BY KYOKO SEKINE
外国人観光客が押し寄せ、すっかり国際的観光地となった浅草は、日本人にとってもレトロモダンな町としてなかなか味わい深い。東京都内でも希少な江戸の香りを残す街角には、3代続く江戸っ子が生きる特別感が漂う。その浅草にも今やモダンなホテルが次々と新規オープン、さすがに歴史ある旅館は少なくなってきた。
そんな中、とびぬけて江戸にこだわる日本旅館「助六の宿 貞千代」は健在だ。今の若者たちにとっては、“助六”とは何ぞや、かもしれない。若くない私自身も、以前に宿から教えてもらうまでは知らなかった。“助六”とは、歌舞伎や浄瑠璃などの演目に登場する人物の名前なのである。花川戸助六という、花川戸(浅草界隈)に住み、男気のある伊達男、江戸前期の侠客がこの名に隠れている。男伊達(おとこだて)とも言われ、江戸町人の理想像とされていた。ちなみに“貞千代”は、旅館を始めた現社長の母親である貞さんと、長女の千代さんを重ねてつけた名だという。現社長の望月氏は2代目であり、今では数少なくなった浅草生まれの生粋の江戸っ子だ。
歯切れのいい江戸弁が飛び交う旅館では、夕食に「江戸町衆料理」が提供されている。時代劇で知られた「鬼平犯科帳」のご時世に食されていた料理や、江戸町衆に人気だったという料理等を参考に調理されたものだ。
興味深いのは、10名以上であれば、宿泊をしなくても宴会だけで、江戸の遊びを楽しめる「江戸趣味プラン」を申し込めることだ。ちなみに、2~3名では難しいが、最少4名からならば、料金はやや高くなるが実施可能な場合もあるとのこと。宿は「まずは相談してほしい」という。華やかな遊びや祭りの盛んだった浅草に伝わる四季折々の遊びが選べ、生活を楽しむ達人といわれた江戸っ子の余興が体験できる。春には墨田川での桜見物、舟遊び、夏は祭りの神輿、花火大会、秋は月見の宴会、冬には酉の市や初詣というように、江戸時代には四季折々、芸人たちが活躍する余興の場があった。
その芸人たちの余興を、宿で体験できるのである。江戸の大尽遊び「たいこもち」、安政二年に流行し始めた「投扇興」、「獅子舞」「落語」「新内」「浪曲」「芸者遊び」「津軽三味線」などに加え、宿の外でも、今や人気再燃の屋形船コースや江戸巡りコースなど、さまざまな“アクティビティ”が用意されている。初めて宿を訪れた20年ほど前、現社長はこう言っていた。「芸を引き継ぐ若者たちの発表の場がなくなっていて、このままでは消えてしまう。だからせめてうちの宿を“舞台”にしようと。お客さんにお見せできるのも、彼らにとってはいい修行のひとつなんでね」。以前は、芸達者な社長、望月氏自ら客に落語を聞かせることもあったというこの宿は、貴重な町衆文化を守る江戸前博物館のようである。
客室は畳敷き、布団で眠る純和室であり、日本情緒を感じる全20室が揃う。お風呂は2ケ所。江戸名井に因み、木の香ただよう総檜風呂「桜が湯」と、黒御影石造りの石風呂「ご福の井」の2つの湯殿を備えている。
宿のある場所は国際通りを少し奥に入った静かな一角だが、ほんの少し歩けば浅草らしい賑わいの街角に出る。芸人を多く輩出した土壌のDNAを引き継ぐ浅草で、気風のいい社長の話を聞いていると、鬼平犯科帳の時代にでもタイムスリップしそうでワクワクしてくる。
助六の宿 貞千代
(SADACHIYO SUKEROKUNOYADO)
住所:東京都台東区浅草2-20-1
予約電話:0120-081-099(フリーダイヤル)
客室:全20室
料金:¥19,000~
(和室7.5畳1泊2食 江戸町衆料理「しょうぶ」十品プラン 1名の料金。消費税・サービス料込)
※日によって料金が異なるため、要問合わせ
公式サイト
せきね きょうこ
ホテルジャーナリスト。フランスで19世紀教会建築美術史を専攻した後、スイスの山岳リゾート地で観光案内所に勤務。在職中に住居として4ツ星ホテル生活を経験。以来、ホテルの表裏一体の面白さに魅了され、フリー仏語通訳を経て、94年からジャーナリズムの世界へ。「ホテルマン、環境問題、スパ」の3テーマを中心に、世界各国でホテル、リゾート、旅館、および 関係者へのインタビューや取材にあたり、ホテル、スパなどの世界会議にも数多く招かれている。雑誌や新聞などで多数連載を持つかたわら、近年はビジネスホテルのプロデュースや旅館のアドバイザー、ホテルのコンサルタントなどにも活動の場を広げている
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