰囲気さえ醸し出していた。

 そのコントラストには迫真性と胸に響く何かがあり、2011年のルイ・ヴィトンにおけるジョーンズのデビューショーを想い起こさせた。あのショーでジョーンズは、マサイ族の伝統色が鮮やかな、厚手のショールやプレッピーなシャツ、ショートパンツを、主に白い肌のモデルたちに着せていた。以前「世界中を見てきた僕はラッキーだよ」と語っていた彼が、このとき着想源にしたのは野生動物の保護活動をしてきたアメリカ人の写真家で、美貌でも知られたピーター・ビアードだった。ジョーンズはこのコレクションに用いるマサイ族の伝統布を探すうちに、それが今もスコットランドで生産されているのを知ったという。

時代や民族といった要素を“回り道”しながら創作に採り入れる彼は、ムッシュ ディオールによく似ている。1950年、ムッシュ ディオールはメンズのコートを眺めながら、女性の服をデザインした。そしてそのデザインを、21世紀の今、ジョーンズが再びメンズウェアとして蘇らせているのだ。

「デザインするとき、いま僕らが参照するのはウィメンズウェアなんだ。でもその要素を引き出そうとすると、じつはウィメンズウェアがもともとメンズの影響を受けていたことがわかる」とジョーンズは切り出す。

「この手の複雑な交錯や調和ってどこか日本的だよね。あとはテーラリングが肝要だけど、競合ブランドと差をつけるためには何か特別な要素が必要になる。でもディオールはディオールのままであればいいんだ。なぜって、このメゾンには卓越したクチュールの文化と技術が根づいているから」。ジョーンズにとって、パリがロンドンを凌(しの)ぐことは決してないだろう。が、そんなことなど構わない。ディオールにおいて、彼はすでに自らの世界を築き上げたのだから。

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