四国でいちばん小さい町であり、最も人口が少ない徳島県上勝(かみかつ)町。焼却炉購入の財政的余裕がないなか、国内初のごみゼロ宣言から約15年。 その現在を創る人たちを追った

BY YUKA OKADA, PHOTOGRAPHS BY KIYOTAKA HATANAKA(UM)

 徳島市内から車で約1時間。霞たなびく山間の町、上勝町は2003年に「ゼロ・ウェイスト宣言」をしたことで知られる。人口流出、住民の老齢化が進むなか、住民が一丸となって新しいアイデンティティを生み出そうとする姿勢に共感し、県外、そして海外からも多くの人々が地域再生のプロジェクトに参画している。

 2015年にできあがったマイクロ・ブルワリーに続き、この10月には世界的に活躍する英国の建築家集団アセンブルによって、新たなシンボルともいえるテイスティングサロンが完成した。上勝町の再生を担う人々を追ったルポルタージュ、その後編をお届けする。


 ところでRISE & WIN、そして上勝を語るならもうひとり、触れるべき存在がいる。アセンブルがリサーチ段階で出会い、前述のテイスティングサロン内部に設置された竃(かまど)作りを託した中村修さん、71歳。町民から“仙人”慕われるその暮らしぶりは、牛舎を自ら改装した家の竃で煮炊きをし、水は沢から引き、ぼっとん便所の“ごみ”は「経済的ベジタリアン」と語る自分一人分の野菜を育てる畑の堆肥に。月々の公共料金は電気代のみ、300円を切る。

 上勝に暮らし始めて30年。もともとは地元の静岡でサラリーマンをしていたが、20代半ばで「世界が見たい」と日本を飛び出し、アルバイトをしながらヨーロッパ各国を放浪すること5年。さすがに帰国の決意を固め「陸路で帰れるところまで」とたどりついたネパールの首都カトマンズで、ビザの期限が切れるまでを過ごした長閑(のどか)な3カ月が、人生観を変えた。
「それまでは旅をしながらも、頭の半分はお金の心配をしていて、気持ちが休まらなかった。あるとき、どうしてもアルバイトが見つからなくて残金が1万円を切ったとき、胃痛に襲われながら『お金がないだけで、肉体的にも精神的にも追い詰められるのはバカらしい!』と思った体験が、今の生活につながっているのかもしれないね」と仙人は当時を振り返る。その後、いったん日本に戻り、木彫版画を学ぶことを口実に再びネパールへ。山道を5日歩き、標高2,500mのジュンベシという村に住む、チベット仏教の僧侶の元へ身を寄せた。

画像: 仙人こと中村修さん。ネパールで出会い、先に帰国した友人が上勝に居を据えたこともあり、この地に縁を得た

仙人こと中村修さん。ネパールで出会い、先に帰国した友人が上勝に居を据えたこともあり、この地に縁を得た

画像: 1 階の屋根が極端に低い、牛舎を 改装した家。山道から少しはずれた場所にぽつりと建つ

1 階の屋根が極端に低い、牛舎を 改装した家。山道から少しはずれた場所にぽつりと建つ

 

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