私たちは、なぜ、だしの香りにほっとするのか――。ミシュランの星を持つ京都の料理屋の主人であり、和食を科学的に解析する研究を続けている高橋拓児の取り組みから、佐々涼子が考察する

BY RYOKO SASA, PHOTOGRAPHS BY TERUO UKITA

 だしには、必ずしも心地いい香りだけではないものも、微量に含まれているという。
「昆布には、濡れた雑巾のようなにおいや、動物臭も感じられます。また、昆布は二年ものを海から引き揚げ、乾燥させたあと、空気の動きのない酸化しない蔵で三年寝かせる。それによって熟成が進み、複雑な香りが増します。漢方系の香りもしますね。たとえば、なつめ、桂皮、白檀、伽羅(きゃら)のような香気成分です。これが深い余韻をもたらしているんです」

 森羅万象の複雑な香りがだしの味わいを引き立たせる。彼によると、だしの香りは、かすかで落ち着いた、大地に近い香りだという。「幽玄かつ、大地に還るイメージがあることから、輪廻の思想を連想させます。これらの香りもまた、我々の死生観を生み出す土台になっているのかもしれません」
小さな皿でだしのテイスティングをさせてもらう。ほのかに昆布と鰹が香ってくる。高橋さんは、今度はそれにしょうゆを足した。

「もう一度飲んでみてください」
と渡されて、再び口をつける。するとしょうゆの香りで、素材の香りも隠れてしまっている。
「最近は味つけの濃いものをおいしいと思う人も増えていて、本来の香りを知らない人も多いんです。料理人も客が喜ぶものを作ったほうがいいので、その人に合わせて料理をお出しします。しかし、それでは本当においしいものを味わう機会を失ってしまう。それは損やと思うんです。本物をもっとお客さんにも知ってほしいですね」

<だしのとり方>

画像: 1. 大きな鍋にたっぷりと水を張り、昆布を入れ、2、3時間おいてから火にかける。約1時間65°Cくらいに保つ。海から引き揚げ、天日乾燥させた昆布は、ヨード臭が抑えられ、香気成分が飛躍的に高まるそうだ。長期熟成させた昆布を用いると、さらになだらかで含みのある、複雑かつおだやかな香りになる。「時間を経過したものには、香りに奥行きが出ます」と高橋さん

1. 大きな鍋にたっぷりと水を張り、昆布を入れ、2、3時間おいてから火にかける。約1時間65°Cくらいに保つ。海から引き揚げ、天日乾燥させた昆布は、ヨード臭が抑えられ、香気成分が飛躍的に高まるそうだ。長期熟成させた昆布を用いると、さらになだらかで含みのある、複雑かつおだやかな香りになる。「時間を経過したものには、香りに奥行きが出ます」と高橋さん

画像: 2. ふわりと山盛りの鰹節。花びらのような鰹節を、手作業で赤いもの、白いもの、大きな片、小片と分けていく。椀に用いるのは、白の大きめな薄片。鉄分が少なく、澄んだ味わいに

2. ふわりと山盛りの鰹節。花びらのような鰹節を、手作業で赤いもの、白いもの、大きな片、小片と分けていく。椀に用いるのは、白の大きめな薄片。鉄分が少なく、澄んだ味わいに

画像: 3. 昆布だしを90°Cまで加熱し、鰹節を入れ、火を止める

3. 昆布だしを90°Cまで加熱し、鰹節を入れ、火を止める

画像: 4. 布でこす。力作業である

4. 布でこす。力作業である

画像: 5. 緑がかった金色のだし

5. 緑がかった金色のだし

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