BY YUMIKO TAKAYAMA, PHOTOGRAPHS BY KAN KANBAYASHI
志摩・賢島にある「志摩観光ホテル」は開業1951年、伝統と格式のあるホテルで知られる。皇室をはじめ、数多くの賓客を迎え、作家の山崎豊子が常宿にしていたことでも有名だ。そんな老舗のホテルの総料理長として、多くのスタッフを束ねているのが樋口宏江シェフ。2016年の伊勢志摩サミットでは、その料理を絶賛されたことも記憶に新しい。取材のための待合せ場所は、ホテルから車で20分ほどのところにある安乗(あのり)の漁港。シェフはここへ仕入れる魚を見に来るのだ。現れたのはスラリと長身で、ふわりとやわらかな雰囲気をまとった自然体の女性だった。
国内外から彼女の創り出す味を求めて、人が来る。その料理の原点はどこにあるのだろう? 最初に料理をしたときの記憶を聞いてみると、幼少時代、専業主婦だった母の手作りのおやつが楽しみで、物心ついたときから自分でもお菓子や料理を作り始めたと言う。「料理を作って、家族に“おいしい”と褒めてもらえるのがうれしかったんでしょうね。料理番組が大好きで、見たこともない料理が登場するたびに、どんな味がするんだろう、どうやって作るんだろうとワクワクながら見ていました」。小学校高学年の頃には、将来は料理の道に進もうと決心していたそうだ。
高校卒業後は憧れのフランス料理を学ぶべく、調理師専門学校に進んだ。就職先に志摩観光ホテルを選んだのは、進路指導の講師に薦められたのと、実家のある四日市から近かったから。当時、ホテルやレストランの料理人の募集は女性の求人は極端に少く、樋口シェフが入社した時も、厨房は圧倒的に男性が多かった。
「とはいえ、先々代の総料理長は男性、女性と区別されない方で、なんでも同じようにさせてくださいました。また、女性の先輩が2人いて、テキパキと指導してくださったので心強かったです。涙を流したのは、料理が思い通りにできなくて悔しかった時ぐらい(笑)。負けず嫌いなんです」。尊敬する師匠、先輩がすぐ近くにいて、料理を学ぶ環境にとても恵まれていたのだと話す。
先々代の総料理長とは、高橋忠之氏のこと。フランスから輸入した食材を使うことが高級フランス料理の主流とされていた時代に、地元の伊勢志摩で取れる魚介類を使ったこの地にしかないフランス料理こそ目指すところだと見極め、このホテルの看板料理「伊勢海老のクリームスープ」や「鮑ステーキ」を考案した、伝説のカリスマ料理人である。
「先々代の総料理長は、こんな交通の便が悪い場所まで足を運んでくださるお客様に何を召し上がって喜んでいただけるかを考え、地元でとれる素晴らしい海産物に着目したそうです。志摩は伊勢神宮へ神事の時に海産物を献上する役割を担ってきた御食国(みけつくに)。豊かな自然のなかで育まれた食材を、フランス料理の技術を使って料理しよう、と。先々代の総料理長からは、料理人としての心構えのみならず、料理の歴史に加え、日本の伝統文化を学ぶことや、社会の動きを知るために新聞を読むことの大切さなどを教えてもらいました」
フランス料理に携わる料理人はたいてい、人生に一度はフランスで勉強したいと思うそうだが、樋口シェフは渡仏を夢見たことはない、という。ここで素晴らしい先輩料理人たちから教わり、懸命に吸収することが、何よりもの学びであったからだ。