BY MEGAN O’GRADY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
多分、誰もがバーバラ・クルーガーの作品と人生のどこかの時点で出会っているはずだ。たとえば1980年代後半に、美術館のギフトショップで買った彼女の作品のポストカードを大学の寮の部屋の壁に貼っていた人もいるだろう。そのカードの下にはカセットテープが山と積まれていたかもしれない。カードには「あなたはあなた自身ではない」という言葉が書かれている。そして、弾丸か拳によって割られた鏡に、女性の顔がズタズタに引き裂かれた形で映っている画像がそこにある。クールであることの代名詞のような彼女の作品のメッセージは、長年、色褪せることはなかった。その後、何十年かして、新聞の論説ページに印刷された彼女のフレーズを切り抜いた人もいるかもしれない。「それが欲しい。それを買う。それを忘れる」というメッセージは、自分は資本主義マシンの歯車のひとつになってしまったのではないかという疑問を薄々抱き始めた人に刺さったことだろう。
ニューヨークの住民の多くは、彼女が2017年にデザインした地下鉄の乗車カードを使ったことがあるはずだ。そのカードには「癒やされるのは誰か?家があるのは誰か? 沈黙しているのは誰か? 話しているのは誰か?」という質問が印刷されている。私たちは、Q番電車に乗ってマンハッタンに行くときに、乗車カードを使う。そしてそのたびに、そこに印刷された質問を見て、少しドキッとする。クルーガーが演奏ステージ上の垂れ幕をデザインしたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの1996年の「悪の帝国」ツアーのコンサートを観に行った人もいるかもしれない。または、私の友人のベンのように、彼女がデザインしたTシャツを高校時代に持っていた人もいるだろう。それは専業主婦らしき女性が虫眼鏡を手にしており、その女性の目がレンズの裏で漫画のように大きく拡大されたヴィンテージ写真がプリントされているTシャツだ。「世界は狭いが、掃除をしなければならない者にとっては狭くはない」と書かれている。「バーバラは正しかった」とベンは私に言った。「僕は一度も掃除をせずにすんでいた」
そう、バーバラは常に正しかった(実際にそう表現したTシャツもある。コメディアンのハサン・ミンハジが「バーバラ・クルーガーは正しかった」という言葉を印刷した限定版Tシャツを2018年に作った。それは、ストリートウェアブランドのシュプリームがバーバラのブランド・イメージを勝手に盗用したのを嘲笑するためだった)。1980年代にはクルーガーは雑誌や教科書から切り抜いた写真にコントラストの効いた短い宣言文を貼り付けて有名になった。1981年の彼女の作品《無題(あなたの心地よさは私の沈黙)》では、フェルト帽を被った匿名の男性が指を唇にあてて黙れと警告している。また1986年の作品《無題(ヒーローはひとりだけでいい)》では、ノーマン・ロックウェル風のイラストに描かれた若い女の子が、小さな男の子の上腕二頭筋を指さして何かをつぶやいている。どこかで使われていた白黒の写真の上に、文字が字幕のように載せられている。文字の書体は、今では彼女を象徴するものとなったサンセリフ体で、文字の色は白だ(サンセリフの中でも、だいたいいつもフーツラの斜体の太字が使用されている)。赤地のボックスに書かれた言葉は、女性嫌悪や消費主義や、私たちと権威と欲望の関係など、長い間、人々がずっと内面に隠してきたものを表現しているように見える。『マッド・メン』(註:60年代の広告代理店を舞台にしたテレビドラマ)の登場人物のドン・ドレーパーの解釈によるアメリカ精神病理学を、詩人のエミリー・ディッキンソンのパンチの効いた鋭い言葉で表現したような感じを想像してほしい。そんなさまざまな概念は、それを実際に感じている瞬間ではなく、あとから思い返して、ああそうだったのかと気づくものだ。
クルーガーの作品はほとんどいつも単刀直入に観る者に語りかけ、あっという間に受け入れられる。支配の構造に断固として抵抗するクルーガーの挑発の姿勢は、コーヒーカップや市営バスの表面に印刷されて形になる。ローワー・イーストサイドのスケートボード用の公園の壁や、フランクフルトのデパートの壁いっぱいに彼女の作品が描かれており、これまで美術館やギャラリーに一度も足を踏み入れたことがない人でも、彼女のメディアやメッセージや場所にアクセスすることができるのだ。彼女は今、美術関係の多くの非営利団体のためにマスクのデザインをしている。さらにこの4月には、新聞の論説ページにジャーナリスティックな社会批評のアート作品を載せている(《無題(死体は消費者ではない)》という作品が最近、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された)。
近年、クルーガーは、写真は使わずに言葉の意味だけで大きなインパクトを与えるような作品を作っている。たとえば《無題(欲深い嫌なやつ)》では、作品の表題と同じ言葉を巨大な白い文字で黒いパネルに印刷し、2012年のアート・バーゼル・マイアミ・ビーチ・フェアの会場を訪れた観客にそのメッセージをつきつけた。そんなふうに、あるメッセージが意識の中に植えつけられ、そこから次第に根が生えて花が咲くと、メッセージの受け手である私たちは自分が今、どんな立場にあるのかを考えさせられる。自分自身が嫌なやつなのか、それとも、現状を傍観する構成員のひとりにすぎないのか。または冗談として笑えるだけの知性がありながらも、心地よさゆえに現状を変えることは何もせず、ただ自己満足に浸っているのか?
私は、彼女の作品が存在しなかった世界をもう思い出せないのだが、クルーガーの恐らく最も有名なイメージであり、最初にいつも思い浮かぶのが《無題(あなたの身体は戦場だ)》という作品だ。偏光加工され、画像の縦半分がポジで残りがネガという、女性の顔の写真だ。クルーガーが最初にこの作品を手がけたのは1989年で、ワシントンで開催されるウィメンズ・マーチ(註:女性が人工中絶する権利を合法として守るためのマーチ)を宣伝するための街頭ポスターとして制作した。当時、ロー対ウェイド事件の最高裁判決を弱体化させるような、中絶反対派に有利な法規制をめぐり、中絶反対派と賛成派がぶつかり合っていた。彼女は、当時自らが教鞭を執っていたホイットニー美術館のインディペンデント・スタディ・プログラムの学生たちの力を借りて、夜中にニューヨーク中にこのポスターを貼って回った。1990年には、オハイオ州立大学のウェクスナー芸術センターが同じ作品をビルボードサイズ(註:屋外の広告看板の大きさ)で彼女に作ってほしいと発注した。すると作品が設置された12時間後には、中絶反対派のグループがすぐ隣のビルボードを受胎後8週目の胎児の写真で埋め尽くした。
さらに、今となってはどこでこの作品を最初に見たのか覚えていないが、実物を間近に見たのは、ロサンゼルスのブロード美術館でだった。ビニールの上にシルクスクリーンを貼った高さ約2.7mの作品が展示室を圧倒するように飾られていた。だが、それよりずっと以前に、私はこの作品をすでに知っていた。この作品を実際に目の前にするとまるで、トワイライト・ゾーンに滑り落ちていくようなぞわっとする感覚があった。それは2015年で、そのとき、私は娘を妊娠中だったが、ひょっとしたらそれは1989年であったかもしれないのだ。1989年当時、クルーガーの作品はポスト・レーガン時代における左派からの揺り戻し、つまり、船底の重しのような存在でもあった。
クルーガー本人がよく言うのは、自分の作品は、意見を表現するひとつの方法だということだ。だがそれだけでは、彼女の率直な主張が内包する親密さとパワーを伝えることは到底できない。彼女の言葉は、1990年代の初めに10代だった私が、芯の強い友人から何度かもらった手紙のようなものだ(「ああ、あなたがいてくれて助かった」と言いたくなるような存在なのだ)。その声は、いつしか、それまで私の成長過程において支配的な地位を占めていた父やニュースキャスター、聖職者や政治家たちの声に取って代わるようになった。そしてその声を理解するためにフーコーの著書を読んだり、美術学校に行く必要はなかったのだ。
ブロード美術館での邂逅体験から1年後、女性嫌悪を誇る人間が大統領に選ばれた。クルーガーはそのタイミングで、ニューヨーク・マガジンの表紙を飾る作品を担当した。グロテスクなまでにクローズアップされたトランプの顔写真の上に「敗者」という文字を貼りつけた抵抗の作品だ。その2年後、性暴力を告発されたもうひとりの男性が、米国最高裁判事として任命された。権威主義的な男同士の馴れ合い政治の新時代に突入したのだった。私の身体も、そして私の娘の身体も、依然として戦場だ。私たちが生まれたこの国では、避妊の手段は、いまだに、国民が受けられる最低限の医療の範疇(はんちゅう)だと認定されていない。人工中絶手術へのアクセスは30年前よりもさらに制限されつつある。
今年はいったい何年だ? どうやら2020年のようだが、すべての時計の針が逆回転しているようだ。ここ半年の間に、公衆衛生の危機、失業危機、さらにずっと前に解決しているべきだった人種差別を巡る議論が起きた。私たちは、中絶の権利が揺さぶられた1989年だけでなく、スペイン風邪が猛威を振るった1918年、大恐慌の1929年、そしてキング牧師が暗殺され、暴動が全米で起きた1968年を再び生きているかのようだ。銅像が各地で倒され、さまざまな組織がリアルタイムで再構築されていく。どんなアートもすべて抵抗の行動だという議論があるが、アート作品を作ること自体が、どうしようもなく政治的な行為なのだ。だがブラック・ライブズ・マターの活動家たちが平和的に行進して反人種差別のデモをしているときに、大統領が自らのPR写真の撮影をするために、彼らを催涙ガスで追い払うのを見ると、私たちが、近年の歴史の中でも最も政治化された時代に生きていることは明らかだろう。
優れたアート作品は、どれも本質的に政治的な題材を扱ってきた。ベトナム戦争への反対運動を描いた1960年代後半のピーター・サウルの絵画や、リチャード・ニクソンを痛烈に批判したフィリップ・ガストンのイラスト画『Poor Richard(かわいそうなリチャード)』などは、当時、この国に漂っていた空気感を表現したものだ。だがそんな中でもクルーガーの作品は彼女の手法を頑なに守りつつ、常に新鮮であり続けた。それが可能だったのは、権力を握っている腐敗した支配者たちに恩恵を与え、彼らを守るような政治システムが存在する限り、私たちは、過去の不正を繰り返す運命にあるのだと彼女が常に理解していたからだ。
私たちの新しい抵抗の時代にクルーガーが再び脚光を浴びるのは自然なことのようだ。この6月、彼女が数カ月前にロサンゼルスで制作した巨大な作品が、抵抗運動の舞台の垂れ幕としての役割を果たした。それは、ミネアポリスの白人警官の膝の下で殺された黒人男性ジョージ・フロイドの悲惨な死を受けて発生した抗議活動だった。サンセット大通りにあるクルーガーの「誰が犯罪者を信じるのか?」という言葉が刻まれた壁の前で、夜間外出禁止令を拒否した抵抗者たちが列をなして手錠をかけられる様子がCNNの番組で放映された。過去20年間で、クルーガーのアート制作の技術は進化した。たとえば、ギャラリーの展示室を文字が書かれた壁紙でそっくり包み込み、3Dのバーチャル・リアリティ技術を駆使した展示もあれば、複雑な構造の複数のチャンネルから流れるビデオ・インスタレーションの中を観客が歩き回って見る展示もある。
だが、彼女の主張をダイレクトに打ち出す技法と主題は一貫してずっと変わっていない。もしクルーガーの作品に疑問をはさむ批評家がいるとしたら、彼らは、クルーガーがアイデンティティや文化的権威などの題材を表現するのに傾倒しすぎたあまり、いつしか最新の社会問題に疎くなり、2000年代初頭までには彼女の作品はすでにインパクトを失いつつあった、と言うかもしれない。だが、そんな考えは全くあてはまらない。クルーガーの作品は今も時代性を失っていないどころか、彼女が扱ってきた題材は、今の時代にこそ不可欠な、重要で新鮮な社会的トピックだからだ。彼女のアートの摩訶不思議な息の長さに触れると、権力と富の中に存在する亀裂の大きさに驚愕させられる。そして、その亀裂はさらに深く大きくなっているように見える。
私たちの国、アメリカで繰り広げられている実験を通して、歴史はある意味、永遠に繰り返すのだということをいやでも考えさせられている。彼女は、過去のそれぞれの作品を見直し、新たに手を入れており、今度は《無題(あなたの身体は戦場だ)》をLEDスクリーンにアニメーションの形で映し出す企画に取り組んでいる。クルーガーは、芸術家の作品群を時代ごとに分ける分類法や、時系列でまとめられた美術館での回顧展の形に反論を述べる。彼女の作品は、私たちが存在するうえで一貫して変わらない何かへの答えであり、それは時空を超えるものだからなのかもしれない。
《無題(問い)》という、ニューヨークのメアリー・ブーン・ギャラリーの外壁を覆った1991年の作品を例にとってみよう。当時は湾岸戦争の最中だった。この作品は、星条旗に似た巨大な旗の形をしており、彼女の作品の中で最も広く知られているもののひとつだ。「誇りが侮辱になる瞬間を探せ」という言葉が、本来の国旗では星が並んでいる青地の部分に、白文字で書かれている。旗の縞模様の赤地の部分には白文字で「自由に選択できるのは誰か?」「法律に縛られないのは誰か?」「誰が癒やされるのか?」と描かれている。
クルーガーは1990年に最初にこの作品をロサンゼルス現代美術館で発表した。現在ではゲフィン・コンテンポラリー・アットMOCAとなっている建物の南側の壁に、3階建ての高さの壁画として描いた。さらに、この作品の前で1992年に起きたロサンゼルス暴動を捉えた写真のうちの最も有名な一枚が撮影された。この壁画の前を銃を持った3人の州兵たちが歩いている様子をフォトジャーナリストのゲイリー・レナードが写したショットだ。2018年の中間選挙のタイミングで、クルーガーは同じ作品を今度は同じ建物の北側の外壁に描いた。この作品は今でも同じ場所にあり、影響力を保ち続けている。
紙を切り抜いて糊で貼りつけるというアナログなグラフィック・デザイン出身のコンセプチュアル・アーティストが、このデジタル時代に、どうして華やかに活躍していられるのか? それはつまり、1990年代からすべてが変わったように見えて、実際は何も変わっていなかったからではないか? ある種の言葉の塊が、文化の培養物の中に自然に広がっていくような過程を楽しむ人間にとっては、クルーガーはいつも気になる存在だった。無駄が一切ない、的確な彼女の語彙の選択は、テレビニュースの画面に流れる速報のテロップと、280文字のツイートが混在する今の時代を先取りしていた。
今日、私たちは物語を語るよりも、強い見出しと誹謗中傷の電子メールをやりとりすることでコミュニケーションをとっている。登場人物の心の軌跡よりもインスタグラムのキャプションが大事なのだ。一枚の画像がネットに出回るや否や──たとえばそれはイヴァンカ(・トランプ)が手にGOYAブランドの豆の缶詰を持ってポーズをとっている写真だったり、中西部に住む夫婦が、自宅の玄関先の芝生の庭に立ち、手にした銃を人権デモ行進をしている人々に向けている姿の写真だったり──それらの画像はすぐに別の意味づけがなされ、ほとんどの場合、本来もっていた意味を失ってしまう。
クルーガーは、インターネットがまだこの世に存在していなかった時代に、多くの人が注目するミームを作っていた。それは個々のメッセージの発信を通じて文化の潮流を作るような行為だ。視覚による攻撃を武器に、社会を支配している構造を暴き出して解体した。彼女の言葉は、キャッチフレーズになるべくしてなった。なかでも最も有名なのは、クルーガーの「買い物をする、ゆえに我あり」というデカルトの言葉をもじった1987年のフレーズだろう。また、「複雑な風習」という言葉も一時、ゲイカルチャー関連の言葉としてタンブラー上で人気を博した。この言葉は、彼女の1980年の作品《無題(ほかの男性の肌に触れることが許される複雑な風習を作り上げる)》からきている。
巷(ちまた)で使われている言葉を壊すことによって、クルーガー自身がスラングの一部になった。さらにブランドを構成する視覚言語を乗っ取ることで、意図せずして、彼女がブランドになった。その手法は、スマートフォンで武装したデジタル世代の人間によって踏襲(とうしゅう)されていく。つまり我々は、やっと彼女のスピードに追いついたわけだ。「私の集中力はすぐ切れてしまう」と彼女は言う。だが、彼女の批判精神は短期間で廃れてしまうようなものでは決してない。
長年の間、彼女の主張と美意識はずっと一貫している。倫理観が根底にあり、どこでも誰でもアクセスでき、本質を突く彼女の言葉は、はい、いいえでは回答できない差し迫った質問へとさらに様変わりしていった。私がこの春彼女にインタビューしたとき、彼女の初期の作品がいかに今の時代を予言していたかを伝えると、彼女は異議を唱えた。「私は、私たちがお互いにとって、どんな存在なのか、ということを作品にしようと試みている」と彼女は私に言った。「ここ数世紀の間に起きた歴史的状況や事件を考えれば、侮辱と称賛が同時に存在したし、さらに侵略や人類への拷問や虐待もあった。また同時に、私たちは素晴らしい愛情や愛着や寛大さも経験した。つまり、ありとあらゆることが起きていた」
クルーガーについて書くとき、報道記事によくある定型のプロフィール紹介文は、まったく意味をなさない。私たちは通常、有名なアーティストには、彼らが提示した問いへの答えを彼ら自身が見つけてくれることを期待し、公のための知性でいてほしいと望むが、彼女にこの方程式はあてはまらない。私たちは現状に対抗できる主張を期待し、それが商業主義や政治にまみれていないことを願う。だが、実際はアートというものは常に権力と金とは切っても切り離せない。「市場と関係なく存在するものなどこの世にひとつもない。ひとつも」とクルーガーは私に言う。アートが私たち自身を明るく照らすための投資だとされている一方で、華々しい業績を挙げたアーティストが、商業主義に浸っていないふりをしながら、その不義によってアートの真の価値を簡単に貶(おとし)めてしまう。
クルーガーは2006年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教えており、さまざまなアート関連の役員も務めている。彼女はバンクシーのような孤高と神秘のベールに包まれているわけではないが、プライバシーを守り、助手は雇わずに作品を作る。私たちは、彼女の私生活の詳細については話題にしなかった。それは彼女が秘密主義だからではなく、生い立ちと私生活は、彼女の作品づくりには関係ないからだ。
彼女の作品に出てくる「私」や「あなた」やその他の代名詞は、誰にでもあてはまる。私が彼女の名前をメールの受信ボックスに初めて発見したとき――それは2018年で、私が書いた女性ミニマリストとランド・アーティストたちの記事について彼女が感想を送ってくれた――それは衝撃だった。彼女はあまりにもうまく自分を作品に投影することを避けてきたために、私は彼女がどんな人間なのかを考えたことがそれまで一度もなかったのだ。長年知っていた声が、電子メールのアカウントを持つ実在する女性とつながるなんて、想像すらしなかった素晴らしい経験だった。彼女とメールをやりとりして1年後に、私はこの記事の企画を提案した。だが、インタビューの日時を決める段階になって、彼女は自分の考えをあまり話したくないという気分になっていた。当時、彼女は韓国での展覧会の準備で忙しかったが、私は、彼女が、職業ライターの手によって自らの記事が書かれることに、いまいち乗り気ではないのだろうと推測した。自分で自伝を書くのと違い、彼女の作品が単純化されて伝えられてしまう恐れがあるからだ。それはまるで、ひどいセラピーを受けたときのような、意にそぐわない結果を味わうはめになる危険をはらんでいる。
さらに、何十年にもわたって、手垢のついた視覚表現を解体することにキャリアを費やしてきたアーティストに対し、記事に載せるポートレート写真の被写体になってくれと頼まなければいけない点も問題だった。彼女の1981年の作品《無題(あなたの視線が私の横顔に突き刺さる)》では、石に彫られた女性の顔の写真をモチーフにしている。凝視されることで被写体が動けなくなってしまったように見える。ローラ・マルヴィが1975年に、男性の視線について書いた記念碑的な評論『視覚的快楽と物語映画』は、まさにこの点を論じているのだ。クルーガーは1985年に《無題(私たちはまるで本当に生きているみたい/助けて! 私はこの写真の中に閉じ込められている)》を作った。この作品は、枠を手に持った女性が枠の向こうからこちらをのぞいており、その横には同じポーズの女性が写った写真が小さい枠に入って並べてある。レティンキュラー写真(註:角度によって絵柄が変わって見えるもの)のため、角度を変えて見ると、女性の顔の奥から助けを求めるメッセージが現れる。クルーガー自身を写した写真も実際に存在する。特に1984年にジャネット・モンゴメリー・バロンが撮影した写真は際立って印象的だ。柔らかいソックスをはいたクルーガーの顔の表情は警戒心に満ちている。“リラックス”できるはずの状況で、はっとするほど対照的な顔つきなのだ。
だが、さらにもっと根本的な問題がもうひとつある。今回のこの記事が“The Greats”(註:本国版の偉人特集)に組み込まれているということだ。なぜそれが問題なのかは、彼女から私に送られた最初のメールにヒントがある。彼女は現代の社会の支配構造と偏見を私が把握していることに礼を述べ、支配と偏見が「当時はまったく制御不能だった(そして今も)」と書いている。
1988年にクルーガーはニューヨーク近代美術館(MoMA)で『“偉大さ”を写す』という展覧会を企画した。それは、ざっと見たところ、有名なアーティストのポートレート写真を集めたもので、アーティストは全員白人でそのうちのほとんどが男性だった。たとえば、マン・レイが撮影したピカソとコクトーの写真、エドワード・スタイケンが撮ったロダンとブランクーシの肖像写真という具合だ。クルーガーは壁に描かれたテキストの中で、これらのポートレートの内容と基準をこう説明している。アーティストは「優秀で社会的な尊敬を集めていること」または、「妙な星の巡り合わせの下に生まれ、ベレー帽を被ったハリー・フーディーニ(註:1900年代初頭に活躍した奇術師)であること。つまり、神と大衆の間に存在する不思議な仲介人」として描かれていること。(クルーガーは今、キャリアの中で最大の、彼女の作品の集大成となる展覧会の準備に取り組んでいるところだ。その展示はシカゴ美術館に所蔵されているアーカイブ写真を使い、同美術館で2021年4月に開催される。その後、10月にロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)に移される予定だ)
私たちがある種の人々を偏向的に持ち上げようとして、それ以外の人をわざと過小評価するのを鋭いユーモアで批判してきた彼女。そんなクルーガーを聖別し、偉人特集記事に登場させるのは、彼女の趣旨に真っ向から反するのではないか? 彼女の作品で言えば「ヒーローはこれ以上必要ない」のだから。だが、私は、そこまで排他的でない、もっと別のやり方で偉大さを語れるはずだと思っている。私たちのカルチャーのヒーローは神話的な基準を満たしていなくてもいいのだ。
たとえば、実際のところ、私たちにはクリスティーン・ブラジー・フォードのようなヒーローがもっとたくさん必要だ。彼女は最高裁判事として承認される直前だったブレット・カバノーから、かつて性暴力を受けたことがあると米国議会の上院の委員会で証言した。17歳のダルネラ・フレイザーもそうだ。彼女はジョージ・フロイドが警官によって殺される光景を撮影した。警官に脅されながらも、撮影するのを決してやめなかった。私たちにとって彼女たちは、「偉人」とはこういうものだという基準のハードルを高く上げた存在だ。だからこそ、今こそ、約50年のキャリアを通して、私たちにカルチャーの中で権力がどう機能するかをもっと深く考えろと要求してきたアーティストを認識するのにふさわしいときだ、と私は思う。彼女は歴史と権威に対する私たちの概念の多くが、偏見と中身のない誇張でできていることについて、もっと真剣に考えるべきだと、その作品を通して訴えてきた。
「ああ、でも、私はすごくラッキーじゃない?」。クルーガーは、私がこの5月にハリウッドの自宅にいる彼女に電話したときにそう言った。「こんなふうに、あるレベルで何かを拒絶するということは、下手をすると簡単に上辺だけの謙遜に陥ってしまう可能性がある。だけどこれは噓の謙虚さじゃない。私とあなたが電話でこういう会話をしていることが、ものすごくラッキーだと思ってる。こんなことがまったく起きない可能性だってあるのだから。あなたが私の名前を知らないことだって十分あり得た。起こることはすべて、人生や境遇における悲劇的な偶然の選択の結果なのだから」。彼女は認識されることはうれしいとはっきり言った。ただ、彼女は単に、大げさな宣伝やプロモーションを信じていないのだ。「私はいつも言っているけれど、どんなアート作品も――それが映画であれ、建築であれ、絵画であれ、小説、その他何でも――記事に書かれているほど偉大でもなく、素晴らしくもないし、また逆に、書かれているほどひどくもつまらなくもない」。
彼女の2008年の作品《無題(不当に扱われて)》はLACMAのエレベーターに描かれたインスタレーションだ。おかしく無意味な言葉の羅列が展示され、アート批評で使われる言語を嘲笑している。この作品も、彼女の既存の作品の発展形だ。1980年代初頭に彼女が書いたテキストに触発されて《無題(この作品が描くもの)》というタイトルで、さまざまな形で展示されてきたが、彼女は今、シカゴ美術館でこの作品を垂れ幕として展示しようとしている。「この作品は、枠とそれによって囲われた空間の閉塞性について表現している」という言葉で作品が始まる。
もし、彼女が作品を作るように文章を書くとするなら、彼女が作るアート作品は、彼女の人柄を表している。線の上に描かれた言葉を見ると、初めて見たような気がしない。その言葉は、彼女と対話する者に対し、頑なでありながらも、よい影響を与え、共感を寄せる。今、こんな奇妙な時代に生きる私たちはみな、彼女と対話をしていることに気づく。大学で働いている人の多くがそうであるように、彼女も数多くのZoom会議に延々と時間をとられている。「カメラはオフにしている」と彼女は乾いた口調で言う。「会議をこんなにやるのは、自分の死と向き合いたくない私たちが、気を紛らわすために設定した必死のあがきなのではないか」。彼女の声には不安がにじんでいて、それは私も同じだった。「数カ月前のことを思い出してみると、あの頃はレストランのテーブルで友人たちと一緒に座っていたり、買い物や用事で出かけていた。当時、世界がどんなに破壊されていて悲劇的だったとしても、私たちの今の生活を思えば、あの頃はまるで熱にうかされているときに見る夢のように、キラキラと光り輝いていた」とクルーガーは言う。
ロサンゼルスではCovid-19の新たな感染者の数が再びうなぎ登りで、旅行するのはあまりにも危険に思えたが、彼女はニューヨーク州ロングアイランドのスプリングスにある彼女の小さな別荘をずっと懐かしく思っていた。彼女はそこで夏の間、本を読んだり仕事をしたりして過ごすのが好きなのだ。彼女が1989年にこの別荘を買うまで、彼女の家族は誰ひとりとして家を購入したことがなかった。「あの別荘が私の命を救ってくれた。まるでThe Fresh Air Fund(註:ニューヨークの恵まれない環境で過ごす子どもたちに有意義な夏休み体験を無償で提供する非営利団体)のように」。その家は高床式で、配管はゴムホースでできている。「あの家がすごく恋しい。来年も壊れず無事であってくれるかどうかまったくわからないけれど」