BY YUMIKO TAKAYAMA, PHOTOGRAPHS BY KAN KANBAYASHI
「着きましたよ」。車を降りると、柑橘類の花の爽やかな香りがふわっと鼻腔をくすぐる。代々続く柑橘農家であるアサヒ農園があるのは、海からほど近い南伊勢町内勢(ないぜ)地区。
「内勢という場所は、おいしい柑橘が育つ場所として知られています。伊勢志摩の人は内勢産のみかんやデコポンを見つけると必ず買いますね。それがおいしいことをよく知っているから」と樋口シェフは微笑む。冬でも温暖な気候と、排水・通気性の良い土壌、南向きで海に面する山の急斜面を利用した栽培が、酸味と甘みのバランスの良い、味のいいみかんを育むという。
出迎えてくれたのは四代目の田所一成さんだ。「柑橘の花の香りがするって? 4月末に来ると花の香りでむせかえるぐらいですよ。真っ白な花が満開になって、あれはきれいやな」。
アサヒ農園では約2ヘクタールの農地に温州みかんのほか、デコポン、せとか、はるみ、カラマンダリン、レモンなどを栽培。なかでもジューシーで濃厚な味わいの「せとか」は、シーズンを心待ちにしている顧客も多く、「銀座千疋屋」にも並ぶ人気商品だ。
「せとかは手間が半端ない。トゲが出るんでね。そのトゲを切らないと、実に傷がついてしまう。また枝の成長が早いため、芽かきの作業がほかの品種よりも多く必要になる。作業が大変なので多くの農家が作りたがらないんです」と、田所さんはハサミでトゲを切る作業を見せてくれた。数ミリの小さなトゲは柔らかいので手でプチッと折れるが、3〜10㎝あるものは固く、ハサミで切るしか方法がない。
花が咲けば、残った花弁が腐って果実に影響しないように、咲きすぎた花を落とす。みかんの重さで木に負担がかからないように、早い時点で摘果(幼果の間引き)して、一枝に4〜5個の実を残すよう調整する。みかんに陽が当たるように実を回転させたり、枝の位置を変えたり。ある程度の大きさになれば、ひとつひとつの実に袋がけをする。
この日、見学したハウス栽培の温州みかんは、紐で枝を補強されていた。紐でぶら下げられているみかんは、操り人形のようでなんだかかわいい。みかんがピンポン球ぐらいに育ったら、そうやって紐をかけて、木や枝に重みをかけないようにするのだという。毎日、みかんの実や枝の状態を確認し、ハシゴを使って紐を付け足し、トゲを見つけて切る。すべて手で行われ、気が遠くなるような作業だ。1つのみかんがスーパーの軒先に並ぶまで、知られざる工程がたくさんあることに驚かされる。
摘果を行なって、早く採集した小さな柑橘の実は、今まで畑の肥やしにしていたが、樋口シェフはこれに目をつけた。「小さくても、せとかだったらせとか、デコポンだったらデコポンのいい香りがする。糖度はまだ低いけど、若い実ならではの香り、味わいがある。だからその摘果した実は、私にとってはとても魅力的な食材なんです。分けていただいて、ラ・メールの料理にその果汁や皮を使ったり、柚子胡椒のように加工して、肉料理の薬味として添えたりしています」。
今まで廃棄されていたものをおいしく再利用する。まさに理想的ともいえるサステナブルなサイクルだ。
まだ青くて硬い温州みかんを田所さんはナイフで半分に切って、樋口シェフに渡す。「酸っぱくてよう食べんわ」と酸っぱそうに口をすぼめる田所さんを尻目に、みかんにかぶりついて考え込む樋口シェフの顔は料理人そのもので、何の料理に合うか、いろいろなアイデアが頭の中を駆け巡っているようだ。
そんなアサヒ農園で摘果した柑橘の果汁が生かされた料理が、「志摩観光ホテル」のフレンチレストラン「ラ・メール」で出される最初の一皿「海の幸サラダ仕立て 甲殻類のジュレとともに」だ。摘みたてのハーブや葉物、とれたての魚介類に和えられた、旨味たっぷりの甲殻類の出汁が詰まったジュレを引き締めているのが、この爽やかな香り、味わいの柑橘の果汁だ。プリップリの車海老との相性の良さといったら、それはもう! カラフルで目にも美しく、ラ・メールの料理の中でも印象的な一皿といえる。
「自分たちはみかん屋としてずっと同じことしかしてきていない。樋口さんみたいな人が来て、料理人の視点でモノを言うと、自分たちにとっては目から鱗が落ちるような発想なんですよ。それがおもしろい。知っとるもの(=柑橘)を渡すと、違うものになって戻ってくる。せとかの柚子胡椒は豚汁に添えてもうまかった。あれ、バニラアイスクリームと一緒に食べてもうまいんちゃう?」と田所さん。
こういった、生産者とのやりとりが楽しいと樋口シェフはいう。
「地元の生産者と交流を持つようになってから、食材について知ったこともたくさんあるんです。1つの食材ができるまでのその工程には、その生産者の知恵や工夫などが詰まっている。話を聞いていてとても勉強になります」。
伊勢志摩の食材を支える生産者たちとつながることで、よりその土地の理解を深めていく。豊かな自然に感謝し、それに携わる人たちにも感謝する。樋口シェフの皿は、そんな生産者たちとの結びつきよって、より輝きを増すのだ。
志摩観光ホテル(SHIMA KANKO HOTEL)
住所:三重県志摩市阿児町神明731
電話: 0599(43)1211(ホテル代表)
客室数:164室(「ザ クラシック」114室、「ザ ベイスイート」50室)
料金:¥36,800~(1泊1室2名利用時の朝・夕食付1名分の料金。消費税・サービス料込)
宿泊予約センター :フリーダイヤル 0120-333-001(平日9:00〜22:00、土・日・祝日9:00〜20:00)
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