「アメリカン・バレエ・シアター」のイタリア人スターダンサー、ロベルト・ボッレは、長年、カンパニーを去っていくバレリーナたちの退団公演のパートナーを務めてきた。そして、ついに先日、彼自身に“そのとき”がやってきた

BY GIA KOURLAS, PHOTOGRAPHS BY KRISTA SCHLUETER, TRANSLATED BY HIKARU AZUMA

—— ルドルフ・ヌレエフ(旧ソビエト連邦出身の伝説的ダンサー)に出会ったのは、何歳のときですか?

 学校に通っていた15歳のとき。ヌレエフは僕のアイドルでした。

—— 彼はあなたを『ベニスに死す』のタジオ役にキャスティングしたかったそうですね。けれども学校がそうさせなかった。どう思いましたか?

 世界の終わりだと思いましたよ。たいへん劇的な事件でした。

—— そのときほど、人生のうちで怒って興奮したことはない?

(笑いながら)そうかもしれないですね。とてもがっかりしました。悔しくて泣きました。けれど、もしかすると少し早すぎたのかもしれない。僕自身、未熟だったし、一方、ヌレエフはとてもタフな人でしたから。

画像4: アメリカン・バレエ・シアターを
去ったロベルト・ボッレ。
だがダンスにさよならは言わない

—— 以前、スカラ座の芸術監督になりたいと言っていましたね。まだ、そう思っていますか?

 思っていますが、まだまだやらなければならないプロジェクトがたくさんありますし、監督になるためには多くの時間が必要です。だから、まだ先の話ですね。

—— 現在も、スカラ座に所属しているのですか?

「エトワール」の肩書きですが、ゲストダンサーのような感じです。僕は23歳のとき、もっと自由になるためにバレエ団から離れたのですが、プリンシパルとして終身契約をしていたので、そこを離れるのは簡単には決められることではありませんでした。

—— そういったことを通常ヨーロッパのダンサーはしませんよね?

 そうでしょうね。良い給料、そして年金ももらえて、何が起ころうとも大丈夫という安心感を得られるのですから。それを捨てるということは大きなリスクがありますよね。

—— あなたは自分自身に賭けをして、そして見事に勝ったということですね?

 そう、その通り(笑)。今なら、「僕は勝ったのだ」と言えますね。

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