MoMAやメトロポリタン美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館など名だたるミュージアムに収蔵されている、須藤玲子のテキスタイル。その生地ができるまでの秘密をつまびらかにする展覧会が香港で開かれている

BY MASANOBU MATSUMOTO

“NUNO”という言葉がインターナショナルワードになるように。そして、ここから生まれるテキスタイルが世界に通用するように――。テキスタイルメーカー「NUNO」のディレクター須藤玲子は、そのストレートなブランド名の由来について、こう話す。

画像: 香港のCHATで開催中の『須藤玲子の仕事-NUNOのテキスタイルができるまで』の展示風景から。NUNOの代表作のひとつ「紙巻き」。基盤になる「基布」に柄状に配置したテープをステッチで固定。その後、基布を溶かすことで、レース状の布地をつくる © CHAT, HONG KONG

香港のCHATで開催中の『須藤玲子の仕事-NUNOのテキスタイルができるまで』の展示風景から。NUNOの代表作のひとつ「紙巻き」。基盤になる「基布」に柄状に配置したテープをステッチで固定。その後、基布を溶かすことで、レース状の布地をつくる
© CHAT, HONG KONG

 現在、須藤が率いるNUNOは、日本各地の染織産地の工場や職人と協業し、新しい素材や技術を使った画期的な布を世に送り出している。19世紀のケミカルレースの技法を応用した「紙巻き」。さまざまな形のフェルト生地を、接着剤は一切使わず、針のパンチングだけでつなぎ合わせた「糸乱れ筋」。タイヤメーカーが開発したマイクロファイバーや抗菌性のある銅線、また和紙を活用したり、残布やシルクの製糸工場で出る廃棄物をアップサイクルした生地も開発する。伝統工芸の再現や量販が目的ではない。あくまで関心を寄せるのは「布の可能性」だ。

 こうしたテキスタイルの多くは、いまではMoMA(ニューヨーク近代美術館)など世界的なミュージアムにも収蔵され、また、六本木にある直営店には、 “NUNO”を求めて海外からも人々が訪れる。「ブランド名に込められた思いの通りですね」と言うと、須藤はにっこりと笑みながら、自身のターニングポイントについて、話をしてくれた。

画像: 須藤玲子(REIKO SUDO) テキスタイルデザイナー。1953年茨城県石岡市生まれ。1984年、テキスタイルメーカー「NUNO」の設立に加わる。2005年に英国UCA芸術大学から名誉修士号を授与。ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、東京国立近代美術館工芸館などに作品が所蔵されている。東京造形大学名誉教授、金沢美術工芸大学、セントラル・セント・マーチンズ客員教授 PHOTOGRAPH BY TAMURA KOSUKE

須藤玲子(REIKO SUDO)
テキスタイルデザイナー。1953年茨城県石岡市生まれ。1984年、テキスタイルメーカー「NUNO」の設立に加わる。2005年に英国UCA芸術大学から名誉修士号を授与。ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、東京国立近代美術館工芸館などに作品が所蔵されている。東京造形大学名誉教授、金沢美術工芸大学、セントラル・セント・マーチンズ客員教授
PHOTOGRAPH BY TAMURA KOSUKE

 じつのところ、NUNOを創設したのは、須藤ではなく、伝説のテキスタイルプランナー、新井淳一である。新井は、70年代から80年代にかけて、ハナエ モリ、イッセイ ミヤケやコム デ ギャルソンなどのファッションブランドの服地を制作した人物。日本のデザイナーがパリコレクションを賑わすと、新井自身にも注目が集まり、海外のジャーナリストが、新井の創作拠点であった群馬県桐生に続々と訪れた。その一方、新井は、ファッションデザイナーのためにテキスタイルをつくるだけではなく、生地そのものを直接人々に届けたいと思うようになる。そして、ギャラリーの展覧会で偶然出会った須藤を誘い、1984年、アトリエを兼ねたショップ「NUNO」を立ち上げた。

「もともと私は手織りの作家で、企業のカラープランナーのような仕事もしていました。ちょうど新しいことにチャレンジしたいという思いもあったので、お手伝いしようと。ただ、設立から3年後、87年に新井さんが作家活動に専念したいとNUNOから抜けてしまうのですね。その後を、私と数人のメンバーが引き継ぐわけですが、新井さんのようなスーパースターはいない。では、どう布づくりを続けていくか。私が決めたのは、工場や職人と協業し、チームワークでものづくりを進めること。そして、新井さんの拠点だった桐生だけにこだわらず、まず日本各地の染織産地を訪ねることからリスタートしました」

 この須藤の新しい挑戦を、偶然にも、別の出会いが後押しする。MoMAのキュレーターが突然NUNOのショップを訪ねてきたのだ。「聞けば、日本のテキスタイルに関する展覧会をやりたいからリサーチを手伝ってしてほしい、と。ちょうど私たちも各地の染織工場や職人さんを訪ね始めたところだったので、一緒に、より多くの産地を回ることにしたのです」

 MoMAのキュレーターのリサーチは、それから約10年後、『Structure and Surface:Conteporary Japanese Textile』展(1998年〜1999年)に結実。日本の染織作家やメーカーの約100作品を紹介するそのエキシビションには、須藤の作品も並んだ。

画像: (写真左)MoMAで開かれた『Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles』展の展示風景 PHOTOGRAPH BY THOMAS GRIESEL. INV. N.: IN1820.9B, DIGITAL IMAGE, THE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK/SCALA, FLORENCE (写真右)『布・技と術』展で須藤が作った“布の茶室” PHOTOGRAPH BY TAKAO INOUE

(写真左)MoMAで開かれた『Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles』展の展示風景
PHOTOGRAPH BY THOMAS GRIESEL. INV. N.: IN1820.9B, DIGITAL IMAGE, THE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK/SCALA, FLORENCE
(写真右)『布・技と術』展で須藤が作った“布の茶室”
PHOTOGRAPH BY TAKAO INOUE

 その後2001年、須藤は、京都で『布・技(わざ)と術(わざ)』展を開催。布と映像を組み合わせたインスタレーション作品や、“布の茶室”を披露した。もともと伊東豊雄などの建築家によって、彼女のテキスタイルは建築素材としても使われていたが、須藤自身、改めて布が持つ空間力に気が付いた展覧会だったと振り返る。

「特に日本の住空間のなかで、テキスタイルはあまり目立たない存在。ただ、日本の伝統的な行事では幕が張られますよね。昔は、花見のときも、紅白幕が飾られました。ハレの日に布は特別な存在になる。そういった、日本のなかにある布の使われ方、布の力をもっと紹介できないかと思うようにもなりました」。こうした布をめぐる思考は、2008年にワシントンDCのジョン・F・ケネディ・センターで披露した《こいのぼり》作品(2018年、『こいのぼりなう!』展として日本にも巡回)など、またテキスタイルの新しい表現につながった。

 

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