異分野で活躍するクリエイター、現代美術家のアイ・ウェイウェイと建築家フランク・ゲーリーのふたりが、意外な接点から「アートと建築の関係」まで、あらゆることを語り尽くした

BY JORI FINKEL, PHOTOGRAPH BY JOE LEAVENWORTH, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 現代美術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ・61歳)は2011年、北京市内の空港で中国当局によって身柄を拘束され、旅券とノートパソコンを取り上げられ、アトリエにあるパソコンのハードドライブも没収された。そして正当な理由もなく、そのまま81日ものあいだ拘留された。表向きは「経済犯罪」という容疑だったが、実のところは艾が中国の弾圧的政策を批判し続けることに対する報復であろうという見方が有力だ。艾は、2008年の四川大地震で犠牲になった子どもたちの名前を独自に調べたり、倒壊した校舎の耐震性と手抜き工事を指摘した人権活動家の譚作人(タン・ズオレン)に対する不当な裁判をめぐるドキュメンタリー作品(2009年)を制作したりしていたからだ。

 2015年にようやくパスポートが手もとに戻ると、艾はかつてないほど精力的に旅に出るようになった。ドキュメンタリー作品『ヒューマン・フロー 大地漂流』(2017年)の制作ではアフガニスタンやギリシャなど23カ国を訪れ、世界各地で深刻化する難民危機の実像に迫った。また昨年は、現在拠点を置くベルリンとロサンゼルスのあいだを行き来して、3つの展覧会の準備を進めた。そのうちのひとつは、キュレーターのジェフリー・ダイチの名を冠して9月にロサンゼルスで開館したアートギャラリーのオープニングを飾った。

画像: (写真左から)現代美術家の艾未未、建築家のフランク・ゲーリー

(写真左から)現代美術家の艾未未、建築家のフランク・ゲーリー

 同館を設計したのが、フランク・ゲーリー(89歳)である。おそらく、艾に匹敵する知名度を誇る唯一の建築家だろう。長年ロサンゼルスを拠点とするゲーリーはこの地に主要な作品を残しているが、その最初のひとつが、金網や、亜鉛メッキを施した波状鉄板を用いて1978年にリノベーションした自宅だ。彼の建築は、チタンアルミ合金やステンレススチールに覆われた代表作をはじめとして、どれもふてぶてしさを漂わせているが、同時にその街の個性を際立たせてもいる。スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館が好例だ。空から急降下するような曲線を描くその外壁のフォルムは、近くの港に停泊する帆船とマッチしている。

 ダイチのギャラリーはハリウッドにあり、広さは約1,394m²。映画の照明器具が置かれていた倉庫を、ゲーリーは陽光がふんだんに差し込むギャラリーに造り替えた。そして、この空間が艾の作品で埋め尽くされた。レゴブロックを使った作品群は中国の干支がモチーフだ。圧倒的なスケールを誇るインスタレーション(初展示は2014年)は、中国の骨董商から買い集めた6,000脚もの古い木製の椅子がひとつの塊になっている。傷や凹みが目立つが頑丈な造りの椅子は、こうしてひとつにまとめられると、椅子の愛用者だった中国の大家族を写した集合写真のようでもある。

 建築のスケールでアート作品を創作する一方、艾には建築をデザインした実績もある。2008年北京五輪のメインスタジアムはヘルツォーク&ド・ムーロンと協働したもので、ボウルのような斬新な形状から「鳥の巣」の愛称で知られる。最近では米国大手のエージェンシー、ユナイテッド・タレント・エージェンシーの依頼で、ビバリーヒルズのアートギャラリーも設計した。また、建築が本業のゲーリーも、彫刻や機能的なオブジェを制作した経験をもつ。魚の形をしたランプは、うろこが合成樹脂とメタルで表現された印象的な作品だ。昨年11月、ふたりはダイチのギャラリーで会い、アートと建築、そしてカルチャーの異端児として生きてきたそれぞれの軌跡について語り合った。

 先月、あなたのアトリエにうかがって感動しました。初期の作品から最近のプロジェクトまでのミニチュア模型がずらりと並んでいて、まるでどこかの街を散策しているような気分を味わいましたよ。あなたは、いつも街じゅうを駆け回っている少年のようだ。典型的な建築家とは一線を画している。業界に身を置こうとせず、常にその壁を打ち破ろうとしていますね。

FG 気の合う同業者もいるけど、あまり会う機会はないね。僕はてっきり、君がヘルツォーク&ド・ムーロンに在籍しているんだと思っていたが。

 私はどこかの組織に属したことはありません。でも、彼らとは北京五輪で面白い仕事ができましたよ。

FG 素晴らしいプロジェクトだったし、たしか君とはあそこでも接点があったね。当時、僕のところではフランスの航空業界をリードするダッソー・システムズと一緒に新素材を開発中で、それが完成すれば、コストを抑えつつもっと自由にものづくりができると考えていた。ビルバオの美術館の曲線がまさにそれなんだが。君たちの「鳥の巣」の建設が着工したとき、担当の技術者からうちに問い合わせがあったので、あの奇妙に入り組んだ接合部を作る手伝いをしたよ。

 あなたが過去に手がけた建築の模型を見ると、まるでゴミ箱行きの紙をくしゃくしゃっと丸めたようで、本当に画期的だと思います。従来の建築界では教えないような手法であることを考えると、革命的ですよ。まさにあなたは、フォルムを解放したのです。

FG 私はアートの世界で育ったから、現場であれこれ試しながら創るスタイルを貫きたかった。そこは君と似ていると思うよ。まず素材を選び、どこに置くかを決め、それを使ってものづくりをしていく。創作とはもっとダイレクトなものであり、より人間らしく、体を使って行なうものだと、僕はずっと思っていたんだ。60年代後半から70年代にかけて、ロサンゼルスのアーティストは誰もがそれを実践していたね。たとえばラリー・ベルやビリー・アル・ベングストン、チャールズ・アーノルディ、エド・ルーシャ。みんなとても自由にやっていたし、僕もそれを手本にした。最高だったよ。自由を手にした実感があって、好きなように表現することに罪悪感を抱かなくていい。ただしそれは、建築の依頼主にとっては受け入れ難いものだった。今でこそ、ディベロッパーは僕らの設計に対して付加価値を上乗せした金額を依頼主に請求してくれるようになったけれど。でも君の場合、お金に関してギャラリーとのあいだではいろいろとあるだろうね。

 無理にギャラリーを通さなくてもいいんですよ。ギャラリーを使うのは、契約のことやアートコレクターとのつき合いのようなあれこれを自分で引き受けたくないからで、必須というわけじゃない。建築は最終的にディベロッパーがお金を払わなくちゃいけませんが、アート作品は売らなくていい。詩人も自分の詩を売る必要はないし、誰も詩を買わなくたっていいんです。

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