メトロポリタン美術館コスチューム・インスティテュートの今年度の展覧会が開催中だ。これを見れば、「見せびらかす」「気取った態度をとる」といった意味の「キャンプ」の概念を理解できるとは限らない。だが、その歴史を辿るのは間違いなく面白い

BY VANESSA FRIEDMAN AND ROBERTA SMITH, PHOTOGRAPHS BY DOLLY FAIBYSHEV FOR THE NEW YORK TIMES, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

ファッションについてのファッション

F 展覧会の前半と後半をつなぐ通路に展示された「できそこないの真面目さ」と題されたエリアは、ある意味で、この展覧会のなかでもっとも筋の通っていて、わかりやすい展示だった。でもそれは、“ファッションによってファッションを語らせる”という、すごく限定的な方法で「キャンプ」を捉えようとしていたから。

イヴ・サンローランのやたら大きなピンクのボウがついたコラム・ドレス(実際、あれはバカげている。あんな大きなリボンを、いったい誰がお尻につけたいと思う?)は、それとそっくりな、スコットによるモスキーノの、紙の着せ替え人形の服みたいなトロンプルイユ・ドレスと完璧に調和していた。ヴィクター&ロルフのドレスは、カスティーリョによるランバンの、ライラック色のラッフルをあしらったバッスル・ドレスを文字通り上下逆さまにしたようなものだし。こうしたキャンプ的ではない発想が、まさにキャンプ的なものに変化させられているのがよく理解できる。だけどこのわかりやすさは、展覧会が熱気を失い始めるポイントだと私には思えた。(通路という)物理的な狭さに加え、コンセプトも限定的だったから。それに、ロベルタが指摘するように、ファッションの話に終始してしまっている。

画像: 『キャンプ』展の「できそこないの真面目さ」セクションより (左から) ヴィクター&ロルフの上下逆さまドレス(2006年)、アントニオ・カノバス・デル・カスティーリョによるランバンのナイロンチュールドレス(1956年)

『キャンプ』展の「できそこないの真面目さ」セクションより
(左から)
ヴィクター&ロルフの上下逆さまドレス(2006年)、アントニオ・カノバス・デル・カスティーリョによるランバンのナイロンチュールドレス(1956年)

S ますます多様化していくアートの世界の住人として言わせてもらうと、白人ではないファッションデザイナーがほとんどいないことに驚いた。あと、少なくとも(ドラァグクイーンの)ルポールくらいしか着ないだろう服があったことにも。ファッション界の人間じゃない者として、私が問題だと思ったのは、最後の展示スペースにあった服の大半は実用的ではないこと。キャンプはもともと(既存の価値観に)抵抗し、ひっくり返すためのもの。だけどここでは、雲の上のようなハイ・ファッションの文脈でしか扱われていないように見える。ものすごく高価で、数回着たら、もしくは誰にも着られることなく博物館に収蔵されるような服の話だけに限られているように思える。もっとストリート感のある服もほしかった。ミゲル・アドローヴァーの作品があってもよかったのでは? 彼は、バーバリーのコートからドレスをつくったり、ルイ・ヴィトンの財布でミニスカートをつくったりしている。彼の作品は、ビジネスにおいても創造性の面でも、さまざまな意味で破壊的だった。もう少しおとなしくて、かつキャンプな例としては、スティーブン・スプラウスがルイ・ヴィトンとコラボレーションしたバッグがあってもよかったかも。もしくは、村上隆でもね。

画像: ティファニー社のジュエリーポーチを模したヴァケラの服(中央)と、メアリ・カトランズの「ハリー・ドレス」(左)、「ウィンストン・ドレス」(右)

ティファニー社のジュエリーポーチを模したヴァケラの服(中央)と、メアリ・カトランズの「ハリー・ドレス」(左)、「ウィンストン・ドレス」(右)

画像: (左)マニッシュ・アローラによる遊び心たっぷりの服。2009年 (右)まるでお菓子のよう。トモ・コイズミによる、レインボーカラーのポリエステル・オーガンジーを重ねたドレス

(左)マニッシュ・アローラによる遊び心たっぷりの服。2009年
(右)まるでお菓子のよう。トモ・コイズミによる、レインボーカラーのポリエステル・オーガンジーを重ねたドレス

F ファッション界の人間として言わせてもらうと、その点はそれほど気にならなかった(私もアドローヴァーの作品があってもよかったと思うけれど)。ある種の服は、純粋にアイディアを表現するものとして機能していて、時が経つとそのアイディアは、一般の人が着る服にも浸透していくものだとわかっているから。そして、最後のパートにあったコンセプト重視の服は、裕福さ、やりすぎ、浪費といった概念の具体例として展示されていた。スコットによるモスキーノの札束プリントのドレスにしろ、ビニール袋のドレスにしろ、ロゴを撒き散らしたグッチのウェアにしろ。添えられた引用句(「キャンプはビッグ・ビジネスだ」)以上の意味が読み取れない展示方法のせいで忘れがちだけど、こういった服は価値観をひっくり返すほどのユーモアを持ち合わせていると同時に、現代の消費者のマインドを批評するものでもあり、消費者の欲求に応えると同時に、その欲をさらに増大させる。ただ、(歌手、女優の)シェールや(派手なコスチュームで知られるピアニストの)リベラーチェが着ていそうなクレイジーな洋服に囲まれ、展覧会を観終える頃には、最初の方で見た展示物のことはほとんど忘れているだろうし、「コスチュームとしてのキャンプ」にすっかり打ちのめされてしまうだろうけど。

S ボルトン氏による『川久保玲』展、『中国』展、それに『マヌスxマキナ』展は、彼の手がけたなかで極めて素晴らしい展覧会だった。今日のように、アートとファッションの世界が密接に結びついたのは、彼自身と、彼のキュレーターとしての努力によるところが大きい。毎年、ファッション史に対する自分の考えやリサーチ結果を、これほど集中的かつ批判的な視点で、なおかつ自由なスタイルでみせてくれるキュレーターはそうそういない。この『キャンプ』展は、彼が手がけた展覧会のなかで、もっとも矛盾を抱えたものと言えるかもしれないが、内容は充実している。もし展覧会を観て嫌悪感を覚えたとしても、そのことばかり考え続けることになるのだから。ちょうどわれわれ2人がそうだったようにね。

F ボルトン氏は、大きくてテーマ性のある展示と、もっと小さく、より深く、個人的にデザイナーの仕事に迫るような展示を交互に手がける傾向がある。今回の展示はその両者の中間に位置するものだったように思えた。この展覧会が真に示したことは、キャンプという概念そのものが、とても巨大で、捉えどころのないもので、アイリス&ジェラルド・カントール・ギャラリーでの展覧会のように趣味がよくて満足のいくものにはなりえかったということ。だけど彼のために言っておきたい。各展示室を観終わった後、誰しも展示物ついて考えるのをやめられなくなるし、観たものが心に突き刺さり、頭から離れなくなる。

『キャンプ:ファッションについてのノート』
会期:〜9月8日(日)
会場:メトロポリタン美術館
住所:1000 Fifth Avenue, Manhattan
電話: +1 212-535-7710
公式サイト

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