原宿「The Mass」で日本初となる個展を開催中の建築家、ジョン・ポーソン。かつて日本に滞在していたこともあるミニマリズムの巨匠が語る、写真と建築、そして師である倉俣史朗との思い出

BY NAOKO AONO, PHOTOGRAPHS BY KEISHIN HORIKOSHI / SS, EDITED BY JUN ISHIDA

 ロンドンを拠点にしている建築家、ジョン・ポーソン。彼の日本で初めての個展が原宿で開催されている。長年撮りためた写真「Spectrum」「Home」のシリーズと、瞑想的な立体作品のインスタレーションだ。70年代始めに日本に滞在していたこともある彼に、写真と建築との関係について聞いた。

画像1: ミニマリズムの巨匠
ジョン・ポーソンが語る
写真と建築、そして師について

Q あなたのデザインはモノクロームで知られていますが、「Spectrum」のシリーズでは印画紙にさまざまな色が捉えられています。色彩について、どのようにお考えですか。

A 私の作品が白と黒、グレーしか使っていない、というのは誤解で、実際にはたくさんの色を使っています。写真だと建築やインテリアが白く見えるだけなのです。「Spectrum」の本や展示のために10年間に撮りためた写真を見返しましたが、どれも色彩にあふれていました。私の建築はシンプルに見えるかもしれませんが、頭の中はけっこうごちゃごちゃなんです。

画像: 展示スペースが3箇所に分かれる「The Mass」。02、03の展示室では、「Spectrum」シリーズの作品が色調ごとに並べられている。写真を展示する什器もあくまでミニマルだ

展示スペースが3箇所に分かれる「The Mass」。02、03の展示室では、「Spectrum」シリーズの作品が色調ごとに並べられている。写真を展示する什器もあくまでミニマルだ

Q 写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

A 正確には覚えていないのですが、1973年に日本に住み始めてからのことだと思います。その頃は英語の教師をしていて自由時間がたっぷりあったので、日本やアジアの各地を旅してたくさんの写真を撮っていました。学生に英語を教えるときに写真があったほうがわかりやすいし、彼らの興味を引くことができると思ったんです。お寺や田んぼといった広い画角ではなく、より対象に寄った写真を撮っていました。今でも、スタッフに写真を見せて説明することもあります。時間が限られているときはスケッチよりも写真のほうが便利ですから。私にとって写真を撮ることはあくまでもプライベートな作業です。過去に起きたことは二度と戻ってきませんが、写真はその瞬間を捉えることができる。そう考えるとちょっとほっとするんです。

画像: 「The Mass」01の展示スペース。モノクロームの「Home」シリーズと鮮やかな色合いの「Spectrum」シリーズの作品が展示されている

「The Mass」01の展示スペース。モノクロームの「Home」シリーズと鮮やかな色合いの「Spectrum」シリーズの作品が展示されている

Q あなたはご自身を建築家であってアーティストではないとおっしゃっています。建築とアートの違いはどのようなところにあると思われますか?

A 難しい質問だけれど、建築は実際に人が使うという実務的な側面があるのに対して、アートにはそういった制限はないと考えています。その一方で、文化やアートは生きていく上でなくてはならないものだと考えています。もちろん建築もアートになり得ますし、写真もアートになりうる。一つたとえ話をしましょう。以前、僧侶から修道院の設計を頼まれたことがありました。彼は、私がその前に設計したニューヨークのカルヴァン・クラインのショップの写真を見て依頼してくれたのです。それを聞いて私はとても驚きました。修道院や教会はもちろん聖なる空間であり、ショップは一般にそうではないと考えられています。でも同じ方法論で設計していても、聖なる場とすることはできるのです。

画像: The Massに隣接する半屋外のスペース「StandBy」に設置された立体作品「Lunula」

The Massに隣接する半屋外のスペース「StandBy」に設置された立体作品「Lunula」

Q 建築でもっとも重要だと思うものは何ですか。

A これも難しい質問ですが、もし一つだけあげるとすれば光です。私が尊敬する建築家、ルイス・カーンも同様のことを言っていました。光がなければ建築は成立しませんし、写真でも常に自然光を意識しているのはそのためです。また実際に空間を作るときはプロポーションなどよりも、本能や直観に頼る部分が大きい。その場に身を置いたときにどのように感じるか、その感覚が一番大切です。空間に入ったときにほっとする気持ちとテンションが上がる気持ち、その両方があるのがいいと思います。

画像: 自邸を撮った「Home」シリーズから。斜めに差し込む光がグラデーションとなって壁に落ちる。 John Pawson, Home, 2019, Courtesy of the artist

自邸を撮った「Home」シリーズから。斜めに差し込む光がグラデーションとなって壁に落ちる。
John Pawson, Home, 2019, Courtesy of the artist

Q 1970年代に日本に滞在されていたとき、よく倉俣史朗さんの事務所に行かれていたと聞きました。倉俣さんの思い出を教えてください。

A 倉俣さんのことを知ったのは1960年代の後半、17、8歳のころのことでした。誰かがイタリアの建築・デザインの雑誌「Domus」に掲載されていた彼の作品を見せてくれたのです。それを見て、自分が考えていることを実現させている人がいることを知ってびっくりしました。その後日本に来て、どうやって電話番号を知ったのか忘れてしまいましたが、六本木にあった倉俣さんのオフィスに「ジョン・ポーソンといいます」と電話したんです。そのとき私は24歳でした。今思うとずいぶん大胆なことをしたと思います。
 私は日本語ができなかったのに、倉俣さんはとても親切にしてくれました。倉俣さんの事務所に行って「きれいなボトルですね」などと言うと、倉俣さんはそれをプレゼントしてくれるのです。なんでもくれるので、褒めるのをやめたぐらいでした。

画像: 「Home」シリーズから。空間が切り取る光を捉える。 John Pawson, Home, 2019, Courtesy of the artist

「Home」シリーズから。空間が切り取る光を捉える。
John Pawson, Home, 2019, Courtesy of the artist

Q 倉俣さんのデザインはよく「詩的な」と形容されますが、ポーソンさんはどう思われますか。

A 端正でありながらひらめきと、遊び心があると思います。ただ、当時の私には詩的すぎると思えることもありました。倉俣さんはそんな私に「いつかわかるよ」と言ったものです。また私にはいつも「ストイックになりすぎないように」と言っていました。

Q 倉俣さんの他に日本の建築家やデザイナーで興味を持たれた人はいますか。

A 篠原一男さんや柳宗理さんのデザインは素晴らしい。千利休も私が敬愛する人の一人です。銀閣寺の茶室は私の好きな建築の一つです。彼らの造形は日本文化におけるシンプルさの極みであり、到底凌ぐことはできません。

画像: ジョン・ポーソン 建築家。1949年イギリス、ハリファクス生まれ。家業のテキスタイル製造の仕事に従事した後に来日し、英語教師として働く。帰国後、AAスクールで建築を学び、1981年に独立。主なプロジェクトに、デザインミュージアム(ロンドン)、バスチアン・ギャラリー(ベルリン)、ノヴィー・ドゥール聖母修道院(ボヘミア)、ジル・サンダー表参道旗艦店 (東京)など。

ジョン・ポーソン
建築家。1949年イギリス、ハリファクス生まれ。家業のテキスタイル製造の仕事に従事した後に来日し、英語教師として働く。帰国後、AAスクールで建築を学び、1981年に独立。主なプロジェクトに、デザインミュージアム(ロンドン)、バスチアン・ギャラリー(ベルリン)、ノヴィー・ドゥール聖母修道院(ボヘミア)、ジル・サンダー表参道旗艦店 (東京)など。

「John Pawson」
会期:〜2023年5月14日 
会場:The Mass
住所:東京都渋谷区神宮前5-11-1
閉館日:月曜、火曜
開館時間:12時〜19時
公式サイトはこちら

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