「まず食べたいものありきで旅先を決める」という贅沢な視点がいま、観光や食のシーンで熱い注目を集めている。日本各地で脚光をあびる大人のためのデスティネーションレストランを、ガストロノミープロデューサー・柏原光太郎が厳選して案内。第8回は、あきる野市の洋館で東京の文化に根づくローカルガストロノミーを追求するフレンチレストラン「L'Arbre」(ラルブル)へ。

BY KOTARO KASHIWABARA

画像: 3色のソースを敷いた八丈島の尾長鯛。ここに、さらにソースをかけていただく

3色のソースを敷いた八丈島の尾長鯛。ここに、さらにソースをかけていただく

 東京都あきる野市と聞いても、まだ足を運んだことのない都民のほうが多いかもしれない。かつては秋川市と五日市町だったが、1995年に合併して誕生した。秋川渓谷の入口だと知れば、奥多摩の緑多い風景が思い浮かぶ。

 駅でいえば、武蔵五日市駅。立川から青梅線と五日市線で約30分だ。駅からぶらぶら10分ほど歩いていると周囲が寂しくなり、若干の不安が湧き上がるところに洋館が出現。そこが、松尾直幹シェフが約1年前にオープンしたレストラン「L'Arbre(ラルブル)」だ。あとで聞いた話だが、駅からの道には最近、熊が出現したそうだ。

画像: 明治時代に建築された東京都指定有形文化財の「小机家住宅」をレストランに

明治時代に建築された東京都指定有形文化財の「小机家住宅」をレストランに

 松尾さんは近所の西多摩郡瑞穂町の出身。地元の高校を卒業後、調理師学校を経て帝国ホテルに入社し、メインダイニング「レ セゾン」でティエリー・ヴォワザン料理長の下で修業。パリ3つ星「ル・サンク」でも研修し、最後はスーシェフまで務め上げた。

画像: オーナーシェフの松尾直幹さんは帝国ホテル「レ セゾン」でスーシェフまで務め上げて独立

オーナーシェフの松尾直幹さんは帝国ホテル「レ セゾン」でスーシェフまで務め上げて独立

「いつかは独立しようと思っていましたが、コロナ禍で人々の目が地方に向いたのが背中を押してくれました。決意してからは物件探しと平行で畑作をしようと思い、近所に畑を借りて無農薬・有機野菜を作っていたところ、この洋館に出会ったのです」

 建物は東京都指定有形文化財の「小机家住宅」。明治8年頃の建築で、ファサードはジョージアン様式で建てられ洋館だが、室内は和モダン。西洋の建築に憧れた日本の職人が似せて造った擬洋風建築で、幕末から明治初期のわずかな期間に流行った、今となっては大変貴重な建物なのだという。

画像: 有形文化財指定の洋館部分は個室に仕上げた

有形文化財指定の洋館部分は個室に仕上げた

 小机家は山林業で財を成した資産家で、いまも洋館の隣に住む。小机家住宅で最近までカフェを経営していたが、松尾さんの熱情にほだされ、貸してくれたという。文化財指定は洋館の部分だけで、増築された奥の家屋は指定されていないから改装可能。なので、洋館部分は個室にしてほとんど触らず、奥に一枚板のカウンター7席と厨房を設えた。

 シェフが目指すのは、《身体と地球に優しい、東京の食材と文化を大切にするフレンチ×ローカルガストロノミー》。

「もともとこの地域には食材が豊富なのは知っていたので、自分で店をやるなら地産地消の東京ローカルガストロノミー。西多摩のハブになって、この地域の豊かさを広めたいと思ったのです」

画像: 自家製の麹で半日マリネしてからチキンブイヨンで炊いた東京軍鶏

自家製の麹で半日マリネしてからチキンブイヨンで炊いた東京軍鶏

画像: 八丈島の漁師・久保田さんから届いた伊勢海老

八丈島の漁師・久保田さんから届いた伊勢海老

 東京には東京湾も八丈島、大島もある。野菜は自分で作っているし、東京和牛や東京軍鶏、豚肉のTOKYO X、山羊も近隣で手に入り、美味しいチーズやパンを作っている仲間、シーズンになれば秋川渓谷で鮎を釣ってくる職業漁師もいるというわけだ。

「このあたりはいいジビエも獲れるのですが、いい処理施設が東京にないので、これだけは埼玉産になってしまいます」とシェフは笑うが、逆にいえば、それ以外は東京食材でまかなえるということだ。

画像: 前菜は、東京の多摩と島嶼部を表現した「多摩 島」から

前菜は、東京の多摩と島嶼部を表現した「多摩 島」から

 夜のコースは毎回、「多摩 島」で始まる。多摩を象徴する料理は東京和牛のブレザオラと奥多摩のわさびを使い、島は漬けにしたアオダイと酢飯のチップを使った「島寿司」の再構築だった。

画像: 畑で採れた内藤かぼちゃのローストをピューレにして、五日市で採れる柚から作った柚子胡椒を添えて

畑で採れた内藤かぼちゃのローストをピューレにして、五日市で採れる柚から作った柚子胡椒を添えて

画像: 伊勢海老は3分ほど茹で、アメリケーヌソース、レモングラスと生姜のオイル、あさりのジュレを添える

伊勢海老は3分ほど茹で、アメリケーヌソース、レモングラスと生姜のオイル、あさりのジュレを添える

 そこからは東京食材のオンパレード。畑で採れた内藤かぼちゃのローストをピューレにして五日市で採れる柚から作った柚子胡椒を添えたり、八丈島の伊勢海老は3分ほど茹でてから、アメリケーヌソースのムースを敷いて、レモングラスと生姜のオイル、あさりのジュレを添える。

画像: 魚醤に漬けた鮎の干物に東京軍鶏のパテをはさんで

魚醤に漬けた鮎の干物に東京軍鶏のパテをはさんで

画像: 鴨と鹿のコンソメに四方竹をはじめとした自家製の野菜、キノコ、鹿肉の団子が入った土瓶蒸し

鴨と鹿のコンソメに四方竹をはじめとした自家製の野菜、キノコ、鹿肉の団子が入った土瓶蒸し

 秋川渓谷で獲れた鮎は魚醤につけて干物にしたあと、東京軍鶏のパテをはさむ。土瓶蒸しは鴨と鹿のコンソメに四方竹をはじめとした自家製の野菜がたっぷり。

画像: 3色のソースを敷いた尾長鯛に、魚出汁のクリームソースをかけて完成

3色のソースを敷いた尾長鯛に、魚出汁のクリームソースをかけて完成

 私が気に入ったのは八丈島の尾長鯛。ポワレした尾長鯛の下にイカ墨の赤ワインソース、レモンバジルオイル、パプリカオイルを敷いて魚出汁のクリームソースをかけるのだが、見た目もきれいで、ソースも魚も旨い。父親のような存在と慕うティエリー・ヴォワザン料理長に鍛えられた成果が昇華した料理だと思った。

画像: 皮部分がねっとりとして旨い東京軍鶏のむね肉ともも肉

皮部分がねっとりとして旨い東京軍鶏のむね肉ともも肉

 肉料理は東京軍鶏をチキンブイヨンで炊いたが、むね肉ともも肉ともにベストの状態で仕上がっていた。

画像: 野菜のピューレを使ったスープで、郷土料理「のしこしうどん」を再構築

野菜のピューレを使ったスープで、郷土料理「のしこしうどん」を再構築

 面白かったのは「のしこみうどん」で、これは多摩地区の郷土料理だという。うどんを打ったあとに伸ばして広げることが由来で、山梨のほうとうに似ている。山梨の文化が地理的に近い多摩地区に伝播したのではと松尾さんは解説してくれたが、ラルブルではホウレン草や小松菜、カブなど野菜のピューレをスープに使うフレンチ仕立てにした。

画像: 和栗のモンブランと地ビールのアイスクリーム

和栗のモンブランと地ビールのアイスクリーム

 デザートもあきる野産の和栗や狭山茶を使い、あきる野市の玉泉寺住職が焙煎する豆で淹れたコーヒーで締めくくる。まさに東京ローカルガストロノミーだ。場所によっては、地産地消にこだわると、少ない食材で無理にコースを仕立てざるを得ない場合もあるが、松尾シェフの引きだしの多さと東京食材の豊富さで、まったく不自然さを感じさせない。

画像: 狭山茶のフィナンシェ、リンゴのコンポート、烏骨鶏の卵白のメレンゲ

狭山茶のフィナンシェ、リンゴのコンポート、烏骨鶏の卵白のメレンゲ

「休みの日も畑作や食材めぐり、発酵調味料作りなどで忙しいのですが、気になりません」

 オープンして1年あまり、都心から訪れる客も増えてきた。基本的にはコースが中心だが、木曜日はコースで使用しなかった食材を活用したビストロ料理が供され、この日は地元の客が中心になるという。

 私は知らなかったが、武蔵五日市は「ハセツネカップ」といわれる日本山岳耐久レースで有名で、トレイルランナーにとってはお馴染みの場所らしい。都心から遠いといっても、1時間ちょっと。ランチのあとに秋川渓谷を探索してもいいし、近所にいる、ラルブルの食材を担う生産者をめぐるのも楽しい。東京は奥深いと気づかされた1日だった。

L'Arbre(ラルブル)
住所:東京都あきる野市三内490
TEL. 042-596-0068
公式サイトはこちら

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柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』『東京いい店はやる店』。

画像: 本連載の執筆者・柏原光太郎氏の新著が好評発売中。長年のキャリアに裏打ちされた確かな視点でグルメの現代史を振り返りながら、一度は訪れたくなる東京のレストランを多数紹介。 『東京いい店はやる店』 新潮新書 ¥858

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『東京いい店はやる店』
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