古来、日本人にとって身近な存在の木を、食べる、飲むという行為と結びつける「日本草木研究所」。都内に広がる庭で、食べる木を育てる研究所を主宰する女性を訪ねた

BY KANAE HASEGAWA

画像: 日本草木研究所が都内で管理する庭 PHOTOGRAPH BY JAPANESE BOTANICAL LABORATORY

日本草木研究所が都内で管理する庭

PHOTOGRAPH BY JAPANESE BOTANICAL LABORATORY

 高低差が5メートルある傾斜地に樹齢50年以上のアカマツ、クロマツ、ツバキ、ヒノキといった木々が茂る。都会とは思えないこんな植生が広がる都心の約250坪の庭で、枝葉や木の新芽を摘んで食す、飲む、そんな活動が始まっている。庭を管理しているのは、日本人にとって身近な存在の木々を新たな資源として研究し、食べることと結びつける「日本草木研究所」。研究所を立ち上げた古谷知華さんは、これまで北海道から、長野、福島、岐阜、高知、鹿児島まで、日本の山々に分け入り、林業から出る間伐材を山主から分けてもらい、それらを蒸留してアルコールやシロップを作り、食糧資源としての木の可能性を探ってきた。そのシロップを一滴、舌に落とすだけで、口の中から鼻を通じて脳にまで、森の香りが広がるから不思議だ。「埼玉の山から採取したスギはリンゴを思わせる蜜の香り。山梨のハイビャクシンはフルーティでジュニパーベリーの香り。和歌山のコウヤマキはセリのようなツンとした青臭さ。沖縄のカラキは和製シナモンとして甘味を出してくれます」と古谷さんは説明する。木が放つ香りは食べ物の味わいと重なるのだ。また、同じ木でも季節によって放つ香りが変わる。「クロモジは光合成がさかんな初夏は虫食いをされないように自ら鋭い香り成分を放ちます。一方、葉を落とした晩冬から芽吹く前の春先にかけては養分を幹に溜め込むため、優しい香りが立つんです」。

「日本の森にも海外のスパイスやハーブに引けを取らない品質の香りをもつ木々や植物があり、それらを活用して新たな嗜好品を探求したいと思ったのがそもそものきっかけです」。人はキノコという森の作物を食してきたのだから、ほかの木々も食べるための糧になるかもしれないと考え、木々を採集し、研究するなかで木々に含まれる有用成分について着目した。「たとえば木には酢酸ボルニルという鎮静効果の期待できる芳香成分が含まれています。この成分は研究所で使っている針葉樹林の多くにも含まれています。モミの木が持つピミンという成分は副交感神経に有用な働きをもたらすとされています」。とはいえ、日本人の生活の中で、薬草や野草を別とすると、木それ自体を口にすることはほぼなかった。「木はセルロース、リグニンという人間の身体では消化できない成分からなるため、食すことはありませんでした。現代になって芳香成分のみを取り出すことができるようになって、日本草木研究所ではそれを活かした木の食品化に挑戦しているんです」。

画像: 北海道の山林でトドマツ、アカエゾマツを採取中

北海道の山林でトドマツ、アカエゾマツを採取中

 食すための木は、季節ごとの樹種から枝葉や芽、落ち葉も仕込むから、できあがるものも季節次第。もちろん、古谷さんが勝手に山に分け入り、木々を切ることはできないから、山主の理解と協力があってのこと。日本草木研究所を立ち上げた2021年当時は、「建材や家具材だけではない、日本の木の別の用途として、木を口に入れるものにしたい」という情熱を、山主に会って受け入れてもらうことから始まった。はじめは古谷さんの空想じみた考えに怪訝な表情を見せた山主も、縮小し続ける今の日本の林業の市場を前に、真剣に取り合ってくれるようになった。日本に植生する樹種は径小木が多く、こうした木材は用途が限られていることもあって希少視されず、流通価格は下がるばかりだという。そうしたなか、日本草木研究所では、一般的に製材業者が買い取る流通価格の約500倍の価格で、山主から間伐材を買い取っている。

画像: アカマツ、クロマツを水蒸気蒸留する作業。佐賀県の専門蒸留者に委託している

アカマツ、クロマツを水蒸気蒸留する作業。佐賀県の専門蒸留者に委託している

 古谷さんにはこんな思いがある。「日本の林業が持続可能な産業であり続けるために、林業従事者に利益をもたらす仕組みを作りたいんです。日本草木研究所では山主さんから買い取った木々の幹や枝葉を水蒸気蒸留してフォレストジンやフォレストシロップを作り、小売りしています。しかし、流通網や販売量を考えると日本草木研究所の活動だけでは、市場に微々たる影響しかありません。最終的な目標は、大手食品メーカーに食糧資源として木の活用を提案していくこと」。

画像: 商品として販売されている草木酒(フォレストジン)、草木蜜(フォレストシロップ)

商品として販売されている草木酒(フォレストジン)、草木蜜(フォレストシロップ)

 今年、都内の庭で始まった活動は、木を飲む提案をしていくための実験ともいえる。古谷さん自ら木を育て、その場で木を資源化するなかで新たな発見もあると言う。もともと、江戸時代の大名屋敷だった庭の地面は、長い月日と木々や微生物の地表下の活動によって、ふかふかの腐葉土となっている。林のように高木が茂る中では、新しく植樹した若木などは日光が当たりづらく、アカマツやクロマツなどの樹種が根から出す分泌物により、人が手を入れないままでは、他の植物の芽生えが阻害されてしまう。「モミの木やクロモジを使った飲料を作りたくて、敷地にもともと植えられていなかった低木のクロモジの亜種ダンコウバイを植えたけれど、ササやシダ、葛などの原生樹に負けて枯れてしまいました」と古谷さんはお手上げぎみに語る。生態系の多様性をつくり、維持するためには、実は定期的に間引きや摘果、剪定など人間が適切に手を入れる必要があるのだということだ。庭に育つ金柑が果実を実らせる11月ごろに合わせて、一つひとつの実を立派にするために、今は適宜、間引いて摘果してあげているという。こうした気づきは、遠方の山主さんに託すものとは異なり、古谷さんが毎日、庭を管理する中で学んでいることのようだ。

画像: 月に一度、庭を公開して開催する木食バーの様子

月に一度、庭を公開して開催する木食バーの様子

 都内の庭に広がる多様な木々と、それを口に入れるという体験を一般の人にもしてもらおうと、9月から毎月、庭を公開し、庭を探索しながら、その時々の木々の枝、芽、落ち葉から作った料理とお酒を出している。9月の庭からは、フジバカマ、摘果金柑、クロマツ、アカマツ、サワラの葉、ヨモギの新芽を採集し、アルコールに漬け込んで成分を移したお酒を作った。

画像: 9月、庭から採取した食べられる樹種で作ったインドの炊き込みご飯ビリヤニ

9月、庭から採取した食べられる樹種で作ったインドの炊き込みご飯ビリヤニ

 一方で、「商品として市場に流通させるものは、植物の個体差による香りのばらつきを抑え、均一にする必要があるため、香りの成分を分析する装置ガストロクロマトグラフィを用いています」。庭の公開と季節ごとの木を食べる体験は今後、毎月開催予定で、日本草木研究所のソーシャルメディアで告知されるとのこと。近い将来、清涼飲料水の分類に、日本木食飲料という新たなカテゴリーが確立したら頼もしい。

画像: 9月に庭で採取した草木を漬け込んだリキュール(商品化は未定)  PHOTOGRAPHS BY JAPANESE BOTANICAL LABORATORY

9月に庭で採取した草木を漬け込んだリキュール(商品化は未定)

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