BY REGGIE NADELSON, PHOTOGRAPHS BY NINA WESTERVELT, TRANSLATED BY IZUMI SAITO
店内のいたる所に、そんな歴史の記憶が船につくフジツボのようにぴったりとくっついている。背面にボトルが並ぶバーカウンター、頭上から吊るされた野球帽に、店の建物を描いた絵。描かれているのは、店がハドソン川に直結していた頃の姿であろう。壁は古いビールの広告ポスター、写真、新聞の切り抜きで埋め尽くされ、黒板にはその日のメニューが走り書きされている。今日は「牛リブの煮込み」と「シェパーズパイ」、「ヒラメのレモンバター添え」だ。シェフのウン・フォンラムが作るのは、スパイシーなラムバーガーと海老料理、そしてチャイナタウンのこちら側で一番とされる餃子だ。 すべてが新鮮で、素材のほとんどは州北部のヘイマン農場から届けられている。揚げ物は一切出さない。
クリーミーなスープに、絶品のチーズバーガー。これにシェリダンはギネスを、ヘイマンはグースアイランドIPAを合わせたランチを食べながら、男たちはEarを初めたばかりの頃を振り返る。当時2階に住んでいたアーティストのシャリ・ディネス。彼女はラウシェンバーグの作品を売り、ヘイマンが店を購入する時の現金を工面してくれた。バーにはジョン・レノンが入り浸り、アレン・ギンズバーグが自らの詩を朗読する。彼らは皆、外の赤いネオンサインが呼び入れたのだ。
この看板は、禁酒法後の1930年代から変わっていないはずだとヘイマンは言う。だから歴史的建造物保存委員会はデザインへのいかなる追加も許さなかった。ならば「引く」のは問題ないだろうという考えから、Bの一部を消灯し、晴れて「Bar」は「Ear」になったという訳だ。そして「Ear」の看板は、一種の街の誘導灯のような存在となった。70年代から80年代の荒廃した街角にあっては、それを照らす灯台のあかりだった。その下でホームレスたちはドラム缶の火で身体を暖めた。「焼いて食べなよって、ジャガイモの袋をよく差し入れたもんだよ」と、シェリダンは当時を振り返る。「おっかない所だったよ。殺人や喧嘩にうってつけの一角って感じでさ」
通りを6分程歩いて下ると、そこにはかつて、リッチモンド・ヒルが建っていた。植民地時代の遺産的建物で、ロングアイランドの戦いでは、ジョージ・ワシントンの指令本部だった場所だ。後にアーロン・バー(第3代副大統領)の所有となるが、彼はアレクサンダー・ハミルトンとの因縁の決闘に出向いたまま、1804年にそこを去った。そこで新しい幕があがる。あたりはまだ牧歌的な郊外のグリニッジ村の一部だったのが、1817年に正式にニューヨーク市に組み込まれると、すべてが変わりはじめた。同年、スプリングストリート326番地で最初のバーがオープンした。エリー運河の建設が始まった年で、これはニューヨーク港に爆発的な成長をもたらすことになる。遠く大西洋の向こうでは、ベートーベンや、シェリー、バイロンらが作品を発表し、ジェーン・オースティンが死んだ年だ。
2006年には、Earの隣でコンドミニアムの建設が始まった。「アーバン・グラス・ハウス」で知られる、建築家フィリップ・ジョンソンの最後の作品だ。これによってEarの基礎は掘り返され、補強工事がなされた。「だいたい6フィートは掘ったね」とヘイマンは言う。「エリキシル剤と軟膏の薬瓶、ハドソン川の桟橋の元のかけら、動物の骨格なんかが出てきたよ」。シェリダンによれば、それらの発掘品を受け取ったニューヨーク歴史科学協会はここ100年で最高の発見だと言ったそうだ。
ところでEarは、“ジェームズ・ブラウン・ハウス”としても知られる。ここからの話は、半分真実で、半分嘘というところだろうが、とにかく最高だ。言い伝えによると、ジェームズ・ブラウンとは、アメリカ独立戦争でジョージ・ワシントンを支援したアフリカ系アメリカ人で、エマヌエル・ロイツェによる絵画≪デラウェア川を渡るワシントン≫の中に描かれた一人だ。その後は自由を与えられ、1770年代にこの場所に自身の家を建てると、タバコ屋と薬局を繁盛させ、死ぬまでここで暮らした。(この界隈は誰からも興味を持たれたなかったので、この話はそのまま残り、伝説となった)1985年頃、ヘイマンとシェリダンはアップタウンで演奏していたもう一人のジェームズ・ブラウンを店に招待した。シェリダン曰く、その返答はこんなメッセージだった。「ブラウンは来られなくなったと言っている。ニューヨークのフライドチキンが不味すぎて、ジョージアに帰っているところだ」
夕方近くのEar、バーカウンターには数人の友人と、引退した警官が一人。おかわりにもう1パイントのビールを飲みながら、シェリダンは二人のジェームズ・ブラウンの話は真実なのだと誓う、「多少の間違いはあってもね」。しかし、私はその全てを信じている。なぜなら、Earとはそういう場所なのだ。ストーリーを語り伝え、亡霊を蘇らせる。