今回の旅先、茨城県と栃木県の県境に位置する結城市は、見世蔵造りの街としても知られる。まずは、古き良き街並みに溶け込みながらも現代的なセンスが漂う宿と古家具店を訪ねた。豊かな風土に彩られた日本に存在する、独自の「地方カルチャー」。そんな“ローカルトレジャー”を、クリエイティブ・ディレクターの樺澤貴子が探す、人気連載をお届け

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

《STAY》「HOTEL(TEN)」(ホテル・テン)
軽やかなノスタルジーを奏でる“街やど”

画像: 老舗味噌店から譲り受けた樽の箍(たが)が、洒脱なミラーフレームに。「HOTEL(TEN)」にて

老舗味噌店から譲り受けた樽の箍(たが)が、洒脱なミラーフレームに。「HOTEL(TEN)」にて


画像: 寝室スペースとなる2階の広間。墨色の床の間に現代作家の掛け軸が今様の表情を添えて

寝室スペースとなる2階の広間。墨色の床の間に現代作家の掛け軸が今様の表情を添えて

  モダンにリノベーションされた一棟貸しの古民家宿は数多あれども、今回訪れた「HOTEL(TEN)」は街との密度がひと際高い。というのは、約15年以上にわたり街づくりを手がけてきた「結いプロジェクト」によって運営されている所以である。その立ち上げ人はUターンでこの地に戻り、商工会議所に勤める野口純一さんと、地元出身の建築士の飯野勝智さん。街中でのマルシェをはじめ、神社仏閣での音楽イベントを重ね、シャッター街と化していた伝統ある見世蔵通りに、無理なく少しずつ新たな息吹を吹き込んできた。2022年、その歩みの延長として結城の“今”を知り尽くしたユニットによる「HOTEL(TEN)」が誕生した。

画像: 見世蔵通りから少し奥まった路地裏にある築90年以上の町家をリノベーション

見世蔵通りから少し奥まった路地裏にある築90年以上の町家をリノベーション

画像: 元の家主が大工を生業としていたとあって、玄関脇の引き戸は障子部分が取り外せる「大阪障子」という凝った造り

元の家主が大工を生業としていたとあって、玄関脇の引き戸は障子部分が取り外せる「大阪障子」という凝った造り

 二足の草鞋を履く二人が運営するだけに、チェックインは宿から徒歩2分の「yuinowa(ゆいのわ)」で行う。見世蔵通りに面した「結いプロジェクト」の拠点であると同時に、カフェやコワーキングスペースが融合した施設のため、フロント機能を果たすと同時に旬の街歩き情報を得ることもできる。“TEN”という名称は、結城の街でひとつずつ種まきをしてきた点と点のアクションが、宿の存在を通して線として繋がる願いを代弁。さらに、「家族や友人同士で古き良き“場”の心地よさを分かち合って欲しい」という想いから最大“10人”まで利用できることも、名称の由来に重ねた。

画像: 1階の庭に面した居間は、チャコールグレーの床張りがクールな印象を醸す。さりげなく置かれたピアノも洒脱なアクセントに

1階の庭に面した居間は、チャコールグレーの床張りがクールな印象を醸す。さりげなく置かれたピアノも洒脱なアクセントに

画像: 天井の梁が躍動的なダイニングスペース。テーブルの横並びにアイランドキッチンがあり、大勢で調理を楽しめるように設計されている

天井の梁が躍動的なダイニングスペース。テーブルの横並びにアイランドキッチンがあり、大勢で調理を楽しめるように設計されている

 結城の歴史の輝きは、鎌倉幕府の成立を支えた結城朝光がこの地に館を築き、初代当主となったことに幕開ける。地理的にも江戸経済の大動脈である鬼怒川の要衝にあったことから、18代約400年にわたる結城家の統治のもと、結城紬や農産物の集散地として隆盛を極めた。今なお、鬼怒川の伏流水で仕込まれる、酒・味噌・醤油の醸造業が受け継がれ、プリミティブな手仕事から生まれる絹織物「結城紬」の工房が息づく。さらに、こうした伝統的な生業に加えて、「結いプロジェクト」に端を発したカフェやレストランが街のスパイスとして穏やかな個性を放つ。

 少しずつ細胞が生まれ変わったからこそ、この街には“すこやかな新陳代謝”が息づくのだろう──縁側に佇むと金木犀の香りが、そんな気づきを運んでくれた。暖かなお茶を飲みながら、旅をスタート。結城の朝がはじまった。

画像: 白砂利を敷き詰めた庭には、柚子や躑躅、金木犀が点在。季節ごとに艶やかな彩りと香を魅せる

白砂利を敷き詰めた庭には、柚子や躑躅、金木犀が点在。季節ごとに艶やかな彩りと香を魅せる

画像: 庭に持ち出した椅子に、香の余韻が舞い散っていた

庭に持ち出した椅子に、香の余韻が舞い散っていた

住所:茨城県結城市結城162-1
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チェックインフロントは、
「Coworking & Café yuinowa」
住所:茨城県結城市結城183
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《BUY》「imiji(いみじ)」
微かな輝きを放つチャーミングな古家具

画像: シャビーな入口は、時空を越える扉のよう

シャビーな入口は、時空を越える扉のよう


 長い歴史を重ねながらも、けして古びた印象はなく、むしろ新品の製品よりも心惹かれるチャームが宿る。“まことによく、巧みに”という様子を表す“いみじくも”という言葉から店名を得た「imiji(いみじ)」は、2023年11月にオープン。ドアを開けると、キャスケット帽がよく似合う夛田秀人さんが家具の修繕作業の手をとめ、迎え入れてくれた。

画像: 家具に限らずガラス製品やランプシェードにも夛田秀人さんのセンスが薫る

家具に限らずガラス製品やランプシェードにも夛田秀人さんのセンスが薫る

画像: 懐かしさの中にも“新鮮”さを感じる小物が揃う

懐かしさの中にも“新鮮”さを感じる小物が揃う

 誰かの“手”を経たものを、夛田さんの“手”で天塩にかけて磨きをかけ、修繕をほどこした家具と道具。一軒家を工房兼ショップとして改装した店内に、所狭しと並べながらも、どこか清潔感を感じる。「古いものだからこそ、“古ぼけて見えない”ことが大切」と夛田さんは語る。

  たとえば昔ながらの家具であれば、重厚な色調に塗装されているものが多いため、今の暮らしに取り入れやすいように一度やすりで削り、素材そのものの色味や木目を引き出す。立て付けから金具の交換、棚の中板の交換や使い勝手に配慮して、入念に“手あて”をする。「家具が過ごしてきた“時間”をリスペクトし、素顔を上手に引き出すことで、新たなキャラクターが浮かび上がる……それが古家具の魅力です」(夛田さん)。

画像: 上品なグレージュに衣替えをした椅子も「imiji」のアイコン

上品なグレージュに衣替えをした椅子も「imiji」のアイコン

画像: 理科の実験道具だった古いロートをランプシェードに見立てるなど、独創的なアイディアも光る

理科の実験道具だった古いロートをランプシェードに見立てるなど、独創的なアイディアも光る

 扱うアイテムは、そのほとんどが日本製。明治初期から昭和中期の時代が中心だ。西洋文化への憧れから擬洋風にデザインされた椅子をはじめ、精緻な彫刻や螺鈿細工を施したチェスト、1点ずつ揺らぎや色のニュアンスが異なるガラス製品から、古民家の建具など。暮らしの道具に密かな美を見出し、豊かな心を育んでいた時代の家具や道具には、“古いからこそ”の確かな価値がある。

 ひとしきりの撮影が終わった頃、黙々と撮影していたフォトグラファーが「この棚を連れて帰ります」と。買い物の先を越された。梱包する前に、再び入念に状態を確認し、乾拭きをする夛田さんの表情が少し沈んで見えた。「嬉しい反面、どこか寂しいですね」。それほど愛情をかけて磨き抜かれた家具は、新たな持ち主の家で“とっておき”の存在になるに違いない。

画像: 古民家から出た鶴と亀の釘隠し

古民家から出た鶴と亀の釘隠し


画像: 街道沿いに立つ「imiji」だが、看板を掲げていないため風景に溶け込んでいる。来年には見世蔵を借りて、店舗を移転する予定という

街道沿いに立つ「imiji」だが、看板を掲げていないため風景に溶け込んでいる。来年には見世蔵を借りて、店舗を移転する予定という

住所:茨城県結城市結城10692-2
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《SEE&BUY》「結城紬ミュージアム つむぎの館」
日本最古の結城紬の“今”と出合う

画像: 節の表情にさえ趣が宿る、手つむぎの真綿糸。地機にかけた経糸(たていと)が柔らかな輝きを放つ

節の表情にさえ趣が宿る、手つむぎの真綿糸。地機にかけた経糸(たていと)が柔らかな輝きを放つ

画像: 結城紬からなるストールや小物類など、モダンなセンスに彩られたオリジナルアイテムが並ぶ「結の見世」

結城紬からなるストールや小物類など、モダンなセンスに彩られたオリジナルアイテムが並ぶ「結の見世」

 糸の貴さにまで思いを馳せて纏うものを選ぶ──繭からどのように糸をつむぎ、どんなプロセスを経て一枚の織物になるかを知り、そのディテールに価値を見出し、装う喜びに浸る。ここ結城市には、纏うだけで幸福感に包まれる、軽やかで優しい風合いの織物がある。それが土地の名前を冠し、日本最古の歴史を誇るという「結城紬」だ。
 
 真綿から糸をひく「糸つむぎ」、細かい十字絣や亀甲といった模様になるように手括り(てくくり)で染める「絣括り(かすりくくり)」、織り手が経糸を腰にかけ、張り具合を調節しながら織る「地機織り」を継承する本場結城紬は、重要無形文化財に指定されている。着物愛好家が「いつかは」「一度は」着てみたいと憧れる特別な織物の魅力を、より深く、身近に感じてほしいという思いで建てられたのが同館だ。

画像: 奥順が所有する貴重な紬のコレクションや歴史を辿る「資料館」(右)と、染め織りのワークショップなどを行う「織場館」(左)

奥順が所有する貴重な紬のコレクションや歴史を辿る「資料館」(右)と、染め織りのワークショップなどを行う「織場館」(左)

画像: 古い見世蔵が軒を連ねる街道沿いには「奥順」の店舗や「結城澤屋」が建つ

古い見世蔵が軒を連ねる街道沿いには「奥順」の店舗や「結城澤屋」が建つ

 手織りの原点ともいえる結城紬を、後世に受け継ぐ願いで社屋の敷地を開放し、「結城紬ミュージアム つむぎの館」を手がけたのは、明治40年から産地問屋として結城紬の図案制作を手掛けてきた「奥順(おくじゅん)」である。
 
 敷地内は9棟の建物から成り、見世蔵造りの街にふさわしく、建物を巡るだけでも歴史的遺産が凝縮。明治期建造の壱の蔵や離れ、土蔵をはじめ大正期に建てられた奥順の店舗など、5棟が国の登録有形文化財に指定されている。さらに、築百数十年前の古い茅葺の農家を移築・再生した「陳列館」も加わり、建築ファンの目も楽しませる。

画像: 古民家を移築し、常時200点以上の反物が展示されている「陳列館」

古民家を移築し、常時200点以上の反物が展示されている「陳列館」

画像: 広い敷地には、其処ここに古の風情が宿る

広い敷地には、其処ここに古の風情が宿る

 高度な手技や歴史への理解を深めたところで、満たしたいのは買い物心。着物のワードローブに新顔を迎えたいという方は、奥順が完全に別誂えで手がけた敷地内の「結城澤屋」をレコメンドしたい。結城紬の魅力を今様に再解釈し、絣柄行の存在を引き算したモダンな反物は、真綿からつむいだ糸が独特の陰影を奏で、無地感覚でありながら着姿に奥行きを生む。透明感のあるオリジナルカラーの色無地の結城紬も、万能なコーディネートを叶えるなど、ここでは「結城澤屋」でしか見られないオリジナル商品のみが並ぶ。

 着物は少し敷居が高いという方には、大きさも彩りもバリエーション豊富なストールを。旅の記憶を刻む自分への贈り物として“私らしい一枚”を選び抜き、糸の美を愛で、肌に触れる風合いを慈しんではいかがだろう。

画像: 結城紬のよさはそのままに、現代的な顔立ちの反物が揃う「結城澤屋」(予約制)。コーディネートを提案くださるのは、責任者の新 陽子さん

結城紬のよさはそのままに、現代的な顔立ちの反物が揃う「結城澤屋」(予約制)。コーディネートを提案くださるのは、責任者の新 陽子さん

画像: “ほっこり結城”と謳われ、古式どおりの方法で織られている結城紬のストール。素朴で自然な感触を、マニッシュな配色で楽しみたい

“ほっこり結城”と謳われ、古式どおりの方法で織られている結城紬のストール。素朴で自然な感触を、マニッシュな配色で楽しみたい

住所:茨城県結城市結城12-2
電話:0296-33-5633
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画像: 夫婦二人三脚、息を合わせて仕込みを行う「秋葉糀味噌醸造」

夫婦二人三脚、息を合わせて仕込みを行う「秋葉糀味噌醸造」

《BUY》「秋葉糀味噌醸造」
“当たり前”の豊かさを再認識する味噌

画像: ひと晩かけて保温した上米を糀板へ。これから二日間かけて菌が花開く

ひと晩かけて保温した上米を糀板へ。これから二日間かけて菌が花開く

 人の手を介して生まれたものは、器であれ料理であれ何であれ──作り手そのものが滲み出る。ここ結城で、体裁よりも人間性がジワリと伝わる味噌と出合った。訪れた先は、見世蔵が連なる通りで、ひときわ趣ある佇まいに惹かれた「秋葉糀味噌醸造」である。
 
 鬼怒川の伏流水に恵まれた茨城県結城市では、江戸期から日本酒や味噌、醤油などの醸造業が営まれ、今もその伝統が息づく。「秋葉糀味噌醸造」もそのひとつ。天保3年(1832)の創業から、室で糀を仕込み木桶で味噌をゆっくりと熟成させる古式の味噌作りを受け継ぐ。

画像: 店の代名詞となる「つむぎみそ」の文字が染め抜かれた暖簾に、代々の当主の矜持が表れている

店の代名詞となる「つむぎみそ」の文字が染め抜かれた暖簾に、代々の当主の矜持が表れている

画像: 広い作業場を忙しく行き来する6代目の秋葉章太郎さん

広い作業場を忙しく行き来する6代目の秋葉章太郎さん

 訪れた日は、ちょうど糀を仕込むタイミング。蒸した米に糀菌をかけ、舟と呼ばれる大きな浴槽でひと晩寝かせた状態のものを、室へと移すまでの工程を見学した。「味噌は生き物なので、ちょっと面倒なんだよね」と愛嬌たっぷりに語りながら、被せた布団を捲る秋葉さん。しっとりと熟睡した米を目覚めさせたところで、奥様の香代さんが登場。
 
 夫婦二人三脚で湿り気を帯びた重い米を、スコップを用いてほぐしていく。取材時は10月中半。それでも外気温は25度を超え、額に汗をにじませながら黙々と作業は続く。ひと区切りがついたところで、香代さんがもてなしてくれたのは同店自慢の甘酒だ。解凍したばかりの冷たい甘酒を口に含むと、米本来のふくよかな甘みが広がった。「時期はずれの夏日も悪くない」と思えたほど、実に美味しかった。

画像: 優しい風を招く中庭には、夏の名残の花がほころんで

優しい風を招く中庭には、夏の名残の花がほころんで

画像: 冷凍で販売されている甘酒は、米の風味を味わい尽くす粒ありと、滑らかな口当たりの粒なしを用意

冷凍で販売されている甘酒は、米の風味を味わい尽くす粒ありと、滑らかな口当たりの粒なしを用意

 ひと息ついたところで、続いて米を糀板に移す工程へと移る。檜の一升枡でたっぷりと2杯、木製の板に注いだ米を広げ、指先を駆使して素早く畝をつくる。この地道な一連の作業は夕暮れまで続き、幾重にも積まれた糀板を室に収めきるのは、夜20時をまわるという。ストーブで30〜35度に温めた室で眠ること二日、柔らかな菌糸をまとった糀が完成する。

画像: ほどよく呼吸する漆喰の蔵を利用した「室(むろ)」

ほどよく呼吸する漆喰の蔵を利用した「室(むろ)」

画像: 袋詰めも手作業で行う。右は「つむぎみそ 純米」(500g¥620)、左は3年熟成した「つむぎみそ 特別醸造」(数量限定、300g¥1,500)

袋詰めも手作業で行う。右は「つむぎみそ 純米」(500g¥620)、左は3年熟成した「つむぎみそ 特別醸造」(数量限定、300g¥1,500)

 この糀と合わせるのは、産地を厳選した大豆を煮て天日塩のみ。大正期から建つ蔵に住み着いた菌も手伝って、桶のなかで熟成された「つむぎみそ」が誕生を迎えるのは約半年後だ。一段と濃い色をした特別醸造は3年もの時を要する。スーツケースがずっしりと重くなるのを覚悟の上で、熟成度合いの異なる味噌を2袋購入。

 旅から戻り、自宅で味わった味噌汁の湯気の向こうには、蔵で過ごした光景が映し出された。手間暇を避けて通り過ぎず、さも“当たり前”であるかのように淡々と営む。その一歩一歩の延長線にだけ、この豊かな味わいが待っているのだろう。

画像: 味噌づくりに優しさを注ぐ秋葉さん夫妻

味噌づくりに優しさを注ぐ秋葉さん夫妻

住所:茨城県結城市結城174
電話:0296-32-3923
公式サイトはこちら

《EAT》「御料理屋kokyu.(コキュウ)」
口福を誘う季節の“百菜”料理

画像: こく深い茄子の田楽に、モロヘイヤが青々とした香りを添えて

こく深い茄子の田楽に、モロヘイヤが青々とした香りを添えて

 威風堂々とした佇まいの古民家は昭和初期の築と聞く。店名を記した文字さえも蔦に覆われ、表通りには入口が見当たらない。食事に訪れたのは夕暮れ時、外壁を照らす灯りがなかったら通り過ぎていたことだろう。結城のリサーチの段で、あちらこちらからレコメンドを受けた「御料理屋kokyu.」。早朝からの取材を終え身体はくたくたなはずだったが、一皿ずつ運ばれる健やかな野菜を味わうと、“ここに居るだけ”で自然と笑みがこぼれた。

画像: 昼間見てもご覧のとおり、目立つ看板はなく目を凝らすと壁に店名が記されている

昼間見てもご覧のとおり、目立つ看板はなく目を凝らすと壁に店名が記されている

画像: 中庭に面した玄関、きっぱり白さが際立つ麻の暖簾から、料理と向き合う店主の心意気が立ち込める

中庭に面した玄関、きっぱり白さが際立つ麻の暖簾から、料理と向き合う店主の心意気が立ち込める

 前夜の余韻に浸りながら、翌日取材に訪れると建物の全貌が見えてきた。玄関のある建物と渡り廊下で繋がるのは、客席を設えた高床の棟。この地で酒蔵を営んでいた名主の別邸で、なんでも筑波山を愛でるために座敷を廻り廊下で囲み、建物の外には濡れ縁を誂えたとか。約100年も前にコンクリートの基礎を組んで高床式に建てた、いかにも贅沢な造りを成す。

 時を超えてなおも美しい古民家に、北條恭司さんと友子さん夫妻が料理店として新たな光を灯したのは2013年のこと。和食店を軸にイタリアンレストランでも経験を重ねた北條恭司さんと、料理宿を営む家に生まれ育った妻の友子さんは、それぞれに食に対する“頑固な愛情”を育んできた。そんな二人が満を持して暖簾を掲げた料理店は、昼は6組、夜はわずか3組だけの完全予約制。野菜を軸としたコース料理を振る舞う。そこには、「真剣に意識を向けないと感じ取ることができないほど、微かな香りや本物の旬を感じていただきたい」という思いが込められている。

画像: 廻り廊下にはめられた硝子戸やディテールの建材をひとつとってもこだわりが感じられる

廻り廊下にはめられた硝子戸やディテールの建材をひとつとってもこだわりが感じられる

画像: 二間続きの座敷を板張りの客席へとリノベーション。床の間の軸だけは、今も家の当主が季節ごとに掛け替えるという

二間続きの座敷を板張りの客席へとリノベーション。床の間の軸だけは、今も家の当主が季節ごとに掛け替えるという

 撮影しながら味わった夜のコースは、先付けとなるホタテの茶碗蒸しと里芋の揚げ出しからはじまり、本日の野菜盛りで土地の滋味を堪能。レンコンのはさみ揚げや、雪塩を添えた銀杏の素揚げが運ばれてくる頃にはお酒を追加でオーダーしたくなる。メインは肉と魚からチョイスでき、この日は南蛮漬け風にアレンジされた秋鮭を“ご指名”。締めにはイクラをのせたきのこの炊き込みご飯と4種類の香のもの、お吸い物が品よく並んだ。

 料理が運ばれるたびに素材や味付けを尋ねると、こちらの高揚する気持ちをいなすようにポツリと言葉が返ってくる。そんな“心地よい不器用さ”も料理を真剣に味わってもらうための、極上の演出なのかもしれない。

画像: 夜のコース料理「百舌(もず)」(¥3,750)。*取材は10月中旬、本来は一品ずつ運ばれる

夜のコース料理「百舌(もず)」(¥3,750)。*取材は10月中旬、本来は一品ずつ運ばれる

画像: 予約席を整えながら「晩秋から冬にかけては、カキフライやロールキャベツも人気です」と語る友子さん

予約席を整えながら「晩秋から冬にかけては、カキフライやロールキャベツも人気です」と語る友子さん

住所:茨城県結城市結城1085
電話:0296-48-8388(完全予約制)
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《EAT&CAFE》「café la famille(カフェ・ラ・ファミーユ)」
年月を慈しむ幸せが降り注ぐカフェ

画像: フランスの修道院を思わせる“素顔”が美しい庭

フランスの修道院を思わせる“素顔”が美しい庭

画像: シャビーな門を開けると、異空間へと誘われる

シャビーな門を開けると、異空間へと誘われる

 この連載で前橋を訪れた際、審美眼に長けた日仏夫妻に「結城へ行くことがあれば、立ち寄るといい」とレコメンドされたのが、「カフェ・ラ・ファミーユ」だ。聞けば住宅街の一角に欧州の田舎町の世界が広がり、カフェ好きの密かな聖地だという。インスタグラムを眺めるだけのバーチャルな旅では満足できず、今回の結城巡りを企画。

 曇り空の昼下がり、お目当ての店でまずはお腹を満たそうと約束の時間よりも少し早く向かう。一軒家が連なる細い路地を曲がり、突然現れたのは百聞のごとく北フランスの景色だった。シャビーな門の先には、幾世代にわたり守られてきたような家屋が。入口のデッキには風格ある農具のブロカントが、いかにも現役選手であるかのように居座る。鶏小屋やハーブ園を横目に、樹々のアーチをくぐり抜けると、芝生の庭やガーデンテラス、納屋を模した棟が続く。一朝一夕で作られた劇場型ではない、長い歳月をかけて少しずつ育まれた古きよきフランスの田舎町の風情が広がる。

「きっかけは一冊の雑誌でした」──そう語るのは館のオーナーでありシェフも務める奥澤裕之さんだ。

画像: イメージソースは北フランスの農家民宿

イメージソースは北フランスの農家民宿

 奥澤さんが、このスタイルに辿り着くまでは少々の寄り道があった。自分専用のコーヒーメーカーを持ち、友人に振る舞うことに喜びを見出したのは、なんと小学6年生の頃。高校時代には喫茶店でエスプレッソの存在に衝撃を受け、東京を訪れては「オーバカナル」をはじめ話題のカフェを訪れるように。漠然と描いていた夢が、フランスのカフェ文化に触れることで確かな輪郭を描いた。

 20代後半を迎えた1996年からは、ヴィンテージのワーゲンバスを基地に、全国を巡る移動カフェをスタート。2004年、紬の兼業農家だった両親の元桑畑の中に一軒家の店を建て、伝説のカフェは幕を開けた。

画像: 入口には農家民宿を思わせるブロカントが象徴的に置かれている

入口には農家民宿を思わせるブロカントが象徴的に置かれている

画像: 奥澤さんの心を満たしてきた本までも、この席に座る人々に受け継がれていくよう

奥澤さんの心を満たしてきた本までも、この席に座る人々に受け継がれていくよう

 女性に限らずお爺さんでも“ふらり”と立ち寄れる店。美味しいコーヒーやサラダに、お酒も楽しめるようなフランスのカフェのような存在をつくりたい──奥澤さんのそんな思いがはっきりと映像化したのは、フランスの民宿を特集したファッション誌の中だった。北フランスはブルターニュでリンゴ農園や養豚業を営みながら姉妹で営むその宿は、古い製粉所だった母屋と馬小屋を改装。木組みの温かさを活かしながらも、部屋ごとに異なるデザインが施されていた。

 誌面からイメージを膨らませ、「カフェ・ラ・ファミーユ」の初めの一歩を建てた翌2005年、雑誌でも目にした理想の宿を訪れた。憧れは確信へと変わり、心地よい空気感を店で働くスタッフとも分かち合いたいという気持ちで、幾度も社員研修を兼ねて訪ねるようになったとか。「実際にその土地を訪れ、空の色や湿り気を感じ、街の音を聞き、人と触れ合い食事をする。それでこそ、自分の中に収穫という財産が残る。雑誌の中の世界は、あくまでもプロローグ。その先の物語をつくるのは自分たち自身だから」(奥澤さん)。

画像: テーブルに飾られた野の花が、金平糖のように愛らしくも儚げ

テーブルに飾られた野の花が、金平糖のように愛らしくも儚げ

画像: 木彫家・前川秀樹さんが手がけたステージ。座る席によって違う店に来たかのように表情が変わることも、何度も訪れたくなる所以

木彫家・前川秀樹さんが手がけたステージ。座る席によって違う店に来たかのように表情が変わることも、何度も訪れたくなる所以

 取材前にオーダーしたランチは、イチジクのガレットだ。同席したフォトグラファーは、きのこのクリームタリアテッレを所望。ほかにもオムライスや鶏もも肉のコンフィ、ニース風サラダからキッシュプレートまで、目が迷うバリエーションが書き連なる。料理が運ばれ驚いたのは、そのボリュームだ。洒落たメニューとの心地よいギャップの根底には、「男性にもしっかりお腹を満たしてほしい」という奥澤さんの初心が込められている。

 料理を食べ終え、庭を歩き、あちこちの席に座ってみて感じたのは、どこを切り取っても嘘がないということ。古材やブロカントで形だけ整えた空間とは異なり、約20年に及ぶクロニクルのなかで、少しずつ変化を重ね築かれた幸せな気配が漂う。ここで働く人、ここを訪れた人、この場所から生まれたカップルやその先に生まれた命など、たくさんの喜びが綴れ織のように「カフェ・ラ・ファミーユ」の情景を織りなしている。この日の私たちの高揚感も緯糸の一本として加わっただろうか。次に訪れたときに、自分の目で確かめたいと強く願った。

画像: 毎年ファンが待ち焦がれるイチジクのガレット

毎年ファンが待ち焦がれるイチジクのガレット

画像: 焼きたてのパンが窓辺に並ぶ景色さえも映画のワンシーンのよう

焼きたてのパンが窓辺に並ぶ景色さえも映画のワンシーンのよう

画像: 奥澤裕之さんの姿を追いかける愛犬ムーニー

奥澤裕之さんの姿を追いかける愛犬ムーニー

住所:茨城県結城市結城911-4
電話:0296-21-3559
公式インスタグラムはこちら

《CAFE》「cafe robinet(カフェ・ロビネ)」
週2回、美味しい“ホンモノ”を届けて

画像: 素朴な風味が広がる焼き菓子は、手土産としてもさることながら、ドライブの友となる

素朴な風味が広がる焼き菓子は、手土産としてもさることながら、ドライブの友となる

「安全で安心できる“ホンモノ”だけを届けるカフェを手がけたい」──前出の「カフェ・ラ・ファミーユ」で3年間の薫陶を受け、遠景だった夢が近景となったのは2009年のこと。アトピー体質を改善するために独学でマクロビオティックを学び、白い砂糖を使わない菓子作りを徹底。その焼き菓子に合わせるコーヒーを求め、房総半島まで足を運んだ。セレクトしたのはスペシャリテ珈琲ビーンズを、自家焙煎で仕上げた「KUSA.喫茶」の深煎りブレンド、鋭角な奥深さは「カフェ・ロビネ」のどのスイーツとも好相性を奏でる。

 カフェの出発点は、結城の「結の市」をはじめイベントへの出展から。店舗という形こそ整っていないまでも、少しずつバリエーションを増した焼き菓子は、じわりじわりと人気に火を灯しはじめた。

画像: ナッツやチョコレートもオーガニックにこだわる

ナッツやチョコレートもオーガニックにこだわる

画像: 「カフェ・ロビネ」を営む大木さん

「カフェ・ロビネ」を営む大木さん

 大木 紫さんがカントリーシックな「カフェ・ロビネ」の空間を手にしたのは、独立から約10年を経た2020年のこと。長年の夢だったカフェという箱を持ちながらも、店をオープンするのは週2回、木曜と金曜日だけ。「まずは、家族という小さな単位を大切にすることで、まわりにも優しさを届けられる」と語る。

 この日は秋のスペシャリテ、モンブランをいただいた。主役となる栗は、無農薬・無肥料のものを求め、栗拾いするところから始まるこだわりよう。流麗な曲線を描くペーストの豊かな風味、アクセントを添える栗の渋川煮、無糖の生クリーム、そしてキビ糖で仕立てたメレンゲが、舌のうえで軽やかなカルテットを奏でる。

画像: 栗の存在感をしっかり引き出したモンブランに、深煎りのコーヒーがアクセントを刻むのは言うまでもない

栗の存在感をしっかり引き出したモンブランに、深煎りのコーヒーがアクセントを刻むのは言うまでもない

 午後の長閑な光に包まれた店内は、落ち着いたウッドテイストとシックなグレーの壁、リネンのカーテンが品よくコーディネートされている。大木さんの謙虚な心から滲み出る透明な温かい空気が、其処ここに宿るよう。週に2日の営業日とあって、取材をしながらも客足が途絶えない。注文が入ると、穏やかな笑顔にプロとしてのスイッチが瞬時に入る。

 適度な緊張感に縁取りされながらも大木さんの表情に安心感が漂っているのは、家族という軸があるからだろうか。自分の大切な部分にしっかりと心を寄せ、無理せず急がずに“ホンモノ”を届けている根底には、フランス語で“家族”という邦訳をもつ「カフェ・ラ・ファミーユ」の心意気が受け継がれているのだろうか。取材を終えて空を見上げると、前日の満月が欠けた様子もなく低い空に大きく輝いている。お腹も心も目に映る月さえも完璧に満たされ、結城の旅を締め括った。

画像: 木漏れ日が差し込む店内のほか、テラス席もあり

木漏れ日が差し込む店内のほか、テラス席もあり

画像: 2020年に現在の場所へと移転。イギリスのアンティークの扉にひと目惚れし、それを基調に店舗をテザイン

2020年に現在の場所へと移転。イギリスのアンティークの扉にひと目惚れし、それを基調に店舗をテザイン

住所:茨城県結城市新福寺4-6-7
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画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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