BY MASANOBU MATSUMOTO
『ピーター・ドイグ展』|東京国立近代美術館
“画家の中の画家”ーー。現代美術家ピーター・ドイグは、たびたびそう呼ばれてきた。東京国立近代美術館で始まった彼の日本初個展は、そのような異名を持つドイグの画家の仕事、ひいては絵画を見るという体験の新鮮さを伝えるものだ。

《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》
2000-02年、油彩・キャンバス、シカゴ美術館蔵
© PETER DOIG. THE ART INSTITUTE OF CHICAGO, GIFT OF NANCY LAUTER MCDOUGAL AND ALFRED L. MCDOUGAL, 2003. 433. ALL RIGHTS RESERVED, DACS & JASPAR 2020 C3120
ドイグは、1959年、スコットランドのエジンバエラ生まれ。幼少期に父親の仕事の都合で、カリブ海の島国トリニダード・ドバゴに移住し、その後19歳までカナダで育った。1979年、本格的にファインアートを学ぶため、ロンドンのセント・マーティンズ・スクール・オブ・アートに入学。そのときの同級生にはファッションデザイナーのジョン・ガリアーノや映像作家のアイザック・ジュリエンなどがいた。
彼が注目を集めたのは1990年代前半。ダミアン・ハーストに代表される「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)」世代が台頭したころで、ビデオや彫刻を使った大型インスタレーション作品が、センセーショナルにもてはやされた時代である。言い換えれば、伝統的な絵画が“終わったメディア”と言われた時代ーーそんななかで、実直なまでに絵画と向かい合い、制作を続けたのがドイグだった。そして、リュック・タイマンスやエリザベス・ペイトンといった画家とともに、彼は「新しい具象絵画(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)」の旗手として名を広めた。ちなみに、このころに描かれた《のまれる》(1990年)は、2015年にクリスティーズ・オークションで、約2600万ドル(当時のレートで約30億円)の値段で落札され、話題になった。

《のまれる》 1990年、油彩・キャンバス、ヤゲオ財団コレクション、台湾蔵
© PETER DOIG. YAGEO FOUNDATION COLLECTION, TAIWAN. ALL RIGHTS RESERVED, DACS & JASPAR 2020 C3120

《スキージャケット》 1994年、油彩・キャンバス、テート蔵
©PETER DOIG. TATE. PURCHASED WITH ASSISTANCE FROM EVELYN, LADY DOWNSHIRE'S TRUST FUND 1995. ALL RIGHTS RESERVED, DACS & JASPAR 2020 C3120
ドイクの画家としての特徴は、目の前にあるもの、目に見えるものをそのまま描くのではなく、写真や映画のワンシーン、ポストカードなど既視感のあるイメージを組み込ませながら、新しい風景を作り上げていることだ。
モチーフの多くは、彼が居住してきたトリニダード・ドバゴやカナダの生活風景や記憶にインスピレーションを受けたものだが、ロンドンで見つけた南インドのポストカードや映画「13日の金曜日」のシーンの断片を入り混ぜた作品もある。本展会場にも飾られている《スキージャケット》も日本のスキー場の広告を参照したもの、《ラペイルーズの壁》は小津安二郎の『東京物語』に感じられる静寂さを念頭に起きながら描いた心象風景だという。

《ラペイルーズの壁》2004年、油彩・キャンバス、ニューヨーク近代美術館蔵
© PETER DOIG. MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK. GIFT OF ANNA MARIE AND ROBERT F. SHAPIRO IN HONOR OF KYNASTON MCSHINE, 2004. ALL RIGHTS RESERVED, DACS & JASPAR 2020 C3120
また、ドイクは、作品のなかにさまざまな美術史的な要素を意識的に取り入れる。たとえば、ゴッホやムンク、ミレーなどの作品に見られる構図やモチーフをオマージュ的に参照し、19世紀末の「ナビ派」の画家のように、色彩の境界線をなくし、形を色に還元させるような画法をとる。こうした彼の作品は、絵画の楽しさ、視覚表現の複雑さを伝えるとともに、どこか多文化主義的な現代における、ひとつ芸術のあり方を示唆しているようにも読み取れる。