1860年代から約40年にわたり、日本の美学や独自の素材、また職人による手仕事は、パリの美術界に多大な影響をもたらした。忘れられつつある史実だが、フランス、そしてヨーロッパにおける美術とデザインを刷新したとされるこの文化現象は、永遠にその根底を流れつづけている

BY NANCY HASS, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 こうしたクリエイターたちの間には依然として、洗練された、自然な優美さは日本固有のものだという共通の認識があった。20世紀初頭のファッションデザイナーで舞台衣装も手がけたポール・ポワレは、ボヘミアンのように自由で裕福な女性に向けて着物風コートを提案する。そのたっぷりとしたシルエットは物議を醸したが、1920年代のクチュリエたちはドレープ地やゆったりしたラインに先見性を見いだし、興味を抱いた(ジャポニスムがパリを席巻していた頃、女性たちはまだビクトリア朝時代のコルセットに締めつけられていた)。1925年、デザイナーのジャック・ドゥーセは、漆芸作品で有名なスイス系フランス人アーティスト、ジャン・デュナンが創案した日本風のモチーフを、ドレスやケープに刺しゅうする。その2年後にココ・シャネルは、首元にタイを垂らしたシルククレープの服に、金の菊文様をあしらい、カフスには着物のふき綿(註:袖口や裾の裏地を表に折り返し、中に綿を詰める着物の仕立て)風に綿を入れた。

画像: ポール・ポワレの着物風コート(1922年) BORIS LIPNITZKI / ROGER-VIOLLET / GETTY IMAGES

ポール・ポワレの着物風コート(1922年)
BORIS LIPNITZKI / ROGER-VIOLLET / GETTY IMAGES

西洋では女性たちの外出の機会が多くなり、最新モードに合わせて身につけるファッション小物の分野も発展していった。リップスティックホルダー、シガレットケース、コンパクトケース、手首からぶら下げて使う、宝石で飾ったバニティケースなどが次々と誕生した。「ヴァン クリーフ&アーペル」は、日本の男性がタバコや薬を入れて帯から下げて使っていた、木やレザー、金属に象牙や紙などでできた印籠をモデルに、1924年、金や翡翠(ひすい)、ダイヤモンドで花模様をかたどった黒の漆のケースを発表している。

画像: ヴァン クリーフ&アーペルの、印籠に着想を得たバニティケースのデザイン画(1925年頃) © VAN CLEEF & ARPELS SA

ヴァン クリーフ&アーペルの、印籠に着想を得たバニティケースのデザイン画(1925年頃)
© VAN CLEEF & ARPELS SA

 こうしてアール・デコは世界に広がり、ついにジャポニスムの長い歴史は幕を閉じた。東洋にルーツをもつ西洋の美学が、アジアに舞い戻ってきたのはこれが初めてのことだった。興味深いのは、アール・デコの礎をなすのは日本だというのに、日本がそれに夢中になったということだ。つまりこの様式はもう西洋のレンズを通して見た日本文化ではなく、純粋にヨーロッパの文化に昇華したということになる。当時フランスで流は行やったギャルソンヌと同様に、髪を切り、タバコを吸い、ジャズを聴いた「モガ」と呼ばれた若い日本人女性は、初期の浮世絵で理想化して描かれた芸者とは、縁もゆかりもないように見えた。また西洋と日本が影響を与え合う「共振関係」の最終段階として、日本は欧米並みの軍事力を目指し、帝国主義的な野望を果たそうとしていた。

画像: 金工家、根箭忠緑による《月で餅をつくウサギの置時計》(1920~30年代頃) CHUROKU NEYA, “TABLE CLOCK WITH RABBIT POUNDING RICE-CAKE ON THE MOON,” CIRCA 1920-30S, BRONZE ON WOOD BASE, COURTESY OF THE LEVENSON COLLECTION & KAGEDO JAPANESE ART

金工家、根箭忠緑による《月で餅をつくウサギの置時計》(1920~30年代頃)
CHUROKU NEYA, “TABLE CLOCK WITH RABBIT POUNDING RICE-CAKE ON THE MOON,” CIRCA 1920-30S, BRONZE ON WOOD BASE, COURTESY OF THE LEVENSON COLLECTION & KAGEDO JAPANESE ART

 その緊張感のようなものは、その頃の日本のオブジェにも感じとれる。それまで繊細な細工が施されていた置物は、キュビスムや、スピード感やダイナミズムをかたちで表そうとしたアール・デコの影響により、洗練されたスタイルに変わった。1930年代に鋳金工芸家の森村酉三(とりぞう)が、跳びはねるウサギを表現した、流線型のブロンズ像がその代表例だろう。当時の様式は革新的なものではなかったが、多くの伝統的な装飾品が、研ぎ澄まされたシンプルなラインのつややかな輝きを放つオブジェに姿を変えた。また、金工家の根箭忠緑(ねやちゅうろく)による置時計(1920~30年代作)は、日本と西洋の「共振関係」を見事に表している。アール・デコ調のダークブロンズの雲から浮かび上がるのは、金色の月の形をしたモダニズム様式の時計。数字の代わりに星が並び、その中央では、日本で“賢さ”を象徴するウサギが餅をついている。月にウサギが住んでいるというアジア古来の伝説に由来するモチーフだ。当時、工芸研究家の渡辺素舟(わたなべそしゅう)は、美術工芸の抽象的なデザインを奨励する无型(むけい/註:1926年に起こった工芸の革新運動)の宣言文(マニフェスト)で「今は即ち今だ。飛び去る瞬間だ」と謳った(註:无型の中心メンバー高村豊周(とよちか)が唱えたという説もある)。

フランスの芸術家や職人が、浮世絵という過去の夢に没頭しながら西洋美術の新しい道を切り開いたように、日本は輝かしいヨーロッパ芸術の栄華に触れながら、ようやく自らの手で未来をつかんだ。このように日本とフランスの美術様式の変遷を見ていると気づくだろう。新しく見えるものが本当に新しいことは稀であり、遠いところからきた未知の、魅惑的なものでさえ、じつはもともと自分が持っていたものが、単に元に戻ってきたものにすぎないことが多い、ということに。

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