BY KOTARO KASHIWABARA
駅から車で15分ほど。遠くに山々と海を見渡せ、青々とした田んぼが続く里山の真ん中にぽつんとたたずむのがレストラン「mûrir(ミュリール)」である。周囲には民家も商業施設もまったくない。そこで供されるのは米を主体にし、フレンチの技法を用いたコース料理。新潟の風土に根差した料理である。
糸魚川市は新潟県最西端で富山との県境にあり、日本海に面する人口約4万人の都市。糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西辺)が通り、日本の東西の境界線上に位置することや、世界有数のヒスイの産地だったり、ユネスコ世界ジオパーク(糸魚川ジオパーク)に指定されていたりすることなどが有名だが、一般的にはあまり知られていないように思う。私はひょんなことからここ数年糸魚川を訪れるようになったが、それまでは2016年に大規模火災があったことや、断崖絶壁の景勝地「親不知」に行ったことがあるくらいしか知識がなかった。
その糸魚川にレストラン「mûrir」が出来たのは2023年10月のこと。シェフの渡辺光実さんは1991年に糸魚川の兼業農家に生まれ、高校まで地元で過ごしたが、卒業後に東京の調理師学校で学び、飲食業界に就職した。
「父が米作りをしていたので子供のころから料理に興味があり、中学生のときには料理人になろうと決心し、家で料理を作っていました。専門的な勉強をしたいので東京に行きましたが、数年経ったら戻り、地元でレストランをやりたいと思っていました。こんなに食材に恵まれた地域はないので」
とはいえ、卒業して就職したのは帝国ホテルという名門。鉄板焼「嘉門」やフランス料理「レ・セゾン」と、錚々たる部門で修業をさせてもらい、嘉門では2年目からカウンターに立った。
「恵まれていたと思いますが、ホテルは分業制なのでゼロからすべてを作ることができないんですね。修業時代に読んだ雑誌の記事で大自然のオーベルジュにあこがれ、自分で野菜から作って料理をする店をやりたいと思ったのです」
家族からは当初猛反対されたが、渡辺さんの信念は揺るがず、5年ほどの東京生活ののちに帰郷。戻って畑から始めたが、最初は農業の厳しさを思い知らされたという。
「そんな時に駅前の洋風居酒屋のオーナーから声をかけていただき、5年ほど料理長を務めました。同時期に大規模火災があり、再生の象徴として『駅北広場キターレ』がオープンしたのですが、そこにキッチンスペースが出来たんです。その場所を間借りし、2020年6月から『つなぐキッチン レジョン』を2年ほどやっていました」
御存知のように2020年6月といえばコロナ禍まっただ中で外出もままならない時期。レジョンはランチ2500円、ディナー4400円からだったが、糸魚川では外食に5000円以上を出すことはめったにないという人が多いため、当初はかなり苦戦した。そんな時に転機となったのが日本最大級、35歳以下の若手料理人コンペティション「RED U35」でのBROZE EGG受賞だった。
「地方にいるからこそ使える食材を前面に出した料理を評価していただき、自信になりましたし、県内の料理人の横のつながりが出来たのが励みになりました」
ただ、間借りキッチンでは限界がある。どこかで独立したいという考えが「mûrir」につながった。実は「mûrir」があるのは米や果樹を育てている農園「清耕園ファーム」の中なのだが、渡辺さんの奥様が清耕園ファームの娘だった。社長である義父が、ちょうど老朽化したハウスをどうしようかと悩んでいたときにレストランを作るプロジェクトが立ち上がったのである。
だが、それは平坦な道のりではなかった。周囲の人々はこんな田舎にレストランを作って人が来るのかと反対した。
もっともな話ではあるが、それを渡辺さん夫妻は、白馬にあるアウトドアメーカー・スノーピークが経営するレストランに義父を連れて行ったり、新潟のローカルガストロノミー旅館「里山十帖」や和歌山のガストロノミーイタリアン「ヴィラアイーダ」などの写真を見せたりして説得。ようやくGOサインを獲得したのである。
オープンしたのは昨年10月。コースの価格は7700円とし、飲物を楽しみながら10000円でゆっくりと過ごしてもらうことをコンセプトにした。すべての皿に自社で栽培している糸魚川産コシヒカリ「ひすいの雫」を使い、熱源は薪を使う。
うれしいことに、今年3月には新潟ガストロノミーアワードの「若手シェフ部門30」に選ばれた。新潟ガストロノミーアワードの総合プロデューサーである「里山十帖」のオーナー、岩佐十良さんらが予約をして店を訪れ、料理を食べていろいろ講評してくれた結果だった。
「その中のひとりから、薪焼きはもっと進化できるはず。本場、スペインのバスク州でミシュラン1つ星の薪焼きのレストラン『チスパ』を経営している前田哲郎さんのところに行ったほうがいいとサジェスチョンをいただき、この6月に行ってきました。前田さんの薪の使い方は私のものと違い、とても勉強になりました」
私が料理をいただいたのは、残念ながら渡辺さんがチスパに行く前。そのあとにどう変わったかを比較出来ていないのだが、私が訪れた時は8皿のすべてに米が使われ、雪解けから精米、熟すまでの工程を器で表現し、それを糸魚川周辺の食材がひきたてる。米はソースになったり、焼いたり、稲穂を揚げたりと、表現の仕方にこんな可能性があるものなのかと感嘆した。まさに米を食べる料理である。
最後は窯で炊いた、ふっくらとしたご飯を佃煮で食べ、残ったご飯は焼きおにぎりにした。日本人ならだれもが感激するフィニッシュだ。
「いろいろ大変な時期もありましたが、口コミでお客様が富山や東京など、県外からも来られるようになり、少しずつ理想に近づいてきています。糸魚川の食材がこんなに豊かであることをもっと多くの方々に知っていただきたいですね」
新潟といえば、最初に思い浮かぶのはやはりコシヒカリだろう。これを使って四季折々の多彩な表現を試みる渡辺さんの料理、さらに進化する工程を見守っていきたいと思った。
mûrir
住所:新潟県糸魚川市東海79-1
TEL. 080-2679-4399
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柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』。