時代を超えたもの。独自の表現であること。そして、常に革命的であること。石岡瑛子はそれを自分に課して、闘い、美を創造し、勝利した。それぞれの角度から彼女を見た3人が語る

BY YOSHIO SUZUKI, EDITED BY JUN ISHIDA

「石岡瑛子」、あるいは「EIKO」の名を聞くと少しだけ空気が引き締まる。怖れだけではない。彼女への憧憬がある。もう会えない無念もある。
 石岡の仕事を総覧する展覧会『石岡瑛子血が、汗が、涙がデザインできるか』が東京都現代美術館で2021年2月14日まで開催中だ。

 憧憬。歴史に残る表現者たちと、次々とコラボレーションをした。レニ・リーフェンシュタール、フランシス・フォード・コッポラ、マイルス・デイヴィス、アーヴィング・ペン、ビョーク、ターセム・シン……。その成果として、グラミー賞、アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。
 無念。大きな仕事をいくつも成し遂げ、活動領域を広げ、さらなる期待を背負いながらも、この世界から足早に去っていってしまった。

画像: 石岡瑛子(EIKO ISHOKA) 1938年、東京都生まれ。アートディレクター、デザイナー。東京藝術大学美術学部卒業。資生堂時代に手がけた前田美波里を起用したサマー・キャンペーン(1966年)は社会現象となった。独立後もパルコ、角川書店などの歴史的な広告を多数手がけ、食品パッケージから、2008年北京オリンピック開会式の衣装までデザインした。1980年代初頭に拠点をニューヨークに移し、映画、オペラ、音楽など多領域で活躍。マイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット・デザインでグラミー賞受賞、映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞衣装デザイン賞受賞。2012年逝去 石岡瑛子 1983年 PHOTOGRAPH BY ROBERT MAPPLETHORPE © ROBERT MAPPLETHORPE FOUNDATION. USED BY PERMISSION.

石岡瑛子(EIKO ISHOKA)
1938年、東京都生まれ。アートディレクター、デザイナー。東京藝術大学美術学部卒業。資生堂時代に手がけた前田美波里を起用したサマー・キャンペーン(1966年)は社会現象となった。独立後もパルコ、角川書店などの歴史的な広告を多数手がけ、食品パッケージから、2008年北京オリンピック開会式の衣装までデザインした。1980年代初頭に拠点をニューヨークに移し、映画、オペラ、音楽など多領域で活躍。マイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット・デザインでグラミー賞受賞、映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞衣装デザイン賞受賞。2012年逝去

石岡瑛子 1983年 PHOTOGRAPH BY ROBERT MAPPLETHORPE © ROBERT MAPPLETHORPE FOUNDATION. USED BY PERMISSION.

 コピーライターの小池一子は石岡と同年代で、若い頃からの友人であり、仕事仲間でもあった。
「1965年に日本宣伝美術会のグランプリを獲った作品を見て、どうしても会いたくなって会いに行ったんです。砂目スクリーンを使った作品でした。どんな人がこういうものを作るんだろうって。藝大の友達に紹介してもらって。すぐに意気投合して、よく会うようになりました。遅くまで仕事している彼女の銀座の仕事場に寄って話したり」

 ふたりで組んだ仕事にはどんなものが?
「人権を尊重し、反戦を謳う《POWER NOW》っていうポスターを作りました。横須賀功光(のりあき)さんの写真で。そのあと、当時パルコの重役だった増田通二さんに広告の相談をされて、石岡さんを紹介しました。増田さんは石岡さんをすぐ理解してくれました」

画像: ポスター《POWER NOW》アーティスト/石岡瑛子、撮影/横須賀功光、コピーライター/小池一子 『反戦と解放』と題した展覧会のために制作されたポスター。「怒りの象徴ともいうべき握り拳、実は人間の肉体である。(略)きわめて個人的な主張を視覚化したポスターである」と石岡は語った アーティスト:石岡瑛子、撮影:横須賀功光、コピーライター:小池一子、提供:公益財団法人DNP文化振興財団

ポスター《POWER NOW》アーティスト/石岡瑛子、撮影/横須賀功光、コピーライター/小池一子
『反戦と解放』と題した展覧会のために制作されたポスター。「怒りの象徴ともいうべき握り拳、実は人間の肉体である。(略)きわめて個人的な主張を視覚化したポスターである」と石岡は語った

アーティスト:石岡瑛子、撮影:横須賀功光、コピーライター:小池一子、提供:公益財団法人DNP文化振興財団

 池袋のパルコの仕事をし、渋谷のパルコを作る際には、広告表現はすべて石岡に託された。『石岡瑛子風姿花伝』(求龍堂/1983年)にはこうある。
「フリーランスになったら広告を離れようとしていた私の気持ちを再びその現場に引きもどし、燃焼せざるをえない破目に陥れたのもパルコである」

画像: 石岡瑛子パッケージ「maxim」(味の素ゼネラルフーヅ、1989年)アートディレクション、デザイン(倉俣史朗と共同) 提供:公益財団法人DNP文化振興財団

石岡瑛子パッケージ「maxim」(味の素ゼネラルフーヅ、1989年)アートディレクション、デザイン(倉俣史朗と共同)
提供:公益財団法人DNP文化振興財団

 石岡と小池はともに旅もした。スケジュールを合わせてスイスで落ち合ったことも。
「私はロンドンから、彼女はニューヨークなんかを回ってきて。長旅でした。彼女は4カ月以上ずっと回ってたんじゃないかな。1967年のことですね」
 このときの旅について、石岡も著作『私デザイン』(講談社/2005年)に書いている。
「1967年の暮れ、6カ月のアメリカ・ヨーロッパ旅行を終えてロンドンから東京に…」

 この帰国後まもなく、石岡は日米の合弁で設立されたばかりのCBS・ソニー(当時)から仕事の依頼を受けた。迷いなく引き受けた。この縁がのちに、グラミー賞を受賞したマイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット・デザインの仕事につながる。

 石岡はニューヨークを拠点にし、小池は美術館の仕事をしたり、大学教授となる。「彼女が舞台美術と衣装デザインを手がけた『M.バタフライ』をブロードウェイでやるといえば、私も時間をとって出かけ、オペラの衣装を担当した『ニーベルングの指輪』のときは一週間アムステルダムに滞在して、ほとんど毎日会って、いろいろな話をしました」

画像: 石岡瑛子 アルバム・パッケージ『TUTU』(マイルス・デイヴィス作、1986年)アートディレクション © THE IRVING PENN FOUNDATION

石岡瑛子 アルバム・パッケージ『TUTU』(マイルス・デイヴィス作、1986年)アートディレクション
© THE IRVING PENN FOUNDATION

 マイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット。それが目に焼きついて離れないと語るのはデザイナーの佐藤 卓だ。
「2003年に名古屋でグラフィックデザイン会議があり、シンポジウムを企画しました。すでに数々の立派な仕事を成し遂げていた石岡さんをその会議がお呼びしたんですね。一方、私はシンセサイザーの発明者、ロバート・モーグ博士をお招きして、博士と私の仲間2人との4人で登壇したのですが、そのとき、ふと客席に目を落としたら最前列に石岡さんが座っていました。あ、石岡さんだと思った瞬間、話が聞こえなくなりました。シンポジウムが終わって観客にもまれ、石岡さんを見失って、お声がけもできなかったこと、今でも後悔しています」

画像: コンテンポラリー・サーカス『ヴァレカイ』(シルク・ドゥ・ソレイユ、2002年)衣装デザイン DIRECTOR: DOMINIC CHAMPAGNE / DIRECTOR OF CREATION: ANDREW WATSON / SET DESIGNER: STÉPHANE ROY / COURTESY OF CIRQUE DU SOLEIL

コンテンポラリー・サーカス『ヴァレカイ』(シルク・ドゥ・ソレイユ、2002年)衣装デザイン
DIRECTOR: DOMINIC CHAMPAGNE / DIRECTOR OF CREATION: ANDREW WATSON / SET DESIGNER: STÉPHANE ROY / COURTESY OF CIRQUE DU SOLEIL

 石岡さんの存在とは?
「巨匠たちと仕事をし、積極的に彼らの中にどんどん入り込んでいくような動物的なイメージをもたれるけれども、実際はそうではなくて、すごく植物的なのではないかと思います。石岡さんのセクシーともいえるあの存在に魅力を感じて、一緒に仕事がしたくて人が集まる。圧倒的な才能は、まわりが放っておかないんです」

 佐藤は、「21_21DESIGNSIGHT」の館長も務めている。「4年くらい前、石岡さんの妹の怜子(りょうこ)さんが、瑛子さんの仕事をまとめたいと考えられ、相談を受けました。私が瑛子さんについて詳しいとか、親交があったということではなくて、デザインに関するさまざまな展覧会を開催している経験者なので」

 

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