気候変動や自然災害、SNS上で顕著な分断と格差、そしてパンデミック。地球も人も、とにかく疲弊しきっている。これからの時代を生き抜く処方箋を手に入れるべく、三人の哲学者の言葉に耳を傾ける。二人めは、第165回芥川賞にもノミネート中の哲学者・小説家の千葉雅也

BY TOMONARI COTANI, PHOTOGRAPH BY KENSHU SHINTSUBO, EDITED BY JUN ISHIDA

重要なのは多様性より多重性
ーー 千葉雅也

 昨今のSNS界隈では、格差問題に紐づくさまざまな意識が前面化しているかのごとく、あらゆるイシューにかこつけて「足の引っ張り合い」が繰り広げられている。とりわけその傾向が強いメディアがツイッターだ。『ツイッター哲学 別のしかたで』という著書をもち、ツイッターの存在なくして今の自分のキャリアはなかった」とも語る哲学者・小説家の千葉雅也の目には、今日のツイッターの状況はどのように映っているのだろうか。

「とても単純な二元的な立場の対立、つまりどちらにつくかという選択を迫る空気が強いですよね。第三の道とか、二項対立ではない複雑さを言おうとすると、『ちゃんと状況にコミットしていなくて冷笑系』とか言われるわけです。それは本当に間違っていると思います。二項対立を強いられ、複雑な立場をとることができないのは非常に問題です」

 そうした状況に疲弊した人々の中には、メジャーなSNSから撤退し、有料ブログをはじめとするセミクローズドな状況へと移行する動きも見られる。ツイッターにしても、課金したフォロワーだけがコンテンツを楽しめる「Super Follows(スーパーフォロー)」なる新機能を年内に実装予定だ。「文脈がわからない人に向けて複雑なニュアンスのことを言うと、誤解にもとづく非難を受けるリスクが増していると思います。オーディエンスにフィルターをかけるのであれば、課金システムという身もふたもないところでフィルタリングをすることも致し方ないかもしれません」

画像: 千葉雅也(MASAYA CHIBA) 1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。哲学者・小説家。2019年、初の小説『デッドライン』(新潮社)で野間文芸新人賞受賞。ほかの著書に『動きすぎてはいけない』(河出文庫)、『アメリカ紀行』(文藝春秋)、『ツイッター哲学 別のしかたで』(河出書房新社)など。2021年、『マジックミラー』(『ことばと』vol.1)で第45回川端康成文学賞受賞。『オーバーヒート』(新潮社・近刊)で第165回芥川賞候補に

千葉雅也(MASAYA CHIBA)
1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。哲学者・小説家。2019年、初の小説『デッドライン』(新潮社)で野間文芸新人賞受賞。ほかの著書に『動きすぎてはいけない』(河出文庫)、『アメリカ紀行』(文藝春秋)、『ツイッター哲学 別のしかたで』(河出書房新社)など。2021年、『マジックミラー』(『ことばと』vol.1)で第45回川端康成文学賞受賞。『オーバーヒート』(新潮社・近刊)で第165回芥川賞候補に

 SNSが台頭し始めたゼロ年代は、文脈を読む多義的なアウトプットを受け入れ、楽しむ状況が少なからずあった。『ツイッター哲学』としてまとめられた千葉による一連のツイートも、そうした背景のもと、読者を信じて発信されていたはずだが、スマートフォンの普及によるネットの大衆化によって、状況は大きく変わってしまった。とはいえ、ネットの大衆化自体は「民主化」と言い換えられる。たとえばYouTubeで目立てば一気に成り上がることも可能になったが、それは旧来のタテの秩序が崩れたことを意味し、歓迎すべきことだろう。

「実際には『成り上がるには目立てばいい』というものすごく殺伐とした行動をモチベートすることにつながっていますが、抑圧されていた人がついに動けるようになったことは間違いないわけで、それこそが大衆文化なのだと言えます。そして、『オレたちの労働のうえにふんぞり返って小難しいことをこねくり回していたヤツらを見返してやるんだ』と言われたら、その人たちの味方をしなければいけないわけです。だから今、ものすごく難しい状況にあると思います。つまり、大衆文化の側に立つということと、伝統ある文化的クォリティというものを維持することの『綱引き』をインテリがどう考えるかが真剣に問われているんです」

 単純にインテリが好むような文化に居直るわけにもいかず、逆に大衆の味方だと単純に言うわけにもいかない。それはそれで、文化全体が貧困化することになってしまうからだ。
「両者の間の緊張関係をどう真剣に生きるかが問われています。ぼくがなんだかんだツイッターを続けて、いろいろな人とイヤな思いをしながらもやりとりしているのは、その緊張関係を常に感じている必要があると考えているからです」

 格差問題に起因するギスギスした競争を煽り、二項対立を助長することとなったSNSは、同時に、公共空間と私的空間の液状化を加速させたようにも思われる。それによってどのような問題が浮き彫りになり、その問題に対抗していくためには何が大切になってくると千葉は考えているのだろうか。

「たとえば喫煙所のような特別な空間で交わされるインフォーマルな会話はとても重要です。でも、たとえ課金でフィルタリングしたとしても、情報が一度ネット上に載ってしまうと、私的な発言が公になってしまう可能性があります。ネット上で可視化されると、賛成か反対かという単純な対立に押し込まれてしまいますが、人は本来、表の態度と裏の態度をもっています。そうした二重三重の人間のあり方をどう維持していくかが、これからはすごく大事になってくると思います。その意味では、表向きよく言われる多様性の議論より、個人の多重性のほうが重要ではないかと思います」

 多重性――。それは、たとえば意見が違う人同士が一緒のコミュニティにいるとき、あるイシューについては意見を「別の箱」に入れておき、お互い「ここではその話はしない」という態度をもつことであり、それは決して矛盾ではないと千葉は言う。

「部分的に見て見ぬふりをすることがとても重要なのです。つまり、異質なものや自分が否定したいものを『流しておく』という精神性のことで、そこを啓蒙しなければいけないと思います。もちろん批判することも必要ですが、批判を完遂しようとしたら異質な陣営同士で絶滅戦になってしまう。多様性を認めるということは、ある程度は自分にとってイヤなものを認めるということです。そこが勘違いされていますよね。多様性というのは、正しい方向に理解すればみんなが納得するはずだ、みたいに思っている人がいるけれど、そんなことはありません。多様性というのは、自分にとってイヤなものをある程度『流しておく』ことなんです。それを、全面可視性のもとでの多様性と考えるからおかしくて、多様性を認めるためには不可視性、つまりは隠れる場所が必要なのです。問題は、すべてを明るみに出せばいいと思っている人が多いということ。だから、それは違うと言い続けていきたいです」

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