BY KIMIKO ANZAI
エミール・ガレのアネモネ(秋明菊)の絵で彩られた美しいボトル「ペリエ ジュエ ベル エポック」に代表されるシャンパーニュメゾンが「ペリエ ジュエ」だ。1811年の創業より、そのエレガントなスタイルでヨーロッパの王国貴族を始め、英国の作家オスカー・ワイルドや女優のサラ・ベルナールなど、多くの文化人を魅了してきた。
この歴史あるメゾンを最高醸造責任者として27年の長きにわたり牽引してきたのが、エルヴェ・デシャン氏だ。1993年に7代目の最高醸造責任者に就任、伝統を守りつつも独創的なアプローチにも新たに試み、新しい時代に合うシャンパーニュとして、メゾンの象徴でもあるシャルドネを100パーセント使用した「ペリエ ジュエ ベル エポック ブラン・ド・ブラン」、「ペリエ ジュエ ブラン・ド・ブラン」を生み出した。また大の親日家で、特に日本の自然や庭園に魅了されたデシャン氏は、日本の四季にインスパイアされた「ペリエ ジュエ ベル エポック エディション プルミエール」「ペリエ ジュエ ベル エポック エディション オータム」なども手がけた。人柄は穏やかで知的。インタビューでは物静かに、それでいて熱意をもってシャンパーニュを語り、世界中のワインジャーナリストからも慕われていた。
そのデシャン氏が今年で定年を迎え、彼の功労を称えつつ、8代目の最高醸造責任者となるセブリーヌ・フレルソン氏にバトンを受け継ぐサクセッション・イベントが「ピエール・ガニェール 東京」で行われたのはこの10月のこと。本来であれば、本国フランスを皮切りに世界各国で引退セレモニーが執り行われるのがグラン・メゾンの常だが、新型コロナ感染拡大防止のため、リモートでの開催となった。
開口一番、「日本に行けなくて、本当に残念です」と画面の向こうで語るデシャン氏。だが、その表情はいつものように穏やかで、晴れ晴れとした笑顔を湛えていた。そして、「長きに渡り、『ペリエ ジュエ』にいられて幸せでした」と言って、傍らにいる8代目のフレルソン氏を画面のこちら側の列席者に紹介してくれた。彼女はメゾンにとって、初の女性の“シェフ・ド・カーヴ”(最高醸造責任者)となるという。
実は、グラン・メゾンにおいて、女性が最高醸造責任者になることはそう多くはない。女性の醸造責任者は少しずつ増えてはいるが、ワインの世界はまだまだ男性社会で、ペリエ ジュエのような歴史あるグラン・メゾンでの女性の“出世”は稀なことなのだ。これだけでも、彼女がいかに優秀なのかが理解できる。フレルソン氏を8代目に指名した理由を、デシャン氏はこう語る。
「彼女がテイスティングの時に発する言葉、香りの表現の仕方に自分と共通するものを感じました。そして、彼女の緻密なワイン造りと美を愛する豊かな感性に、『彼女なら大丈夫だ』と確信したのです」。そして約2年の年月をかけてメゾンの哲学やブレンドスタイルについて引き継いだという。
このデシャン氏の言葉を受け、フレルソン氏はこう語る。
「シャンパーニュ造りは、私の情熱を生かしてくれるもの。情熱と記憶、直感を大切に、メゾンの伝統を守っていきたいと思っています。200年を超える歴史の証人として、この場にいることができて、光栄です」。その後、“シェフ・ド・カーヴ”の証であるセラー『レデン』の鍵がデシャン氏からフレルソン氏に手渡され、セレモニーは無事終了した。メゾンの最新章は、この時始まったのだ。
ペリエ ジュエは数あるシャンパーニュ中でも、トップクラスの“比類なく美しいシャンパーニュ”だ。その伝統とイメージを長きに渡り守り続けるのは、決して容易なことではない。ひとえに地道な日々の積み重ねとたゆまぬ努力によるものなのだ。
デシャン氏は、常に穏やかな微笑みとともにシャンパーニュ造りに向き合ってきた。シャンパーニュは、テロワールを表現すると同時に、造り手の個性も反映される飲み物だ。ペリエ ジュエの中には、きっとデシャン氏の人柄も溶け込んでいたに違いない。彼は、“ベル・エポック(美しき時代)”を創り、そしてそれは今、フレルソン氏に手渡された。彼女が織りなす新しき“美しき時代”はどのようなものなのか、今から楽しみだ。
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