私たちは、なぜ、だしの香りにほっとするのか――。ミシュランの星を持つ京都の料理屋の主人であり、和食を科学的に解析する研究を続けている高橋拓児の取り組みから、佐々涼子が考察する

BY RYOKO SASA, PHOTOGRAPHS BY TERUO UKITA

 さらに、われわれを惹きつける香りは、人類に進化する前の祖先が海の中に暮らしていた頃に由来するという。すると、香りを嗅ぐという行為は、進化の過程で先祖が身につけてきた「おいしい」という記憶の扉を開ける作業でもある。
 現在はスマートフォンや、液晶の前に座っている時間が非常に長く、ITの発達によって、地球の裏側の風景をバーチャルに体験できる時代になった。便利になったはずなのに、圧倒的に視覚優位の生活の中で、なぜか生きている喜びから遠い場所にいるのに気づくことがある。それはひょっとすると、香りによって立ち上がる世界と切り離されているからかもしれない。

画像: 国内外を飛び回る高橋さんだが月に3回、能楽の金剛流の稽古に通う。舞台でシテ方を務めたときの謡本には書き込みがびっしり

国内外を飛び回る高橋さんだが月に3回、能楽の金剛流の稽古に通う。舞台でシテ方を務めたときの謡本には書き込みがびっしり

画像: (写真左) 京都大学 大学院農学研究科での修士論文「日本料理における興奮と沈静の制御」 (写真右) 被験者たちに和洋中華のさまざまなメニューを食べてもらい、心拍数を測定することを繰り返し行なった。交感神経と副交感神経にどのような影響を与えるか、データを集めて解析した

(写真左)
京都大学 大学院農学研究科での修士論文「日本料理における興奮と沈静の制御」
(写真右)
被験者たちに和洋中華のさまざまなメニューを食べてもらい、心拍数を測定することを繰り返し行なった。交感神経と副交感神経にどのような影響を与えるか、データを集めて解析した

 料理人、研究者、ソムリエと多面的な顔を持つ高橋さんは、古典芸能の「能」も20年以上学び、舞台に立っている。彼によると、料理から離れたことを勉強しても、意外なところでつながってくるのだそうだ。
「能には、日本人の香りに対する感性が色濃く表れています。能の達人は、扇一枚でその場の空気そのものを動かし、舞台からいなくなっても、その人の存在が色濃く残るものだそうです。それを人は、『にほひ』と呼ぶのです。ときには、この世ならぬものの気配すら、表す『にほひ』。日本人はそれを大切にしてきたんですね」

 それは、料理を作るときの心構えでもある。
「料理の背後には料理人がいます。目に見えない、音に聞こえないが、確かに存在し、気配がする。そんな料理人でありたいと思っています」香りを嗅ぐという行為は、しばしば受け身であり、また意識されることがない。しかし、ひとたびだしの香りに意識を向ければ、そこから立ち上がる世界は、われわれが思うよりずっと深い。そう考えると、数百、数千の、あまたある香りに出会うために、京都の料亭の、のれんの奥、深淵なる和食の世界へ、ますます迷いこんでみたくなるではないか。

木乃婦
住所:京都府京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町416営
業時間:11:30〜14:30、18:00〜19:30(LO)
定休日:水曜
TEL. 07(5352)0001

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