エル・システマの仲間が一堂に集うガラコンサートが開催される。音楽の根源に触れ、魂を揺さぶられる舞台。音楽を通じて内なる力を開花させていく子どもたちの姿がそこにある

BY OGOTO WATANABE

 2015年の冬。創刊まもない本誌の取材のため、私たちは福島県・相馬を訪ねた。エル・システマ・ジャパンのこどもたちの稽古風景を見学させてもらったのだ。ほとんどが弦楽器の初心者と聞いていたが、子どもたちが音合わせをしていたのはドヴォルザークの交響曲。「オーケストラは体感芸術です。音が鳴らなくてもいいから、みんなと一緒に舞台に上がって体の中に音を通すと、その経験が忘れられなくなる」。子どもたちの練習を指導していた浅岡洋平(チェリスト・指揮者)は、当時、そう語っている。音楽のうねりを身体で感じることが大切なのだ。その快感や感動が体に入れば、あとは導かれていくものだ、とも。

 楽器の持ち方もまだおぼつかない幼児から高校生まで、さまざまな年齢のこどもたちで編成されたオーケストラ。このエル・システマの活動が始まるまでは、楽器を持つことも楽譜をよむこともほとんどなかった子どもが大半だ。チューターも指導するが、大きい子が小さい子の面倒を見たり、お互いに教え合うなかで上達していくのだと聞いた。休憩時間は学校の休み時間のようににぎやかな笑い声が弾けるが、練習時間はみんな一所懸命だ。子どもたちは1か月後、東京のサントリーホールであのドゥダメルの指揮のもと、演奏することになっていたのだ。

画像: 2018年8月、相馬と大槌の合同練習風景。子どもたち同士も声をかけあい、音楽を磨いていく COURTESY OF EL SISTEMA JAPAN

2018年8月、相馬と大槌の合同練習風景。子どもたち同士も声をかけあい、音楽を磨いていく
COURTESY OF EL SISTEMA JAPAN

 エル・システマは、1975年に南米ベネズエラで誕生した。経済学者であり、音楽家であり、文化大臣もつとめた故ホセ・アントニオ・アブレウ博士により、音楽を学ぶことで子どもたちが社会性を育み、コミュニテイとの関わりをつくることを目的に設立された組織だ。ベネズエラ全土で、特に貧困地域では手厚く、子どもたちが無償で音楽を学ぶ機会と環境が整えられた。このエル・システマは子どもたちを貧困や犯罪、暴力などから守り、すこやかに育むという社会改善策として功を奏しただけでなく、ドゥダメルのような世界的に優れた音楽家や技術者を輩出するに至っている。

 日本でエル・システマの活動が開始されたのは2012年3月。東日本大震災の被災地で、日本ユニセフ協会の職員として支援活動に奔走していた菊川穣は、復興には子どもたちに長期的に寄り添う取り組みが必要であることを痛感していた。震災、津波、原発事故で傷ついた子どもたちの心を見守り、すこやかに育んでいきたいという地域の願いと菊川の思いがひとつになり、エル・システマジャパンが設立され、合奏・合唱を通じて子どもたちの育成を見守る活動がスタートした。その後、岩手県・大槌町、長野県駒ケ根市にも活動の輪が広がっていく。

画像: 2017年10月、東京芸術劇場にて。東京ホワイトハンドコーラスの子どもたちの初舞台 PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

2017年10月、東京芸術劇場にて。東京ホワイトハンドコーラスの子どもたちの初舞台
PHOTOGRAPH BY YASUYUKI TAKAGI

 さらに2017年には、東京ホワイトハンドコーラスが誕生した。ホワイトハンドコーラスとは聴覚障害ほかさまざまな困難とともにある子どもたちによる合唱隊で、白い手袋をはめた手の動きで詩歌を「手歌」として表現する。ベネズエラでは23年前から盛んだが、いよいよ日本でもその活動がスタートしたのだ。

 私たち取材チームは昨年の秋、都内の彼らの稽古場を訪れた。ピアニストが鍵盤をポーンとたたくと、子どもたちはニコニコ顔でピアノに頬をよせたり、ピアノの脚の下にもぐりこんだりして、その振動を体感する。次に、ボードに貼られたまど みちおの詩をみんなで囲む。詩のことばのひとつひとつを、手の動きでどんなふうに表現しようか、子どもたちそれぞれが考える。ソプラノ歌手のコロンえりかさんと、トット基金 日本ろう者劇団の井崎哲也さんの指導のもと、子どもたちはじつにのびのびと自分の感じたことや考えたことを次々に表す。一見、静かな稽古場では、じつに活気にあふれた、にぎやかなやりとりが繰り広げられていた。

 稽古場を訪れてからひと月半後、子どもたちの立つ舞台を見に行った。白い手袋をはめたこどもたちの手の動き、表情から、音楽がほとばしるようにうねり、響いてくる。旋律がなくても音がなくても、それは紛れもなく音楽だ。音楽そのものなのだ。「音楽とは何なのか、音楽の根源にあるものは何なのかということを、僕のほうが教えてもらっている」。子どもたちの稽古で伴奏をしていたチューターの青年の言葉を何度も思い出した。

 

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